特集
昭和百年/戦後八十年 今 現代俳句とは何か

現代俳句の実相
── 二十世紀俳句史を見直す ──

👤秋尾敏

現代俳句が何であるのかを見定めるためには、二十世紀俳句史を捉え直しておく必要がある。
3月に新曜社から『子規に至るー十九世紀俳句史再考ー』を上梓したが、それは、その土台作りのつもりであった。

これまでの二十世紀俳句史は、「ホトトギス」創刊にはじまり、新傾向、無季・自由律、近代俳誌の創刊、新興俳句と花鳥諷詠、人間探求派、俳句弾圧、戦争俳句、境涯俳句、社会性俳句、前衛俳句、伝統俳句、女性俳句、海外俳句などのキーワードで語られてきた。

これらが重要であることは言うまでもないが、軽視されている事項や見落とされている要素もある。そのいくつかを指摘しておきたい。

まず、いわゆる旧派が、どのように近代俳句に馴染んでいったのかが語られていない。「ホトトギス」の普及によって旧派が一掃されたわけではない。旧派は各地に残っていた。その人々が、徐々に新派の結社に吸収されていく。その過程を語った人がいない。

明治37年に始まる河東碧梧桐の『三千里』の旅も、旧派吸収の力となった。旧派の広がった地域に日本派俳句の種を蒔いた碧梧桐の旅については、もっと注目されるべきかと思う。

新傾向俳句や無季・自由律俳句は、当時台頭していた近代詩の影響下にあったと考えられ、近代詩史とともに考察される必要がある。例えば、明治42年に原十目吉が創刊した自由律俳句誌「緑熱」は、詩壇からの提案と見ることもできる。

「ホトトギス」については、地方句会のことがもっと語られるべきである。「ホトトギス」が俳壇を変える力を持ったのは、各地に地方俳壇を形成したからである。

その中に「ホトトギス」から離反する人々がいたことも重要である。それらを俯瞰しなければ、近代俳句が、日本全体の潮流を創り出す仕組みが見えてこない。

また、内藤鳴雪の果たした役割も過小評価されている。日本派の鳴雪が秋声会や筑波会のメンバーに接触し、博文館にも近づき、古典を重視する姿勢を見せたからこそ、日本派と旧派の間の壁は取り除かれ、旧派寄りだった多くの俳人が新派に加わってきたのである。

大正期の俳壇は、「ホトトギス」派と自由律派の対立ばかりが語られるが、第三極として鳴雪や秋声会の流れを汲む句会があり、その背後には旧派の活動もあった。そうした古典俳句の流れを汲む人々の位置付けを考えないと、例えば大須賀乙字の位置付けも意味不明なものとなってしまう。

さらに、境涯俳句の役割も過小評価されている。そもそも大正時代前期に境涯俳句のブームを作り出したのは虚子なのである。

明治45年に虚子が「我ら仲間の解体」と書き、いわゆる松山派から脱却した「ホトトギス」誌上に集まってきた村上鬼城、飯田蛇笏、原石鼎らの句は、みな境涯俳句の要素を持っていた。その潮流が多くの模倣を生みだしたために、虚子はアンチテーゼとして「客観写生」という概念を持ちだしたのである。境涯俳句に関して、虚子はマッチポンプである。

その境涯俳句の潮流と山本健吉の言う人間探求派とは親和性が高い。境涯俳句を洗練させようとした潮流が人間探求派だという位置付けは無理だろうか。

新興俳句についても再考が必要だ。「馬酔木」系のモダニズムの句とプロレタリアート文学系の句を、まとめて新興俳句と呼ぶべきでないのは川名大氏の言うとおりだが、問題がひとつある。一般の文学史では、新興芸術派とは、プロレタリアート文学の分かり易い文体に対抗するために起こされたモダニズムのことなのである。俳句史ばかりがその逆でよいのであろうか。

戦時中の俳句はまだこれからの分野である。「俳句四季」誌が継続的な特集を組むらしいので期待したい。

戦後俳句については、さらに根本から見直される必要がある。戦後の俳壇は、実は価値観の多様化とその許容に向かっているのだが、俳句史はそれを伝統俳句と社会性・前衛俳句の対立に収束させようとしてきた。

だが、事実は価値観の拡散に向かっていたのではなかろうか。

2001年版の角川書店『俳句年鑑』の「2000年全国結社・俳誌一年の動向」欄には、追加の「補遺欄」を含めて827誌の動向が掲載されている。

そこから「師系」として記された俳人の名を拾ってみると、驚くことに267人もの俳人が記されている。

一方で、師系を記入していない俳誌も一二九誌ある。その中には、「馬酔木」や「鶴」のように、創刊者を師系と考えているために師系を書いていないと思われるものもあるが、一方で「師系なし」と明記している同人誌も多い。師系という概念自体を嫌っているようで、そうしたことも二十世紀俳句史では重要なファクターであろう。

これは俳壇の価値観が多様化したことを示している。むろんそれは各俳誌の意識の問題であるが、自分たちの師系を誰にするかという意識がこれだけ多様化したというところに、二十世紀俳句史の特徴がある。

これが100年前の明治33年の記事なら、旧派はみな松尾芭蕉を師系とし、次に芭蕉十哲の名が書かれ、たまに松永貞徳と書く流派がある程度であろう。新派の秋声会や筑波会さえも芭蕉と書くのではなかろうか。その中で、ただ日本派ばかりが正岡子規と書いたに違いなく、その潮流が100年の間にこれだけ多様化したということである。

まず、10誌以上に師系とされた俳人を上げよう。師系が複数記されている場合もそのすべてを数えている。

高浜虚子(66誌)、加藤楸邨(35誌)、石田波郷(28誌)、水原秋桜子(27誌)、山口誓子(26誌)、臼田亞浪(22誌)、渡辺水巴(17誌)、中村草田男(16誌)、富安風生(16誌)、金子兜太(15誌)、大野林火(13誌)、山口青邨(12誌)、稲畑汀子(12誌)、日野草城(11誌)、飯田龍太(11誌)、鷹羽狩行(10誌)

虚子がもっとも多いのは予想どおりであろう。他に稲畑汀子と記した俳誌が12誌、高濱年尾も7誌に書かれているから、この流れはかなりの数を占めている。また富安風生や高野素十等、最後まで「ホトトギス」で活躍した俳人を師系と書く俳誌のほとんどが、その先に虚子の存在を前提としていると思われる。

だが、そうした事情は加藤楸邨、石田波郷、水原秋桜子ら「馬酔木」系の潮流にも当てはまるケースは多いだろう。飯田龍太の11誌も、蛇笏の8誌と併せて影響力の大きさを考えていかねばなるまい。

つぎの臼田亞浪に関しては、この影響力に比して、戦後俳句史に登場する機会が少なすぎるように思うのだがどうであろうか。虚子に接近したこともあるが、大須賀乙字と近かったこともある。

これに続くのが、沢木欣一、角川源義の9誌だが、「先師」の多様化はさらに進む。

(8誌)
松瀬青々、能村登四郎、野見山朱鳥、西東三鬼、飯田蛇笏、秋元不死男
(7誌)
森澄雄、藤田湘子、高濱年尾、青木月斗
(6誌)
野沢節子、滝春一、金尾梅の門、上田五千石、石川桂郎、阿波野青畝
(5誌)
吉岡禅寺洞、皆吉爽雨、正岡子規、長谷川零余子、高柳重信、大須賀乙字、石原八束、石塚友二、赤尾兜子
(4誌)
吉田冬葉、山口草堂、松本たかし、前田普羅、細谷源二、橋本鶏二、高野素十、栗生純夫、岸田稚魚、桂樟蹊子
(3誌)
皆川盤水、横山白虹、古沢太穂、波多野爽波、長谷川かな女、橋閒石、中村若沙、中島斌雄、殿村莵絲子、篠田悌二郎、小林康治、小林侠子、河野南畦、岸風三樓、岡井省二、大竹孤悠、伊丹三樹彦、石井露月、安藤姑洗子、有馬朗人、穴井太
(2誌)
渡辺倫太・幸子、鷲谷七菜子、森田峠、村上鬼城、三橋敏雄、道部臥牛、松本陽平、松原地蔵尊、増田手古奈、堀口星眠、原田喬、原田濱人、原石鼎、長谷川双魚・久々子、橋本多佳子、中村汀女、永尾宋斤、内藤鳴雪、内藤吐天、多田裕計、下村槐太、斎藤玄、倉田紘文、久保田万太郎、川本臥風、神尾季羊・久美子、加藤拝星子、加藤かけい、桂信子、荻原井泉水、岡本眸、遠藤梧逸、宇田零雨、上村占魚、犬塚楚江、飴山實、阿部筲人、青木此君楼

最後に、1誌に師系と記された俳人を示す。

(1誌)
和多野石丈子、和田悟朗、横井迦南、八幡城太郎、山本桜童、山田麗眺子、山田みずゑ、山下洋史、山崎十死生、山崎布丈、山口十九巣、山内青城、矢田挿雲、森本之棗、目賀田思水、村沢夏風、村上冬燕、宮本由太加、宮下歌梯(松苗)、水原春郎、松村蒼石、松根東洋城、松崎鉄之介、松尾芭蕉、前川ナサ据、堀葦男、細川加賀、星野麦人、星野立子、法師浜桜白、古見豆人、古館曹人、船平晩紅、藤本和子、福原十王、福田蓼汀、廣瀬直人、平田拾穂、東明雅、原田青児、原子公平、原コウ子、原柯城、原裕、長谷川秋子、長谷川かな女、長谷川素逝、橋本憲吉、萩原蘿月、萩原麦草、野呂春眠、野見山ひふみ、野竹雨城、野木閑性、沼波瓊音、西山寿月、西本一都、西尾其桃、成田千空、永野孫柳、水田竹の春、永田耕衣、中嶋音路、中島一碧楼、永作火童、富田うしほ、富田潮児、土生暁帝、遠山麦浪、津久井理一、田村木国、谷野予志、田邊正人、武田鶯塘、竹田凍光、瀧井孝作、高松玉麗、高橋貞俊、鈴木貞雄、鈴鹿野風呂、杉本雷造、菅裸馬、進藤一考、庄司互全、上甲明石、下村非文、下村ひろし、嶋野國夫、嶋田青峰、志摩芳次郎、佐野まもる、佐藤紅緑、佐々木有風、佐川雨人、坂秋郎、斎藤蕗葉、後藤夜半、向野楠葉、楠元憲吉、清崎敏郎、京大俳句、木村燕城、北園克衛、北光星、北山河、菊池麻風、上林白草居、神田南畝、川村柳月、川戸飛鴻、川崎展宏、河合凱夫、亀井糸游、神蔵器、上川井梨葉、金子恵泉、加藤三七子、片岡紫々夫、柏崎夢向、景山筍吉、加倉井秋を、鍵和田釉子、各務支考、小野蕪子、岡本圭岳、岡村夕虹、岡田機外、岡白塔子、大橋桜坡子、大谷碧雲居、太田鴻村、榎本冬一郎、宇田零雨、右城暮石、牛島藤六、宇咲冬男、上田都史、入江来布、井本農一、今村俊三、今瀬剛一、今井一直、稲垣法城子、伊藤柏翠、井沢唯夫、飯田九一、飯尾峭木、安東次男、天野暁賀、安住敦、芦田秋窓、赤城さかえ、荒尾五山、青柳志解樹、青木稲女

他に、「旧石楠系」、「天狼系」と記した俳誌が1誌ずつある。

この多様性をどう整理し、捉えていくのか。二十世紀俳句史は一筋縄ではいかない。