👤田村転々
第61回現代俳句全国大会青年の部正賞2024年受賞

水底
ストローを果肉の落ちるざりがに釣り
靴に雨青梅をうつだけの雨
街灯のぱちぱち照らす日焼の眼
サイダー瓶その水底のふゞきがち
手あはせて神様のゐる誘蛾灯

「水底」5句を読む
👤百瀬一兎

▶ストローを果肉の落ちるざりがに釣り

おそらく、このストローと果肉はざりがに釣りに直接使っているわけではない。

果肉の混ざったジュースを飲む人が釣りの場面に出くわしたのか。
はたまた、子どもがジュースを脇に置いて釣りを楽しんでいるのか。

ストローを落ちる鮮やかな色した果肉と、濁った池の底から引き揚げられる赤黒いざりがに。
なんとも頽廃的なスローモーションの映像が頭の中で再生される。

▶靴に雨青梅をうつだけの雨

「だけ」とは?
「青梅をうつことしかしない」という限定なのか、それとも「青梅をうつことができるだけの」という程度なのか。

靴に雨が当たっている。
地面に薄くたまった雨水に、靴底も軽く浸っているだろう。
ふと見ると、青梅が目に見えないほどかすかに揺れながら、しっとりと雨にうたれている。

この雨は、青梅をうつだけの雨。
濡れた己は、雨と青梅の存在に支配されているのだ。

▶街灯のぱちぱち照らす日焼の眼

日焼するのは肌に限らず、眼も日焼するのかもしれない。

眩しい昼の日光に晒された眼は、肌と同様に日焼し、黒目と白目が濁ってしまった。
やっと暗くなり街灯が点ると、その人工的な光が日焼の眼にぱちぱちと反射する。

痛いほど視覚を刺激しながら夏の光を感じさせる句だ。

▶サイダー瓶その水底のふゞきがち

瓶を傾けてサイダーを口に運ぶたびに、瓶の中でサイダーが揺れ、底の方から炭酸の泡が迸る。

飲むたびに泡のひかりが生まれ続ける様を、作者は「ふゞきがち」と捉えた。
吹雪くという言葉によって真冬の様子を想起させつつ、夏の爽快感を多層的に表現している。

▶手あはせて神様のゐる誘蛾灯

手を合わせた姿の地蔵だろうか。
道祖神のようなものかもしれない。

神様を拝む頭上には、誘蛾灯が青く点っている。
文字通り蛾を誘きよせて、殺す灯り。

人間の知恵と都合で生まれた灯りの下で、今日も神様がまします不条理。
もやもやと心に引っかかりながらも、惹かれずにはいられない真理。

 


👤百瀬一兎
兜太現代俳句新人賞2024年度受賞


秋の雲あまやかに肩痛みけり
みどりごの微熱はるかを鳥渡る
火恋し錻力の兵のまろき貌
植木鉢底よりみづの沁みて秋
月光や戦争を知りさうである

「貌」5句を読む
👤田村転々

百瀬氏の金子兜太新人賞作品を拝見した。
生き物に対する一見冷酷ながら真剣な眼差しを氏の連作から思った。

さくらさくら祖母を燃やした火はどんな
               百瀬一兎

▶秋の雲あまやかに肩痛みけり

日常的なものとかではなく、うっすら気づく肩の痛みは確かにわかる。
でも決して激痛とかではないから程よさがあって、同時に、はっきりとそれでいてぷかぷか浮かぶ秋の雲は気まぐれな良さがある。

▶みどりごの微熱はるかを鳥渡る

<はらわたの熱きを恃み鳥渡る 宮坂静生>よろしく、命あるものにとって熱は生の証だ。
目の前の触れている嬰児と、渡ってくる鳥との距離は確かにはるかであるけれど、この嬰児に与えられた生のながさを期待すればするほどこの二つの生命は存在として思ったよりも近くにあることにはっとさせられる。

▶火恋し錻力の兵のまろき貌

ブリキの兵隊がまさか寒がることはないけれど、その決して勇猛一徹とは言えない顔を見ると、それが象ったモデルは自分と同じようにもうすぐ冬になる冷たさを感じとていたんだろう。
そして、冬が近づいている。
冬のブリキはあまりにも冷たいだろう。

▶植木鉢底よりみづの沁みて秋

植物に水を遣る。
水は当然重力にしたがって、植木鉢の底の穴にたどり着く。
そして今染み出したように見えている水たちは、はじめにその植物にかけた水の全てではない。
一部は途中で植物が根を張る土に吸収されてしまった。
底から流れ出た水たちはこの植物にいは過剰であるように思える一方で、この過剰があるからこそ生命は充足しつつ維持されうるのだと、思い至る。

▶月光や戦争を知りさうである

並列のやと思ったりもする。
月光は戦争をもまさに包み込む、けれど、戦争は月光とは無関係に時間を経る。
戦場に赴く人たちも月の光に感動することがあるといいな。
そして僕たちはあまりにも戦争を戦争というアイコンでしか知らず、つかない想像で無知を補おうとする。
あまりにも無茶だ。
詠者は戦争の何を知ることになるんだろう。
月光には、そういう戦争を“知る”ことへの希求も含まれている。