今日から俳句を書かなくなるあなたへ
👤外山一機

私はこの原稿を8月14日に書いている。
これが公開されるのは8月25日頃の予定だと聞いている。
ということは俳句甲子園の全日程が終了した翌日頃の公開である。
せっかくなので高校生に向けて書いてみたい。

高校生のあなたへ

俳句甲子園が終わりました。
今日からはもう、俳句を書くことはなくなるかもしれません。
実際、私の勤める東京家政学院高校の生徒はほとんどが俳句をやめます。
他の学校も少なからず事情は似ているのではないでしょうか。
あなたがどちらなのかはわかりませんが、ここではさしあたり、書かなくなるあなたに向けて書きます。

あなたは俳句を書くことは好きでしたか。
私はあまり好きではありません。

あなたは俳句を読むことは好きでしたか。
私はこれもあまり好きではありません。

あなたはこれからも俳句を続けますか。
私は、俳句甲子園にこそ出ませんでしたが、高校2年生のときからずっと続けています。
好きでもないことなのに、不思議です。
いや、正確には、俳句を続けているということになっている、といったほうがいいかもしれません。

俳句のことをとても楽しそうに書いたり読んだり話したりできる人たちに囲まれると、私はとても不安になります。
私はみんなが好きな俳句をそんなに好きではないからです。
もしもあなたが俳句を好きな人なら、たぶん私はあなたといっしょにいるのがとてもつらいと感じるでしょう。
決してあなたのせいではないのに。

私は自分の好きなそれのことを俳句と呼びたくないのかもしれません。
それなのに、みんながそれを安易に、そして嬉々として俳句と呼ぶのが寂しいのだと思います。
私の好きなそれは、いったいいつから、「俳句」などという名でみんなのものに成り下がったというのでしょう。
こんな不満は子どもじみていますが、しかし、私にとってはとても大事な感情です。
あなたにはそういう感情はありませんでしたか。
―すなわち、私のそれを「俳句」とかいう名で奪うな。

とはいえ、私が「俳句」と呼ばれているものを書き続け読み続けているのはたしかで、実際、高校生のころの私は歳時記を読み耽っていたのでした。
歳時記は季語と定型の支配する典型美と幻想美の宝庫でした。俳句の起源をどこに求めるか、ということについてはいろいろな議論があります。
しかし、どのような歴史的事実よりも、強固な幻想を起源とする定型詩であるとするほうが、私にとって切実な俳句の定義たり得るような気がします。

高校生の私がなぜ歳時記に惹かれたのか、いくつか思いあたる節がないわけではありません。
たとえばあなたは、高校生としての明るさや若さ、あるいは強さや愛を周囲から期待されたことはないでしょうか。
努力すれば必ず報われるなどという類の前向きな言葉は、日ごとに剝き出しになってゆく不特定数の憎悪と軽蔑、あるいは社会のあらゆる局面に根を下ろした不条理な制度の前では虚しく響くだけだというのに―。
いま思えば、歳時記とは、くずのような世界のなかで、それでも世界と折り合いをつけて生きのびてゆくための一時避難所のようなものだったのかもしれません。
定型詩とは、世界がくずであればあるほど、より美しくなるものだと思います。

くろがねの秋の風鈴鳴りにけり 飯田蛇笏

くずのような世界で、たとえばこうした句やそれによって仮構された秋のありようを美しいとひそかに思うことで生きのびようとすることは、卑怯でしょうか。
臆病でしょうか。
無意味でしょうか。
しかしとにかく、歳時記の例句のひとつひとつは、こんなふうに私のうちに隠匿されていったのでした。

こうした気分についてもうすこしだけ書いてみます。
「五木の子守唄」に次の歌詞があります。

おどんがうっ死んだら
道端いけろ
通る人ごち 花あげる

花はなんの花
つんつん椿
水は天から もらい水

おどまかんじんかんじん
あん人たちゃ よか衆
よか衆よか帯よか着物

貧しい少女がつらい奉公のなかで唄ったとされるこの子守唄は、たんにむずがる背中の子どもを寝かせるための唄であっただけではないでしょう。
唄いながら、背中の子どもと「かんじん」(非人)としての自らとの格差を彼女は思わなかったでしょうか。
たとえ死んだとしても道端に埋められる自らをしみじみと思わなかったでしょうか。
あまりにも悲惨な境遇は、しかし通行人が手向けるであろう椿によってかろうじて救われています。
この歌詞通りに椿が手向けられるかどうか、それはわかりません。
そもそも、仮に手向けられたところで、彼女が知るはずもないのです。
しかしだからといって、この唄が子どものばかげた妄想だということにはなりません。
なぜなら祈りの言葉とは―少なくともそれがひそかに唱えられるとき―真偽を持たないものだからです。

私がこの唄に心うたれるのは、この椿が誰にも奪うことのできない椿であるからです。
もちろん、椿そのものは珍しい花ではありません。主人の家にも咲いていたかもしれません。
しかし、このように唄われたとき、もはや椿は彼女のかけがえのない椿へと転じています。
過酷な生のなかでかろうじて見出された美は、その祈りの言葉のなかでひそかに保存されるのです。
かつて中野重治は「お前は赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな」と言いました。
しかし絶望的な生を生きる者にとっては、「赤ままの花」や「とんぼの羽根」をひそかに口ずさむことが、そして、それらの美をもって自らの死後の幸福のささやかな担保とすることが、切実な生きのびの作法たり得るのではないでしょうか。

生きのびるということは、こんなふうに、私にとって大切な問題なのです。
それはまた、痛みや傷についての関心へと通路を開くものでもありました。

ある人が自傷行為を繰り返していて、周囲から、なぜそんなことを繰り返すのかと聞かれたときにこんなふうに答えたといいます。
―私にはひどい経験の記憶があって、その過酷さゆえにその痛みが言葉にもできず制御もできないのだ、だから自分でわかる痛み、制御可能な痛みへと変えることで気を紛らわしているのだ、と。
生きのびるために必要な痛みがあるということ、そしてだからこそ、痛みも傷つきも常習性があるということ。
そんなことを思います。

私は高校生の句作を見ていて時折「とても皆様のお口に合いそうにない」言葉に執着しているのを目にすることがあります。
しかしそのことの意味を私はいまだにきちんと理解できていない気がしてなりません。

というのも、そうした言葉が恐ろしいのです。
だからそんなとき、私はたいていこう言います―「これはちゃんとした俳句になっていない」。
そうして、指導という名の私のふるまいによって、その種の言葉はまるで恥ずかしいものででもあるかのようにノートの片すみで埋もれて(埋もれさせられて)ゆくのです。
どうして私はもっと素直に恐れることができなかったのでしょう。
結局は、既存の俳句表現に近づけることで私自身が恐れから逃れようとしていただけではないでしょうか。

ノートに書きつけられたそれは、はたして本当に俳句だったのでしょうか。
俳句甲子園に出る生徒というのは、大会までにたくさんの俳句を書くと聞きます。
あなたもまた、そのようなひとりだったかもしれません。
でも、そのひとつひとつは本当に俳句でしたか。

田中美津は「いま痛い人間は、そもそも人にわかりやすく話してあげる余裕などもち合わせてはいないのだ。しかしそのとり乱しこそ、あたしたちのことばであり、あたしたちの生命そのものなのだ」と語ったことがあります。
ノートの片すみに埋もれたいかにも「とり乱し」た言葉たちは、はたして、ひとつの優れた「俳句」が生まれるための捨て石だったのでしょうか。
多くの言葉たちが死に、「俳句」が生まれました。
私もあなたも繰り返しそれを見ながら「俳句」を書いてきました。
いまさら何も思わないし、感じることもありません。
むしろこんなふうにさえ思うでしょう。
あの言葉はよくある痛みを書いているだけだ、稚拙で退屈な痛みだ、「とても皆様のお口に合いそうにない」―。
でも、それでよかったのでしょうか。
あなたはどう思いますか。

私はたいてい、こんなことを考えてきただけでした。
しかし、周囲にとってはそれが「俳句」を読み書きしているということになるようでした。
私はずっと寂しいままですが、それはこうした周囲との乖離に根ざしたもののようです。
それでも、たまにはその寂しさがほんのすこしだけ埋め合わされることもあります。

最近初めて句集を読んで泣きました。
一昨年、佐藤文香さんの句集『こゑは消えるのに』を読んだときです。

佐藤さんとの出会いは最悪でした。
第一句集の『海藻標本』を読んだとき、あの寂しさを感じたのです。
当時は若手アンソロジーが立て続けに出た時期でもありました。
私はそのすべてにいらいらしていました。
いまにして思えば、そのいらいらの根底には、俳句が好きな同世代に突然囲まれてしまったことへの不安と寂しさとがあったのだと思います。
でも、なぜか佐藤さんの句はその後も読み続けていました。

第二句集『君に目があり見開かれ』で嬉しくなり、第三句集『菊は雪』でがっかりし、そして『こゑは消えるのに』に出会いました。
ページをめくりながら、ひとつひとつの句に佐藤さんらしい言葉が息づいているのを感じました。
しかし同時に、寂しげな印象がありました。寂しげな句集というのは初めてでした。
『海藻標本』からすでに十五年が経っていました。
そのあいだ、佐藤さんと会う機会はあまりありませんでした。
たいして好きでもないのに、ずいぶん佐藤さんの句を読んできたのだと思いました。
涙が出たのは私自身の寂しさを投影しただけなのかもしれません。
しかし、うかつに投影してしまうほど心をゆるした句集もまた初めてでした。

今日から俳句を書かなくなるあなたへ。
さようなら。
私はもうすこしだけここにいます。