5.翻訳について
👤小野フェラー雅美(平林柳下)

ご存知ない方が意外に多いのでまず申し上げると、ドイツ語はEUの言語の中で母国語として一番多く使われている言葉だ(ドイツ、オーストリア、北イタリア他)。
2023年の統計(Statista)によると、ドイツ語20%、フランス語14%、イタリア語13%で、EUをヨーロッパに広げると、ロシア語、ドイツ語、フランス語、英語、トルコ語、という順番になる。

そのドイツ語圏の翻訳業界では、他言語を母国語に翻訳するのが普通である。
ところが、日本語の様な稀な言語では、時間・分野的にそれが出来ない場合があり、母国語とほぼ同じとなったドイツ語の定評で私の所に仕事が持ち込まれる。
日独間の工業通訳・翻訳を生業とする私は、それでも、機械・化学分野の日本語を母国語ではないドイツ語に翻訳するにあたり、その分野の専門家のドイツ人に拙翻訳を必ず内容的・言語的にチェックして貰っている。
化学パテントならば、その分野で実際に仕事をしている、ドイツ語を母国語とする化学者に読んでもらい、元のテキストと比較確認の上、訂正稿をクライエントに提供する。

さて、まったく別ジャンルの短詩形文学を日本語からドイツ語に翻訳する場合はどうか?
私の場合、先回言及した日独両語記載の短歌百首選のアンソロジーでは、ドイツ語を母国語としドイツ語圏在住で詩分野の翻訳の成果を出版によって確認できる文学の専門家に翻訳を依頼した。
そのため、5~6人の日本学教授による翻訳を比較し、当時チューリヒ大学の日本学の教授の語感を選び百首の翻訳を依頼し、二人で何度も目を通し、必要のある部分は訂正していただいた。

その出版(編著・共著)がきっかけとなり、レクラム出版社の依頼で2017年に今までドイツ語圏にはなかった広範な対訳による俳句のアンソロジー「Haiku – Gedichte aus fünf Jahrhunderten(俳句–500年間に亘る詩)」(ISBN 978-3-15-011116-1)を3年がかりで出版することができた。
その際も、翻訳は上記のスイス人教授に受けて頂き、俳句の専門家として、金子兜太と黒田杏子の両氏に労をお取り頂いた。
そしてお二人は山崎宗鑑(1539以降没)~皆吉司(1962生)迄の全305句の内、正岡子規と黒田杏子間の作品の選に当たってくださった。
前後の選は翻訳教授の希望も加味しつつ私が担当した。
黒田杏子氏は労を厭わず頻繁にファクスをやりとりしてくださり、金子兜太氏に出来上がったアンソロジーをご自宅にお届けしてゆっくりお話しし、大いに喜んでいただいた。
因みに、レクラム出版社は創業1828年のドイツの老舗で、日本の岩波文庫は同社の文庫本をモデルとしてできたそうだ。

このように出版社主導の翻訳の場合は、言葉ができるだけでなく、長く日本文学の原文に接し夫々の語感をもって翻訳に当たるドイツ語圏の大学の日本学の教授たちの正念場で、第3回(7月号)の拙文で言及したように、彼らと彼らの著作は学術的にも文化的にもドイツ語圏と日本語の間を高いレベルで維持してくれている。それ以外の俳句翻訳は、小説の翻訳の様にドイツ語のみの出版が今まで普通で、短詩形とはいえ対訳でなかったため、第1回(5月号)の拙文で触れた様に、著名な作品であってもオリジナルから可也離れ、翻訳者の句となってしまい、原型がまったく浮き上がってこないテキストが多かったのが難だった。

短詩形文学の外国語訳で大切なのは、翻訳が公になる時代の語感とターゲットグループを把握することだと思っている。
正しい訳語を使っても、読み手にすんなり理解されなければ翻訳の意味がない。
アンソロジーのようなものを手にするのは母語で短詩を作っている人、詩を読む事が好きな人、そして学術的興味のある人などのグループだ。
それと並行して各出版社は、贈答用の美しい装丁の小ぶりな詩集・句集も用意している。ドイツ語圏では、誕生日や晩餐に招待された時、花やワインでなくホスト/ホステスが好む分野の本やCDを手土産にすることが多い。
その贈答用本のターゲットグループには一般に本を読む事が好き、という読者層が加わり、より広範なグループとなる。

そのような本として考えられ手掛けたのが、2015年刊行の対訳ユーモア俳句集「Herr Affe, wie geht’s?(猿どのゝ)」(ISBN 978-3-15-011014-0)と2021年刊行の対訳「Haiku der Liebe(恋の俳句)」(ISBN 978-3-15-011335-6)で、それから前者のタイトルとなったクロッペンシュタイン教授の翻訳を紹介する:

猿どのゝ夜寒訪ゆく兎かな 蕪村

Herr Affe, wie geht’s?
In kalter Herbstnacht kommt Besuch
Es ist Freund Hase          Buson

18世紀の俳句作品を一般読者のため現代ドイツ語に翻訳したわけで、他では原句に忠実に訳している彼がここでは冒険を試み、それがほれぼれするほど見事に成功した例だ。
そのまま訳したのでは散文になってしまい、蕪村らしい色も消えてしまう。
詩分野、特に短詩形分野の翻訳の難しい所がそこだ。

翻訳者は必ずしも学者でなくてもよいのだが、単に両方の言語に堪能というだけでなく、双方の文化、特に古典への相当深い造詣がないとできない技だ。
また、その場合は、実際の詩作によって長く培った語感が伴うことが前提でなければならないと思う。
いつだったか、ある読者から翻訳に関する長い感想が届き、「アオサギ」とあるのに「Graureiher」とドイツ語訳しているのは明らかな誤訳だ、「青」は「blau(英語のblue)」であって、「grau(英語のgrey, 米語のgray)」ではないではないか、というのだった。

夕焼や半身さらし歩む鳩 柳下