
現代俳句2025年6月号「百景共吟」写真提供:飯塚英夫
現代俳句2025年6月号
「百景共吟」より2句鑑賞
👤尾崎竹詩
虹の出た空の穴から来た気球 西池冬扇
子どもの頃、空に出た虹が美しさとそれ以上に不思議だったことを覚えている。
いや、もう老人の域に達している現在も、美しさに感動する。
そして虹の出る仕組みをどう説明されても腑に落ちない私がいる。
この句のように空の穴から来たと言われた方が納得できる。
気球も理屈で説明されても納得できない部分が残る。
理屈抜きでメルヘンとメルヘンが存在するという結論でいいではないか。
人智なんてちっぽけなものである。
地下鉄が地上に春コートを膝に 浅川芳直
「地下鉄が地上に」と「春コートを膝に」の二つの叙述には一見なんの脈絡もない出来事のように見える。
こういう句は鑑賞すればその句の本来の面白さが失われるのが常である。
読者が「くふっ」と可笑しみを感じたらそれで十分な俳句の類である。
敢えて鑑賞すれば地下を走るはずの地下鉄が地上を走る違和感と春コートを脱いではみたもののどこかうすら寒い感覚がしている作者が響き合っているというのである。
👤宮崎斗士
野の師父の飴色をした麦藁帽 西池冬扇
「師父」とは父のように敬う師のこと。
これはやはり俳句の師ということになるだろうか。
西池氏のプロフィールを辿れば、1970年「ひまわり俳句会」で高井北杜に師事する、とある。
高井氏は戦後、焦土と化した徳島市で、易しくて楽しい庶民の俳句を提唱し、俳句文芸の発展に尽くした方とのこと。
「露草の立ちあがり咲く古墳径」「海ひらけはや斬りむすぶ燕の矢」「ぼうたんの饐えし匂いや雨近し」といった素朴で親しみ深いその作品群に「飴色をした麦藁帽」の持つ滋味を十分汲み取ることができる。
若芝を声まつすぐに来たりけり 浅川芳直
中七「声まつすぐに」の効果に唸らされた一句である。
この措辞によって、その声の主の天真爛漫なキャラクターや、作者との気の置けない関係や、ひいては若芝全体の溢れる生命感をも浮き彫りになってくる。
この作者独特のレトリックの豊かさは四句目「恋猫の消えたる藪の明るさよ」にも。
当たり前に「騒がしさ」「賑やかさ」とはせずに「明るさ」とすることで、猫たちのとてつもないリピドー、そして恋の季節の華やぎがより一層瑞々しく伝わってくる。