モラトリアム
👤押見げばげば
父は器用な人間ではなかった。
小さいときに母(父の母)を亡くし、定時制高校に通いながら、経理畑で実直さ一本で部長まで出世したことには本当に今思うと頭が下がるが、若いころのわたしは、真面目に真面目を重ねた父みたいにはならないと思って反発していたように思う。
たまの休みに地域の野球チームに行ってみても9番打者でギリギリ仲間に混ぜてもらえているような感じ。
運動神経バツグンでラジコンヘリなんかを作って操ったりして小粋なプールバーで葉巻を吸っているような憧れる父親像みたいなものを描いては反発していたのかもしれない。
サラリーマンや会社員にはならない、真面目にやるのは格好悪いなどと、今となれば恥ずかしいことをばかり思っている自分がそこにあったように思う。
そんな父も、子どものころはいつも家族を旅行に連れていってくれた。父は運転免許を持っていなかったので、列車の旅である。
父は細かいことをやるのをわりと苦にしないひとだった。
母を早くに亡くしていることもあり、部屋の何かが壊れたとなっても、すぐに新しいものを購入しない。
不器用なりに自分で修理したり整備したりしてしまう。
旅行のときには、必ず父は旅のしおりを作ってくれた。ここに行ってここでご飯を食べて、などのスケジュールを丁寧に決めてから旅に臨むのだ。
そして、しおり通りに進んだ旅はまずひとつもなかった。その原因はだいたい父。
「あれ?カメラどこやったん?」
「あ、さっきの食事処で置いてきたかもしらん」となり、海の駅の近くの交番で旅行の半日を過ごしたのもよき思い出だ。
不器用で几帳面。
先日、実家に帰ると、父がパソコンを見といてくれ、と言う。
そのパソコンも家電量販店で買ったものではなく、古道具屋で値切って買ってきたもので、型落ちすぎて、立ち上がるのに何分もかかる。
父は終活ノートを書いたらしかった。
口座はこうなっていて、不動産はこうなっていて、と細かく記載されている、その下の方に父の挨拶があった。
存命の今に読むべきものか。
「何でもやってあげられる父ではなかったかもしれないが、要所要所で家族が集まって楽しめる思い出を積んでいこうと努めてきたつもりだ。みんな楽しかったかな?これからも家族手を取り合って楽しくやっていってほしいと思う」
いつまでも父は父だった。
なんともなまぐさい夜だった。
わたしも40代半ば。
自分はどんな大人になりたいのだろう。
そうだな、不器用で几帳面な大人もいいな。
傾ぐ
押見げばげば
friendのendの部分けふちくたう
揚げ足を取つてばかりの金魚かな
チョコレートファッジほろほろ夕焼けぬ
眼鏡屋のスタンドまはす帰省かな
夜の秋たたみにテレビ台の跡
夜濯やモラトリアムの味のガム
薬罐噴くまへのしづけさ銀盞花
心臓があるから淋しアンタレス
押見げばげば:1978年生 いつき組
第60回現代俳句協会全国大会協会会長賞
第1回日本俳句協会賞新人賞
ふりかえるときらきら光る
👤玉眞千歳
ダダダダーン
玉眞千歳
今朝の夏エポック告げる検査薬
鬼灯の透け感胎児眺めたし
龍淵に潜むひとりの身ではない
『運命』のダダダダーンで春生まれ
愛せるかわかるものかよ朧月
乳呑児のはだしを風が味見する
ベビーカー(=推進力)を買って夏
つかまって立つ子の一歩去年今年
去年の今頃にはまだ這うこともしなかった息子が、いまや自在に駆け回り、花を指差し、しきりになにか語りかけてくる。
俳句をはじめて4年目の夏がきた。
年明け、俳句誌「銀化」の新人賞を受賞した際のスピーチでは、これを「大学に通うだけの年数」と表現した。
そう思ってふりかえると、積み上げてきた時間の長さをしみじみと感じる。
その時間に見合うだけの句を詠めているだろうか?
わからない。
けれど、この時期にしか詠めない句を詠んできたことだけは確かだ。
妊娠についての句を1年、うまれた子については1年とすこし。
それを150句にまとめた句群が、去年ありがたいことに北斗賞の佳作をいただいた。
今回はそのなかから7句を抜粋し、最後の1句にはすこし時間をあけて今年はじめの句を選んだ。
正直に言うと、俳句をはじめたときは何年も続けるつもりはまったくなかった。
生まれついての三日坊主なので、これまで幾度となくはじめてはやめてきたたくさんの趣味のひとつになるだろうと思っていた。
ただ祖母が癌で亡くなり、遺された家族が元気になるまで連絡をとる口実として1、2ヶ月詠めればいい。
それぐらいのきもちだった。
けれど私はなぜだか俳句にのめりこみ、句集を買い、SNSで発表するようになり、俳句結社にはいり、賞へ応募しては一喜一憂するようになった。
薦められて購入した歳時記は、これまで放り出してきた趣味の遺物(ペンタブ、一眼レフカメラ、電子キーボード……等)の仲間入りをすることはなく、いまでも通勤用の鞄のなかにある。
その4年のうちに、祖母の死をきっかけにはじまった私の俳句は、いつのまにか妊娠と育児という生を詠むものに変わった。
最初の2年間は1日10句を掲げて、実際それをすこし上回るくらい盛んに詠んでいた。
いまは勢いをおとして、それでも1日1句は詠んでいる。
過去の句をさかのぼると、ああこの季節にはこんなことを考えていたなと様々なことが思い出されて懐かしい。
芸術をやろうというよりは、ほとんど日記に近い、記憶の標という感じだ。
基本的に詠んだら詠みっぱなしで、俳誌に提出するときぐらいしかふりかえることもない。
でもそれで良いと思っている。
息子が十歳、二十歳になって、やがて巣立っていったとき。
いま詠んでいるこの句たちにふれて、懐かしくこの時間をふりかえることができれば、それで良い。
そう思って詠んでいます。
玉眞千歳(たまま ちとせ):1994年生まれ
2022年 作句開始、「銀化」入会
2024年 第15回北斗賞佳作
2025年 「銀化」新人賞、同人