阿波踊りと阿波人形浄瑠璃
👤上窪則子

全国的に紹介できる「もの」「事」「場所」が少ない徳島ではあるが、私の脳裏に浮かぶ、ふるさとの「もの・こと・場所」として、四国巡礼八十八カ所を巡る白装束の遍路文化を上げたい。
巡拝するお遍路さんの姿と、その背景は四季を通して四国四県の誇れる景色であり歴史ではないかと思えるからある。

そして、その八十八ヶ寺の一番札所「霊山寺」から二十三番札所「薬王寺」までが「発心の道場」として人々の心を癒し慈しんでくれる心のふるさと「徳島」だと思っている。
近年、日本人よりも外国からの巡拝者が多くなり、世界的な認知度を得たことも時代の変遷のひとつかも知れないが、ひとりふたりで巡る徒遍路や、観光バスの通れない寺への細道を集団で歩く姿や、気軽に自家用車やオートバイで巡る遍路の姿であっても、全てに趣が感じられるのではなかろうか。

全国でも国宝の無いふたつの県のうちのひとつが、我がふるさと「徳島」であることから、他県に比較して秀でた歴史文化遺産のない徳島のささやかに誇れるモノ、誇りたいモノのいくつか紹介したいと思うが、四国の右下と銘打った海辺の鄙びた漁村の景勝地や、「そら」と呼ばれる県西部に源流を発する四国三郎吉野川の阿波青石による奇岩群の「大歩危小歩危」、子泣き爺他の民話伝承地である山城町の「妖怪の里」、平家落人伝説の「平家村」そして「祖谷のかずら橋」など郷愁を誘うお勧めスポットは交通その他の利便性に欠けるため断念し、敢えて徳島駅を軸に周辺巡りを取り上げてみたいと思う。

●阿波踊り

まず、徳島の夏と言えば何を置いても「阿波踊り」である。
全国津々浦々、お国自慢の盆踊り、精霊踊りがあるように、ここ徳島にも、神代踊り、鉦踊り、風流踊りなど、地域毎に連綿と受け継がれてきた盆踊りは幾つもある。
しかし、鉦と太鼓と三味線による二拍子の音曲に合わせて激しく踊る阿波踊りは誰の心もウキウキとさせそして坩堝へと誘う。
阿波っ子にとって唯一無二の踊りといえる。

岸風三楼句碑(撮影:上窪則子)

藍場浜公園に据えられた岸風三楼の「手を上げて足を運べば阿波踊」の句が表すとおり、高々と両手を天に突き上げ、腰を落として足を右左と前に運ぶだけで誰でも踊りに参加できるのが魅力のひとつでなかろうか。
また、「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊りゃな ソンソン」、そして「私の心も浮いてきた」のお囃子が、人々の心を虜にし、踊りの渦へと誘う。
まさに真夏の祭典として桟敷に踊り込む踊り連の勇壮な男踊りと、しなやかな女踊り、そして可愛いちびっ子連も、観客の衆目を浴びるのである。
城下としての徳島は「ひょうたん島橋めぐり」のクルーズ船が就航しており、「水都徳島」を町川から巡るのも一興がありお勧めしたいと思う。

眉山山頂のモラエス像(撮影:上窪則子)

徳島駅から真っ直ぐ南への道を突き当ると眉山がある。
「眉のごと 雲居に見ゆる 阿波の山」と万葉集にも詠われている眉山山頂へは、ロープウエイで登ることができる。
標高290Mの頂上からは紀伊水道を挟んで和歌山や、鳴門海峡大橋、そして淡路島の眺望も楽しめる。
また山頂広場には蜂須賀桜をはじめとして四季折々の花や野鳥の声が楽しめるのも魅力であろう。
広場に佇む「望郷」と名付けられたモラエス像の眼差しは、遙かふるさとポルトガルへと思いを馳せるようである。

●阿波人形浄瑠璃

阿波人病状瑠璃(撮影:上窪則子)

徳島には郷土色豊かな人形の文化がある。
藍で栄えた商人達によって伝承文化のひとつとして形作られた人形浄瑠璃は、浄瑠璃語りの義太夫と太棹の浄瑠璃三味線、そして三人の黒子による人形使いが演ずる人形芝居である。
演目は「傾城阿波の鳴門」が一番多く常設演舞場としての「阿波十郎兵衛屋敷」を始め、日時を決めて開催する各地の「阿波農村舞台」があるが、名人と称された人形師初代天狗久の頭や衣装などを保存する県立郷土文化会館展示室や、松茂町民俗資料館など常設展示場があるのでこれらを巡るのもいいだろう。

かつての門付けを継承する「阿波木偶箱廻し」は、現在世界各地へと羽搏く伝統文化となっている。
阿波木偶人形の頭は大阪文楽の人形頭より少し大きく仕掛けや絡繰りがあったりと舞台に引き込まれること請け合いである。

阿波木偶三番叟(撮影:上窪則子)

●季語と認知して欲しい郷土ゆかりの忌日

①写楽忌(3月7日)
東洲斎写楽が埼玉県越谷市の寺の過去帳により、阿波藩の能役者齋藤十郎兵衛と同一人であると判明したことにより、その命日を写楽忌として顕彰していく。

②モラエス忌(7月1日)
ポルトガルの総領事であり、外交官、作家であったヴェンセスラウ・デ・モラエスが晩年を徳島で過ごし75年の生涯を徳島で閉じた。
墓は眉山麓の潮音寺にオヨネとコハルと列んで建っている。

③夢道忌(10月9日)
藍住町出身の自由律俳人である橋本夢道は「動けば寒い」、「十万の下駄の歯音や阿波おどり」、「蜜豆をギリシャの神はしらざりき」など個性的な句を著している。
しかし、まだまだ認知度は低い。

最後に、俳句愛好家のひとりとして、上記三人の忌日が季語として認知されるよう全国的へ向けて発信しなければと思い、季語として認知されることを願っている。
歳時記に掲載されるのは、さて何時になるだろうか。
そんなことを思いながらふるさとを巡るのも結構いいものである。