👤花谷清選
『現代俳句年鑑2025』110P~142Pより
【特選句】
パントマイム入道雲の揉み応へ 佐怒賀正美
台詞を使わず、仕草や表情だけで演じられるパントマイム。
よく知られた演目の〈壁〉では、手の平の静止の位置が、何もない空間に見えない壁が存在するかのごとく演じられる。
「入道雲」の場合は演技が難しそうだ。
ことばを使わずに「入道雲」が表現できるだろうか。
この句は何も説明していないが、「揉み応へ」は顔の表情と、揉む仕草の生き生きとした身振り手振りを通して伝わるのであろう。
場面を想像するとたのしい。
【秀句5句】
砕かれて輝く硝子イースター 小林博子
金魚田へ注がれてゐる金魚かな 齋藤朝比古
吾と同じマフラー戦場の画像 齋藤雅美
白服揃う午後は真夏になる朝 鈴木修一
母の日の待たるることもなき夕餉 関根誠子
【1句目】粉々に割れた硝子が輝いている。これはグリッターガラスであろう。きらきら光る復活祭の色とりどりの染卵がうかぶ。
【2句目】大きな容器から、金魚田に注ぎ込まれる金魚たち。個々の魚としてではなく、流体として注ぎ込まれる質感が捉えられている。
【3句目】日々のニュースで目にする戦場の映像。映っていたのは、自分が使っているのと同じマフラーだった。今日では、平和な生活も戦場とまったく異なる世界ではないという気づき。
【4句目】毎年、くり返し経験する朝なのであろう。更衣を終えたころの、溌剌とした白服の生徒たちを前にして、授業の始まる期待に満ちた瞬間である。
【5句目】かつて「母の日」には、共にする誰かに夕餉が待たれていた。今はそうでない喪失と、何かを成し遂げた充足とが、綯い交ぜになった感慨だろうか。
👤太田うさぎ選
『現代俳句年鑑2025』215P~244Pより
【特選句】
孝行のあとの恍惚金鳳花 彌榮浩樹
旅行に連れて行くといった大げさなことではなくても、たまに顔を見せたり、話を聞いたりといった些細な気遣いでも、親は喜んでくれるものだ。その喜ぶ姿に触れたとき、子としても心がじんわり温まる。だが、その温もりは、親の喜びに共感しているのではなく、孝行をした自分に酔っているのかもしれない…。作者は、そんな自己陶酔への自嘲を込めて、「恍惚」という語を反語的に用いているように思われる。
句の音の構成にも注目したい。「孝行」「恍惚」「金鳳」と、K音とオー音が繰り返されることで、どこか読経のような律動が生まれ、句に余韻と深みを与えている。「金鳳花」は小さく可憐な花だが、その名には「鳳凰」という荘厳なイメージが含まれ、どこか夢幻的で陶然とした印象をもたらす。
晩年の両親との記憶が呼び起こされ、個人的にも深く胸に響く一句だった。
【秀句5句】
春浅し骨董市の黒電話 元田亮一
討入りの日やコンビニで金おろす 山本則男
秋声や一字の額に掛けかえる 養学登志子
蓑虫のすでにゲームを降りてゐる 横田佐恵子
秋澄むや妻は正しいことを言ふ 若林卓宣
【1句目】一定の年代から上にとっては馴染みのダイヤル式黒電話。「春浅し」が懐かしさと時代の移り変わりを物語る。
【2句目】コンビニなら現金引き下ろしも気軽で手軽な筈が妙にものものしいことに。取り合わせのセンスが光っている。
【3句目】自分の心の声に耳を澄ます季節。一字の潔さと余白に静けさが深まる。
【4句目】風に吹かれるがままの蓑虫を隠遁者のように捉えた。作者はまだ降りる気はなさそうだ。
【5句目】正しいことが常に最善であるとは限らないのだが。夫の複雑な心中が季語から伺える。