特集「昭和百年/戦後八十年 今 現代俳句とは何か」
私と現代俳句
── 多様な視点からの語りで ──

わたしの「現代」体験と「現代俳句」
👤大崎紀夫

①川を見るバナナの皮は手より落ち 高浜虚子
②昭和衰へ馬の音する夕かな    三橋敏雄
③秋の近江かすみ誰にも便りせず  森澄雄
④陽炎より手が出て握り飯摑む   高野ムツオ
⑤持ち上げてまたそこに置く鏡餅  青山丈

①1995年に「俳句朝日」創刊編集長になってしばらくたったころ。
何人かの俳人に高浜虚子はいい、というと、何であんなつまらないものがいいのだ、とさんざんいわれた。
多くが石田波郷系の俳人だった。
そこで「波郷読本」をなんどか読んだが、いくつかの句以外にはまったく興味が湧かなかった。
逆に虚子の〝つまらない句〟の最高峰は何かと読んでいって、この句に行き着いた。
〝人間を探求する〟とか〝心を詠む〟とかにはまるで気が向かない者には、この句は世界の〝存在〟を示した句、〝宇宙につながる句〟といっていいように思える。

②三橋さんには講演後、3時間ほど話をうかがったことがある。
『眞神』を読んだのは亡くなった後で、しまった、と今も思う。
この句についての解釈はいろいろあるが、あれこれ自由にイメージを膨らませて読んでいる。
作句の背景は関係なく。
そのイメージはいつも茫漠とひろがるもので、はっきりした形をとることがない。

③森さんとは2泊3日の吟行旅行を十数回し、宿での夕食後の雅帖回しは30回近くなる。
森さんはよく「大きい句を作りたいねえ」といっていた。
ここで森澄雄の大きい句はどんな句かと読んでいって、この句もそんなひとつと思った。
これも〝宇宙につながる句〟と思える。

以上3句は、わたしには常に問題としてある句で、いつの時代のものとして読む感じはまったくない。

次の2句は、同時代の句として読み、そして問題としてある。
④3.11を詠んだ句の多くに納得のいかない思いを持った中で、この句に出合ったときには、救われたような気がしたものだ。
極限とでもいうべき情況下で句を詠んだり詩を作ったりする場合、何によって対峙するか、ということにひとつのはっきりした答えを出した句、だと思った。
その思いは今も続いている。

⑤青山丈さん、柳生正名さんたち20人近くの人達の「棒」という同人誌に参加していて、この句に出合ったときは本当にビックリした。
作りたいと思っていた句が目の前に現れたからだ。
④ ⑤共に同時代の現代の俳句。

改めてわたしにとって「現代」という言葉はどう感受されているのか考えてみた。
まず自分がいま生きている時代という思いが湧く。
しかし、3.11の問題は依然として現代の問題としてある、と考えると、2010年くらいまでが現代なのか、と思いが広がる。
戦後という時代があった。
それが終ったのは、わたしにとっては1960.6.15。
安保闘争が〝一応〟終った日。

〝現代文学〟ということで考えると、大江健三郎以降、〝現代詩〟ということでは、鮎川信夫など〝荒地〟派は戦後派という感じで、わたしにとっては吉本隆明、谷川雁以降といった感じが強い。
〝現代映画〟というと、「灰とダイヤモンド」を観たのは1959年で、そのあとのヌーヴェル・ヴァーグあたりからが〝現代〟という感じ。
〝現代思想〟というと、大して勉強しなかったが、実存主義、構造主義あたりからが〝現代〟かなと。

そして、〝現代俳句〟。
西池冬扇さんは、最近「棒」の最新号でこんな事を書いている。

…私は「現代俳句」となづけるべきはその俳句の質に関係するべきだと思う。
…こと俳句であるから、表現様式と表現内容の二側面から考えよう。
こと表現様式に関しては表現法の多くの試みは近代に於いて成されてしまった。
…もちろん今後も種々の試みは現れよう。
それは時代的に現代俳句と呼ぶことはあり得よう。
しかしもっぱらの私の興味は表現されるべき内容(興趣と私は呼んでいる)にある。
…私にいわせれば(月刊『現代俳句』の)アンケートで示された多くの「現代俳句」は「近代俳句」でしかありえない。
多くが近代的手法と興趣に裏打ちされているからである。

西池さんのいう〝興趣〟がどういうものか具体的に示してほしいが、わたしにとってそれに相当するのは前出の④ ⑤の句あたりにある。

ということで、2010年以降を〝現代俳句〟としてもいいのだが、わたしには金子兜太の〈人体冷えて東北白い花盛り〉が依然として現在の問題としてある。
「冷えて」の「て」を切字とする人は多いようだが、わたしはこの「て」は切字というよりふたつの異質のフレーズを木に竹を接ぐように瞬間的に結びつける強烈な「瞬間接着剤」だという思いがある。

この句が詠まれたのは1960年代、瞬間接着剤を使ったこの方法の句には以降お目にかかっていないので、(フレーズ+フレーズの句はいっぱいあるが)わたしにとってはこの辺りからが〝現代〟でもいいのかな、という思いがあり、1960年あたりからあとを大ざっぱに〝現代俳句〟としてみる。

 


不透明な時代の透明で不透明な体
👤小川楓子

経済が低迷し、気候変動の影響が加速する時代を生きる若者たちにとって「普通」という言葉一つとってもかつてとは、意味合いが異なる。
「普通に美味しい」とは「なかなか美味しい」という意味で使われることが増えた。
それだけ不透明な時代に「普通」の状態を得て継続させる困難さを感じる。
木田智美の

イエローピコゆれ落ち明日は普通がいい

は〈イエローピコ/ゆれ落ち/明日は/普通がいい〉と揺らぎのある韻律を感じながら読みたい作品である。
黄色のミニトマトであるイエローピコは可愛らしいが、地震への不安は切実である。
通常時でも「普通」は上々なのだから、非常時の「普通」のかけがえなさは痛切である。
1993年生まれの木田は〈好きじゃないけど今バナナ気分です〉など俳句甲子園出場時より愛らしい作風である。
その一方で〈原爆忌絵の具の黒は使わない〉〈平和ぼけをください晩夏ですので〉において、戦争の記憶や現在の世界の紛争をさりげなく提示する。
木田は、俳句甲子園経験者ながら、技巧的な俳句を作ろうとしない。
愛おしいもので自らの世界を保ちながら、率直に書きたいものを表し続けている。

1980年生まれの佐藤智子は、就職氷河期世代に当たるが、時代の不遇を嘆くのではなく、少しの諦めと自愛によって自らを守っているように感じる。

お祈りをしたですホットウイスキー

〈したです〉という少女のようなつぶやきは、ホットウィスキーにより大人として生きるほろ苦さとなる。
古いめのニュータウンなりオクラ買う〉の〈古いめ〉という措辞は、古めでは言い表せないニュータウンの哀愁を掴んでいる。
また、少し古びたニュータウンと採れたてでは無さそうなオクラが響き合っている。
通常の用例とは異なる措辞を使うことは、いわゆる「正しい日本語」への小さな抵抗である。
怒りでも皮肉でもなく揚げられる反旗はあくまで穏やかである。
自らを守ることと社会へ攻め入ることをともに充実させながら作者は歩んでゆく。

1995年生まれの大塚凱の作品は、前述の二人のようなはっきりとした作者像を結ばない。

泳ぐ手をひかりがばらばらに包む

仮想現実が現実の一部になった今、作品の身体性は希薄である。
同様に〈流燈にまなうらはつぎはぎになる〉も断片的な記憶や映像が浮かんでは消え、身体の気配は微かである。
さて、透明になった身体を甲冑のように守るのがレトリックである。

あたらしいコーラが痛い木のひかり

身体の痛みだろうか、それとも最近使われる「場違いな言動などを見苦しいと感じる」という意味だろうか。
コカ・コーラのウェブサイトを見ると「RealMagic#日常は魔法だ」とある。
過剰に明るい文句で販売されるコーラに軽い違和感を感じているとすれば読み解きやすい。
しかし、作品としては、実際の心身の痛みと捉えた方が謎めいた魅力がある。
やはり、両方の意味をかけて読みたい。
コーラの作品は、一句における情報量が多く、それをZIPファイルに圧縮してパスワードをかけたような印象がある。
そのように、圧縮されたものは拡張され、物の輪郭、光の彼方に消失してゆく。掴めそうで何一つ掴むことができない。

あなたさくらにうもれやすさうな胸〉〈肺ひとつあなたの素肌越しに聴く〉はいずれも胸部に注目している。
「見える」ということは「隠す」可能性を含んでいることを感じる。

これらの作品は、記号としての胸以外の主人公のパーソナリティや二人の背景を知ることはできない。

ところが、作者の眼差しが社会に向けられた時、にわかに意図が鮮明になる。
起立して敗戦の日の貌つくる〉〈敗戦日シーツの上の美顔器も〉では、敗戦日に対するアイロニカルな視点が現れる。
先頃、中学、高校の歴史教科書から従軍慰安婦の記述が消えたが、1997年に新しい教科書を作る会の運動が始まって以来、従軍慰安婦や731部隊などの記述はすでに激減していた。
教育から戦争の諸問題が消されたならば、敗戦日に思うことが減るのは当然である。
プール園埋めても墓の足りない街〉〈桃に灯や寺ひとつないまちづくり〉においては、都市計画に対し冷めた眼差しを注ぐ。
体の部位や恋の句には実在しない作者の意思が、社会を見るときにのみ現れる。
いや「本当にそれで良いのですか」と問いかけるため、姿を現さざるを得ないのだろう。

大塚を含む30代以下の現代俳句の潮流にレトリックの多用や透明化する身体という特徴がある。
それは、他の同時代芸術においても同じである。
これからも、現実と非現実の曖昧な作品は増え続け、レトリックは益々凝らされてゆくだろう。
しかし、あえて違う道を選ぶ作家もいるはずである。
仮想現実とレトリックの果てに、私たちは次に何を見るのか。
未来が恐ろしくもあり、楽しみでもある。

 


君の俳句は「近代俳句」
👤西池冬扇

〇「現代」に作ったから「現代俳句」、ではない

君の俳句は「近代俳句」だねと誰かに言われたら、多くの俳人はどんな反応を示すだろうか。

特集アンケートの質問項目〈現代俳句の「現代」を時期として捉えると〉は、編集部の「ぼーっと生きてんじゃないよ」というチコちゃんの声として聞こえる。
アンケートの詳細は掲載誌を読んでいただくとして、私が(予想どおり)驚いたのは結果の「多様性」である。
「俳句自由」の開かれた精神を基本理念とするならばそれで問題はないのだが…。
多様性とともに〈平成以降〉という回答が一人なのにも驚いた。
私としては、現代俳句は時間的区分より内容(時代の興趣)の問題として捉える。
もしアンケートに答えるなら、「興趣は時代の思潮に沿って生まれる」、「現代俳句の興趣は未来志向であるべき」という考えで〈平成以降〉を選ぶ。
より正確に言うと選択肢ではないが〈バブル崩壊以降〉になる。

〇時代の興趣という考え方

日本の詩歌はその文体もさることながら、詩歌の趣とする内容(私は興趣と呼んでいる)に大きな特徴がある。

時代の興趣はその時代を生きる人々の精神性や社会状況・宗教観・美意識などを反映している。
万葉時代の素朴な生命力、平安時代の雅で繊細な情趣、中世の無常観、そして江戸時代の庶民文化と洗練された美意識。
これらは次々日本人の心の生活を豊かにしつつ現代に至っている。

さて明治維新で日本は資本主義の時代に入る。
思潮的には合理主義、「個人主義」の時代である。
近代は資本主義の時代でもある。
だが時と共に近代合理主義も陰りがさす。
新しい価値観へのパラダイム変換必要性を最も象徴的に示したのはバブル崩壊だろう。
この考えからすれば巷間「現代俳句」と呼ばれる俳句の多くは近代日本を特徴づけた興趣にもとづく「近代俳句」である。
あえて「現代俳句」と呼べるのは、現代の人間が新しく生み出したと思われる事象と興趣を対象として未来を指向している俳句としたい。
アンケートの「顰みに倣い」私の「現代俳句」五句を選んでみた。

〇現代に特徴な興趣を求めたのが「現代俳句」

「現代俳句」と呼ぶべき興趣の句を例示する。

*新しい宇宙観・自然観・生命観・物質観に起因する興趣

これは極めて現代的といえる。
マクロ的ミクロ的な人間の視野の広がりは現代では我々の想像を凌駕しており、ある種の虚無感を生み出すほどである。
自然観も人間と自然を対立させた近代合理主義と明確な一線を画している。
人間の感覚を自然に同化させたいくつもの句がこの頃みられる。

じゃんけんで負けて蛍に生まれたの 池田澄子

この句は仏教的輪廻の興趣ではない。
生命が究極的には無数に存在する微塵の一つに過ぎないことを考えさせると同時に、それがじゃんけんのように確率に支配されているおののきが興趣となっている。

雪ひとひら光ったまま消える マブソン青眼

6月に句集『ドリームタイム』を作者は上梓。
モノ存在と波動性の関係を美しく捉えたまさに「量子」世界の俳句。

*時代の社会的様相に起因した興趣

彎曲し火傷し爆心地のマラソン 金子兜太

広くいえば「時事俳句」と呼ばれる俳句はこの範疇に属する。
だが時事俳句には、ややもすると醸し出す興趣が欠落するきらいがある。
核兵器は単なる兵器でなく人間の存在そのものを決定しうる死の大魔王であり、単なるモノの領域を超えたことを認識したのが現代である。
他にも「老い」はもはや興趣の領域と思わざるをえない。

*新しい虚無感に起因する興趣

でで虫が机の上でいなくなる 青山丈

丈氏の俳句は日常の暮らしで我々が気づかない不条理な空間の入り口をそっと指さしてくれる。
声高でないゆえ、安らぎの興趣と評する人も多い。
だがそれは、無意味という非情の空間である。
近未来の興趣はそのような虚無を明るい虚無と捉えよう。

*言葉に翼を与える空間を

こと俳句に関して言えば、他の詩歌のジャンルに比して、近代に次第に活力を失っていったように感じている。
坪内稔典氏は言葉が空間を生き生きと飛び回っていた力を取り戻そうとしている俳人である。

たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ 坪内稔典

作者稔典氏はしきりに「たんぽぽのぽぽ」は貞門『続山井』にある「手ずれ」た言い方だ、鼓のぽぽという音だ、といいつのる。
しかしもともと日本の短詩型は意味の多重性の世界に遊ぶはずではなかったか。
私は「むっつりなんとやら」なのであろうか、タンポポ(朱くなったぼぼ)のポポのあたりがモヨオシテ火事のようだと訴えているように思えてならない。
そういえばこの句は「手ずれ」の句でもある。

 


心に響く俳句を
👤木暮陶句郎

人はどうしても、あらゆるものをカテゴライズしたがる傾向にある。
それは何故か。
その対象を自分なりに理解したいからである。
ただの「俳句」というより「現代俳句」と言った方が集合的には狭まり、少しでも解りやすくなったような気がするからである。
ちなみに「現代」の時代的定義は戦後から現在まで、明治維新以降から第二次世界大戦までを「近代」と言っていいであろう。
それ以前の江戸時代、芭蕉以前から続く俳諧が蕪村、一茶を経て近代の正岡子規によって俳句に変貌したのは周知のとおりである。
それを受け継いだ俳句作家たちは、俳句に対する主義主張をさまざまに展開して俳句が多様な発展を遂げてきた。
17音の型を破った種田山頭火や尾崎放哉に代表される「自由律俳句」。
季題を重んじ「花鳥諷詠」を広めた高浜虚子。
俳句に於ける「自然の真と文芸上の真」を主張した水原秋櫻子。
「俳句研究」座談会のなかで山本健吉によって定義された「人間探求派」の作家たち。
そして「俳諧自由」を旗印に無季容認や外国語による三行詩までもが俳句と呼ばれてきた。
これからもさまざまな俳句に於ける主義主張が生まれては残り、また消えてゆくのかもしれない。

さて、そんな概要を踏まえて私にとっての現代俳句とは何かを考えてみた。
私が初めて本格的な俳句に触れたのは稲畑汀子の指導する「ホトトギス」若手の勉強会「野分会」に入会した時のことである。
ピリッとした空気のなか、皆緊張の面持ちで短冊に自作の五句を書き込み提出、清記の後句会が厳かに始まった。
あらかじめ提示された季題を1か月の間、実際に観たり感じたりして俳句を詠んで句会に臨むのである。
また年に1度「夏行」と称した鍛錬会があった。
全国からホトトギスの若手作家が汀子のもとに一堂に集う夏行は刺激的だった。
若者たちが汀子の懐で大いに遊び、作句を競い合った思い出は私の宝となっている。

汀子は虚子の孫である。
若い頃から虚子に付いて学び花鳥諷詠や「客観写生」などの虚子の教えを引き継ぎ、さらに洗練させた「伝統俳句」の継承者である。
その対立軸にあったのが金子兜太に代表される前衛的な「現代俳句」だ、というのが私にとっての最初の認識だった。
しかし俳句に深く関わるうちに俳句には伝統も現代もないのではないかと思うようになった。
よい俳句はよく、読み手の心に響くものである。逆にどんなに主義主張を叫ぼうとも、作品としてダメな俳句は他人に響かない。
ここで言う他人とは、ある程度俳句を理解し鑑賞力が育っている人である。
そこに鑑賞者の俳人としての立ち位置が絡んでくると少し難しい問題が生じるが、概ねよい俳句というものは、確実に歴史に刻まれるように残ってゆくと私は信じている。

私が生業にしている陶芸の分野でも、さまざまな括りがある。
まず陶芸は工芸美術のなかの一分野である。
染色、彫金、漆芸、木工、七宝、人形、陶芸などを総称して工芸と呼び、ここにも「現代工芸」と「伝統工芸」が存在する。
現代工芸は作品に自分なりのストーリーを盛り込み、素材の可能性を広げつつ過去に見たことも無い斬新な作品を目指すもの。
伝統工芸はそれぞれの素材を生かし、伝統技法をさらに磨き上げ、洗練された作品を目指すものである。
ただ、それらはやはり主義主張に過ぎず、出来上がった作品に於いてのみ評価が与えられる。

俳句も同様なのではないだろうか。
どんな切り口で俳句を詠むかは作家個人にゆだねられている。
人間も含めた大自然を季節の移ろいのなかで見つめ普遍的な美を追求するもよし、モダニズムをもって型にとらわれず心象風景を前衛的な語法を用いて構成するもよしである。

現代に生きる我々が、何にインスピレーションを得て俳句というフィールドでどのように遊ぶかが個々から生まれる新しい俳句の鍵ではないだろうか。
伝統が古く現代が新しいという認識も当たらない。
すべてのカテゴリーを取り去って作品で勝負する時代が来ているような気がするのは私だけであろうか。

現代を今と捉えるならば、つねに未来志向で新たな挑戦をしてゆく姿勢が俳句作家にとって大事であろう。
その時代その時代の先人たちが残してきた、よい俳句は大いに手本としたいが、それを超えようとする志がなければ俳句作家として活動する意味がない。

終りに、私が指標とする俳句を挙げてみたい。

去年今年貫く棒の如きもの   高浜虚子
頭の中で白い夏野となつてゐる 高屋窓秋
万緑の中や吾子の歯生え初むる 中村草田男
一月の川一月の谷の中     飯田龍太
おおかみに螢が一つ付いていた 金子兜太
落椿とは突然に華やげる    稲畑汀子
閑かさや岩にしみ入る蝉の声  松尾芭蕉

「現代俳句五人五句」のアンケート結果が多岐にわたったのは回答者の個性、心に響く俳句の幅である。