👤蜂谷一人(はちやはつと)
俳壇賞受賞

連射
肘立ててゲーム連射や街薄暑
靴紐を結ぶ高さを梅雨の蝶
真清水や上下に動く喉仏
幾重にも風を閉ぢこめ白牡丹
夏の夜や無線に入る星の声
一瞬を切り取ることから、俳句は「言葉の写真」とされてきました。
しかし実際には、動きを伴うものも多く、私はそれらを「動画的俳句」と呼んでいます。
ここにはその例として自作の五句を提示しました。
例えば一句目ですが、ゲームに熱中する少年のアップからカメラがズームバックして、彼がいる街の風景を映し出すような映像を伴っています。
ヒチコックの「裏窓」のように、室内からカメラが窓を超えて通りに出るように演出出来るかもしれません。
三句目には切字「や」を用いています。
「や」は異なる映像をつなぐ編集点の役割を持っています。
従って、この句は2カットで構成されます。
ファーストカットは清水のアップ。
2カット目に動く喉仏の映像が続きます。
映像のモンタージュ効果によって、作中人物が清水を飲んでいることが読者に了解されます。
動画と捉えることで、俳句をカメラワークや編集などの用語を用いて批評できるようになるのです。
「連射」5句を読む
👤月野ぽぽな
在住のアメリカから日本への一時帰国の最中、「連射」五句を鑑賞する機会に恵まれた。
優れた観察力と洗練された表現力が描き出す蜂谷一人さんの夏世界を味わいたい。
▶肘立ててゲーム連射や街薄暑
スマホを横にした状態で両端を両手で持ち、親指で画面をタッチすると標的に向かって弾が放たれる仕組みのゲームか。
動作を支えるためにカフェのテーブルに立てる肘にも力が籠る。
幼少期からスマホを自然に使いこなす世代、デジタルネイティブの若者が見えてきた。
現代を捉えた新鮮な初夏の一句。
▶靴紐を結ぶ高さを梅雨の蝶
散歩の途中で靴紐を結び直すその手元を蝶が通り過ぎた。
「結ぶ手元を」でなく「結ぶ高さを」という措辞が、湿気の重さゆえに低く飛ぶ「梅雨の蝶」の様はもちろん、梅雨独特の空気感をも伝えることに成功している。
▶真清水や上下に動く喉仏
「上下に動く喉仏」という即物的措辞が優れていて、読者は清水を飲んでいる男性を思い浮かべることができる。
真清水の心地よい冷たさ、おいしさも伝わってくる。
▶幾重にも風を閉ぢこめ白牡丹
牡丹は花の王といわれる中国渡来の花。
重なり合う多数の花弁に風が吹く様を「幾重にも風を閉ぢこめ」と捉えて秀逸。
この屈折を含んだ繊細な表現は後宮の女性を彷彿させ、自由な風に憧れて幾度も風をその身に孕めども自由が叶わない牡丹の白が哀しく美しい。
▶夏の夜や無線に入る星の声
アマチュア無線は、電波を使ってコミュニケーションを楽しむ趣味で、世界中の人と繋がる面白さが魅力。
交信中に入ってくるノイズを「星の声」とした詩的な想像力が素敵。
その声は何を語るのだろうか。読者の想像力の翼も広がってゆく。
心地よい読後感の中、すでに俳句の母国、日本への来年の一時帰国を楽しみにしている自分に気づいた。
👤月野ぽぽな
角川俳句賞受賞
ビルの陽
冴返る絵に戦士の死戦馬の死
調弦のざわめき紫陽花のゆらめき
紅葉且つ散るビルの陽に消えながら
森に降る雪の匂いの一軒家
永き日の駅のすみずみまでバッハ
「星の島句会」はニューヨークにゆかりのある仲間との句会。
長年、マンハッタンの五番街の一角にて対面句会を行なっていたが、新型コロナの爆発的な感染拡大により、2020年4月から急遽ネット句会に移行。
そして昨年3月、日本在住の仲間も参加するネット句会を継続しながら対面句会を再開した。
再開後は現地の仲間と、季節に一度吟行句会をしている。
ちなみに今まで訪れたのは、再開初回の句会ともなった春のニューヨーク市マンハッタン・メトロポリタン美術館、夏のマサチューセッツ州タングルウッド音楽祭、秋のマンハッタン・セントラル・パーク、冬のニューヨーク郊外・スカースデール。
そして今年の春は、ニューヨーク港に面するバッテリー・パーク。
米国にて始めた日本の文芸、俳句は、洋の東西を問わず、私を様々な人との出会いや様々な場所との出会いに導いては、その都度新しい自分に気づかせてくれている。
俳句の恵みは限りない。
月野ぽぽな「ビルの陽」を読む
👤蜂谷一人(はちやはつと)
▶冴返る絵に戦士の死戦馬の死
どんな絵なのだろう。
まずそのことが気に掛かる。
戦争の絵といえば、ピカソのゲルニカ。
でも日本の絵の方が良さそうだ。
例えば、渋谷駅構内に公開されている「明日の神話」はどうだろう。
全長30メートルに及ぶ巨大壁画で、岡本太郎の作。
原爆が炸裂する瞬間を描いたもので、人は燃え上がり動物たちは画面の外へ逃げ出そうとしている。
明日の神話が正解なのかどうか、慎重に次の句を吟味してみよう。
▶調弦のざわめき紫陽花のゆらめき
調弦という音楽用語が登場する。
ふとこの連作は、協奏曲のようなものなのかも知れないと思う。
一句ごとに季節が変わり、主旋律を担当する楽器が変化してゆく。
二句目のメロディーを奏でるのは紫陽花。
白から青、青から紫へ、彩りを変えながら次の楽章へと進んでゆく。
▶紅葉且つ散るビルの陽に消えながら
早くも紅葉の散る季節になっている。
紅葉の赤と陽の金色が印象的な一句だ。
連作の中で最も美しい場面。
ゆったりとしたテンポで秋の旋律が奏でられている。
弦の音色を煌めかせながら音楽は静かにデクレッシェンドし、余韻を持って消えてゆく。
▶森に降る雪の匂いの一軒家
春から始まった連作は四句目でついに冬へ。
登場するのは雪の匂いのする家。
前の句で描かれたビル街には、そぐわないようにも見える。
となれば実際の景色ではなく、音楽から導かれるイメージなのか。
白く静謐な世界を描きながら、謎は次の章に引き継がれてゆく。
▶永き日の駅のすみずみまでバッハ
再び春。
一句目が渋谷駅だとすれば、始まりの場所へと戻ってきた。
ここに至って連作を貫く音楽が、バッハのものであったことが明かされる。
演奏を見下ろしているのはおそらく「明日の神話」。
月野ぽぽな作「ビルの陽」は、原爆後の再生がテーマ。
わずか五句で一年を駆け抜けながら、循環する季節を協奏曲になぞらえた作品。
そう読んでみたのだが、はて。