海鞘(ほや)の山
👤岩手*さいとう白沙

朝市や噴火しそうな海鞘の山 さいとう白沙

写真提供:さいとう白沙

海鞘が最も美味しいのは6月から8月で、身が厚く香りも良い。
初めて口にする人でも山吹色の身と、食した後の仄かな甘みに魅了される。
これというのも鮮度の良い殻付きの海鞘ならではのことだろう。

海から揚がったばかりの海鞘は赤みを帯びて艶があり、瑞々しい張りに命の証を宿す。

鮮魚店では台に氷を敷き詰め、その上に海鞘をどんと盛り上げる。
客はその海鞘の山から選り取り見取りで買うのが浜の習わしで、美味さもまた倍増する。

海鞘には天辺に二つ、口笛を吹くかのように突き出る孔がある。
吸水孔と排水孔だが、見詰める内にだんだん噴火口に見えて来て、埒も無い妄想を助長させる。

 


商人屋敷の生糸蔵
👤滋賀*上森敦代

大西日商人屋敷の生糸蔵 清水瑛子

琵琶湖の湖北に位置する長浜市は古くから養蚕業の盛んな地域で、江戸時代には農家の副業として養蚕は貴重な収入源でもあった。
繭から取り出される生糸から、長浜ちりめんや輪奈ビロードの絹織物、琴や三味線のといった和楽器の弦の生産が行われ、今に受け継がれている。

写真提供:上森敦代

北国街道はかつて、京都や大阪と北陸を結ぶ主要な街道であった。
長浜市は北国街道の宿場町であり、同時に琵琶湖の湖上交通の港町としても栄えた。
街道沿いには舟板塀やべんがら格子、虫籠窓や白壁の土蔵を有する商家がかつての名残を今に伝える。

 


被爆の樹
👤長崎*前川弘明

骨の音水の音する被爆の樹 藤澤美智子

被爆のクスノキ:長崎市公式観光サイトより

この句に詠まれた被爆の樹は、1945年8月9日の午前11時2分に長崎市浦上に投下された原子爆弾中心地から、南へ直線で約800メートルの位置にあり、浦上駅からは国道を挟んで真向いにある。

被爆のクスノキ(楠)は山王神社の神殿に通じる参道に在るので道路から狭い石段を登って行かねばならない。
石段の途中には石造りの鳥居が立っており左半分が爆風で無くしたまま立っているので、片足鳥居と呼ばれている。
さて、神殿へ行くに更に石段を登りつめると、やっと7メートル幅ほどの参道となり道の両側にどっしりと大きなクスノキが並んでいる。

今、クスノキは皆青々と葉を拡げており、記録写真に残された無惨な姿はないが、作者が見た被爆のクスノキに、軋むような骨の音水の音を聴いたのだろう。
そして今も耳から離れないのであろう。