五人五句アンケートをめぐって
松王かをり
▶はじめに
『現代俳句』5月号6月号、両号にわたって掲載されたアンケートの結果について論考し、さらに私見を述べよとの依頼がきた。
これはかなり大変だと思ったが、「現代俳句」というものについて考えてみるいい機会になるかもしれないと思い、依頼を引き受けた。
アンケートは、「1.私が推す「現代俳句」五人五句選」、「2.現代俳句の「現代」を時期として捉えると」という2つの質問からなっている。
もしアンケートが単に「私が推す五人五句」であったなら、回答はそう難しくはなかっただろうが、現代俳句の時期をたずねる「質問2」が、なかなか厄介である。
そのうえ、まず「質問2」をはっきりさせないと、推しの五人も選ぶことができない。
したがって、この論考も、現代俳句の「現代」を問う「質問2」を中心に論じていきたい。
1.私が推す「現代俳句」五人五句選
2.現代俳句の「現代」を時期として捉えると
①昭和以降 ②第二次大戦終結後 ③平成以降 ④時期の限定はない ⑤その他(正岡子規以降など)
3.コメント
▶Ⅰ「2.現代俳句の『現代』を時期として捉えると」
この質問には選択肢が5つ用意されていたが、いったい協会役員25人は、どこからを「現代」とするのか、とても興味深くその結果を待っていた。
以下がその結果である(氏名はアイウエオ順、敬称略)。
① 昭和以降 4人
(木村聡雄、小林貴子・永井江美子・柳生正名)
② 第二次大戦終結後 6人
(青木鶴城・上田桜・田口武・筑紫磐井・津高里永子・福本弘明)
③ 平成以降 1人
(黒岩徳将)
④ 時期の限定はない 9人
(秋尾敏・網野月を・大石雄鬼・久保純夫・近恵・佐怒賀正美・対馬康子・なつはづき・宮崎斗士)
⑤ その他 5人
正岡子規以降 2人(長井寛・星野高士)
碧梧桐以降 1人(後藤章)
「馬酔木」独立以降 1人(堀田季何)
新興俳句以降 1人(神野紗希)
このように回答は分散した。それは、それぞれの「現代」という言葉の捉え方の違いによるが、大きく2つに分類することができるだろう。
つまり、「現代」というものに対して、「④時期の限定はない」とする回答(9人)と、なんらかの時期的な線引きをしようとする他の回答(16人)である。
⑴ 時期の限定はない(9人)
まずは、「④時期の限定はない」とした回答から。この回答は、「現代」を主観的、心情的に捉えていると思われる。
「現代の読者に深い感銘をもたらし、その生き方に影響を与えた句はすべて現代俳句であろう(秋尾敏)」に代表される、主として俳句を享受する視点にたってのコメントもあれば、「時代の変化の中で捉えがたい『現代』を手探りで追い求め続けること、『俳句による現代の認識』がつまりは現代俳句である(対馬康子)」のように、主として実作の視点に立ったコメントもある。
さらには、その混合と思われるコメントもあって、享受者あるいは実作者としての視点の濃淡はそれぞれながら、いずれにしろ、この9名は、時間軸を取っ払って、自らと俳句そのものとの対峙による回答だったと思われる。
したがって、この中の4人が「私が推す五人五句」に松尾芭蕉の句を挙げているのも納得である。
⑵ 時期を区切ると(16人)
次に、「⑤その他」も含めて、どこかに時期的な線引きをしようとした回答をみていきたい。
時代順に見ていこう。子規こそが「現代俳句」の先駆者であることを第一義とした「正岡子規以降」が2人。
「(現代俳句は)自分の内なる自然をいかに解放するかの闘いの軌跡であったのではなかろうか。
その意味で忠実なる写生を試みて破綻に至った河東碧梧桐を現代俳句の魁に置く(後藤章)」とする「碧梧桐以降」が1人。
そして時代は昭和に入る。「①昭和以降」(4人)を選んだ小林貴子のコメントを、少し長いが引用する。
「水原秋櫻子が『自然の真と文芸上の真』を発表したのが昭和六年。そのころから無季・自由律を含む『新興俳句運動』が活発になった。太平洋戦争前の俳句弾圧と、戦中・戦後の混乱期を経て、社会性俳句、前衛俳句が大いに展開された。
この一連の流れの端緒がちょうど昭和初期に当たるので、私にとっては現代俳句の時期はやはり昭和初年からというイメージがある(小林貴子)」。
この考え方は、「⑤その他」と回答した「『馬酔木』独立以降」の堀田季何、および「新興俳句以降」の神野紗希と重なっている。
したがって、表現の潮流が『ホトトギス』から新興俳句に移っていった昭和初期の俳壇の動向を、「反ホトトギスの俳句革新運動」としてまとめると、「⑤その他」(2人)も含めて6人となり、ひとつの大きな山となる。
次の山は、同じく6人の「②第二次大戦終結後」である。
前述の「反ホトトギスの俳句革新運動」に、「戦後」という概念が加わり、さらに桑原武夫の「第二芸術」論を受けて、「俳句は『現代俳句』たり得るか」という課題が設定されたとする考え方である。
そこに展開したのが社会性俳句であり、筑紫磐井は、「後期社会性俳句からは表現に関心を移し、プレ前衛俳句、やがて伝統派における心象俳句が詠まれるようになり、金子兜太、飯田龍太、森澄雄、能村登四郎らが戦後世代を構築した」という見解を寄せている。
ここから時代はうんと下って「③平成以降」が1人。
1990年生まれの黒岩徳将は、「現代俳句」を、出来る限り時代の先端に触れている「現代」性を帯びる俳句だと捉え、「推しの句」として制作年の比較的新しい作品を挙げている。
▶Ⅱ 私見
さて、ここからは私見である。
「現代俳句」の「現代」はと考えて、まず浮かぶのが「近代俳句」という言葉である。
「現代という時期の限定はない」とする回答に惹かれつつも、「現代俳句」というからには、それ以前の「近代俳句」というものとの比較で成り立っていると私は捉えたいと思うのである。
この「近代俳句」は、やはり「近世の俳諧」に対して否とした正岡子規からだと考える。
では「現代俳句」はいつからか。
今日にいたる俳諧、俳句の歴史は、さまざまな問答の歴史でもある。
ホトトギスに否を突きつけた昭和初期の俳句革新運動、ここからを「現代」とする考え方も、もちろんよくわかる。
が、俳句史、さらに視野を広げて文学史からみると、昭和からすでに100年、秋櫻子の「馬酔木」独立以降(昭和6年)からも90年以上経っている。
そして戦後80年となった今、私は「②第二次大戦終結後」と回答したいと思う。
「第二芸術」論の少なからぬ衝撃、そしてなにより、それが直接句に現れているかどうかとは関係なく、否応なく「戦後」という概念が共通認識としてあったこと、さらに敗戦国日本という空間の中で、どのようにこの詩型を更新してゆくのかという共通の課題に立ち向かおうとしていた時期であったことが、その根拠である。
しかしながら、これは現時点での回答である。
これもそのうち「昭和俳句」と一括りとなって(もちろん昭和俳句の中での時代区分はあるだろう)、「後期近代俳句」に位置づけられ、今回のアンケートではたったひとりの回答だった「平成以降」が、「現代俳句」と呼ばれる時代がくるであろう。
「現代」は流れていく。
広島や卵食ふ時口ひらく 西東三鬼
あやまちはくりかへします秋の暮 三橋敏雄
はじめに神砂漠を創り私す 津田清子
じゃんけんで負けて蛍に生まれたの 池田澄子
人間を乘り繼いでゆく神の旅 堀田季何
三鬼の句で、俳句初学の頃だった私が最も衝撃を受けたのは、〈算術の少年しのび泣けり夏〉であった。
モダンな韻律に目を瞠った。
とはいえ、「現代」を第二次大戦終結後と回答した以上、戦後の〈広島や〉の句を挙げた。
新興俳句の頃のみならず、戦後も戦争句には無季の句がたくさんある敏雄だが、原爆死没者慰霊碑の「過ちは繰返しませぬから」をもじったこの句には、「秋の暮」という季語が使われている。
日本古来の美意識につながるこの「秋の暮」という季語は、「日本」そのものを表す言葉として使われている気がしてならない。
季語でありつつ季語を超越しているこの季語の使い方に感嘆した。
現在への予見に満ちた句でもある。
津田清子の『無方』の冒頭、「砂漠」の47句のほとんどが無季である。
「砂漠」自体が、季節を拒むかのような存在であることを考えてみると、なるほど、砂漠の本意は「無季」ということになる。
真っ正面から砂漠と対峙したからこその無季であり、一連の句は、俳句の可能性を大いに広げたと思われる。
池田澄子のこの句は、たった十七音、しかも口語でこんなことが詠めるのだと心が震えた一句である。
文学の最も大きなテーマである「生死」を、こんなに軽やかに、けれど深く詠んでいることに驚嘆した。
幼いながら戦争を体験し、父を亡くしたことから、折に触れては生死について思いを馳せてきたのであろう。
その揺るぎない死生観が、澄子句を底支えしている。
堀田季何は無季句も作るが、この句のように逆手に取ったような季語の使い方も巧みである。
ドーキンスの「生物は遺伝子の乗り物」という説はともかく、人間の「おろかさ」は確実に受け継がれている。
さて「神」とは…現在の俳壇において、最も時代の先端に触れながら作句している俳人のひとりであろう。
それなのに、現代詩と俳句が蜜月であったエスプリ・ヌーボーの頃の匂いもして、目が離せないのである。
▶おわりに
上記の論考ではほとんど触れることができなかった「推し句」アンケート結果の「作者別」を見ると、富澤赤黄男、高屋窓秋、渡邊白泉、西東三鬼といったやはり新興俳句の作家が上位を占めている。
そんな中で断トツ一位だったのは、金子兜太である。
25人中17人が金子兜太の句を挙げたのは、長い作句活動の間、常に「現代」の先端に触れながら作句活動を続けた証左と言えるだろう。
しかしまた別の見方をすれば、大戦終結後の俳壇において、時代を画するほどの大きな論争がなかったがゆえということもできるだろう。
現在、ほぼ無風状態で昭和百年となったが、やはり俳句史の更新は必要である。
「昭和百年/戦後八十年 今、現代俳句とは何か」という年間テーマのもとに行われた今回のアンケートは、その課題を浮き彫りにしたともいえるのではないだろうか。