現代俳句2025年4月号「百景共吟」(写真提供:飯塚英夫)

「百景共吟」より2句鑑賞

👤尾崎竹詩

猫の恋言葉尽きたる夜ぞ深き 高山れおな

恋猫は場所とか時間を問わず異様な声を出して雌猫にアピールし続けるものである。それだけ恋のエネルギーは強く、ある意味純粋なのかもしれない。人間にとってはいささか辟易とする場面ではあるがこれも動物の本能、性として受け入れるしかない。この句の面白いところはその雄猫のだみ声が聞こえなくなった後のことを読者に想像させるところである。猫の恋だけに関わらず恋は摩訶不思議な熱病なのかもしれない。

菜の花や渡す二個目のメロンパン 五十嵐秀彦

百景共吟の桜と菜の花の咲き誇る写真を活かし、そこから発想を飛ばしたのであろう。桜花爛漫の空気感(温度・匂い・明るさ・気持ちなど)を全く別のものを借りて表現されている。それがメロンパンの見た目・匂い・食感・味などである。さらに二個目となるとかなりの満腹感を催してくる。美しい景色もずっと見ていると見飽きて来るのかも知れない。その感覚が二個目のメロンパンを渡された感覚と似ているというのである。

 


 

👤宮崎斗士

祝婚歌改行し改行し春の山 高山れおな

中七「改行し改行し」から察するに、この上五はやはり、かの有名な吉野弘の「祝婚歌」であろうか。「二人が睦まじくいるためには愚かであるほうがいい/立派すぎないほうがいい/立派すぎることは長持ちしないことだと気付いているほうがいい」で始まる一編の詩。「~ほうがいい」のリフレインで成り立つこの詩の優しくクリアな提言に、春の山の瑞々しい空気感を確かに汲み取ることができる。作者の吉野と、祝われる側のご夫婦とが共に人生の春を散策し満喫する……そんな麗しいひとときが見えてくる。

語りたきことのいくばく師なき春 五十嵐秀彦

この「師」はおそらく二年前に他界された「藍生」主宰・黒田杏子さんのことだろう。作者のブログ「無門日記」に「3月13日が黒田杏子先生の命日。急逝されて早くも2年経ってしまいました。(中略)なにより亡くなったことがどうしても信じられない思いがあり、それが2年経っても変わらない」とある。私の師金子兜太もやはり春(2月20日)に亡くなった。命日が来るたびに、師の他界後の諸々……亡き師に聞いていただきたいことが様々に浮かんでくる。色華やかな春のモノクロームな哀悼のありようが伝わってくる一句。

なお今回、高山氏「桜人に花菜痺るるほど甘し」、五十嵐氏「菜の花や渡す二個目のメロンパン」と、お二方とも菜の花の佇まいに「甘味」を取り合わせていることが興味深かった。