3.題材について
小野フェラー雅美(平林柳下)

私が最初から興味を持ったのは、ドイツの俳句作者たちのテーマだった。彼等は「何」を詠っているだろう?3か月毎に発行されている『Sommergras(夏草)』夏号(6月、№149)が偶々届いたので、今回は今号の会員作品欄中の作品に当ってみた。1/2回目に紹介したこの欄には選者の目を通さずに、会員が発表したい作品が一人一句選評なしに掲載され、選者の目を通した別の俳句作品とそれに対する撰評はそちらの欄で読める。現代俳句協会会誌ならば、参加者数が違うとはいえ『現代俳句の風』欄に当たるだろうか。経歴の長短を問わずそこに自作品を出す会員と出さない会員がいるのも、日本と同じだ。

全40作品を大雑把に、①自然/景物詠、②日常/心理詠、③時事/社会詠と3つに分けてみると、①が12句、②が4句、①②混合が19句、③が3句で②③混合が2句だった。

協会創立会員で役員も長く務めるヴィルト氏によると、ドイツで俳句が作られるようになった19世紀の終りから1988年の協会創立前までは疑似ロマン派的俳句が主流であったそうだ。確かに、当時出版されたアンソロジーや句集には、日本古典・近世作品を紹介する書籍に日本語によるオリジナル表記が併記されなかったため、有名である筈の作品のドイツ語訳を読んでもオリジナルの句姿が立ち上がらないものが多く、オリジナル句を教えて欲しいと言われても見つからずに困惑した経験がある。結局そういった「翻訳」は「俳句」という名のもとに出版された翻訳者の短詩であるとしか言いようがない。その意味では、ロマン派的に甘い翻訳を手本として実作された「ドイツ語俳句」の傾向が80年代中頃より変わり始めたと知り、上記の①②③の結果にもほっとしている。また、芭蕉俳句から、「俳句=哲学」といった把握が多いのでは?という私の懸念は、実作品を見る限りないようで、今の会員作品が写生のみに偏っていない事が分り、これも独自の動きが進みつつある現状を嬉しく思った。

フランクフルトのグループが核となって協会を立ち上げてからは、より広い意味での、枠を広げた作句が可能になったという。ドイツに俳句形式が紹介された頃は、日本で主流であった子規・虚子の俳句が手本とされ、その句作法のみが紹介されたため、川名大氏『昭和俳句史』で言及される所謂「偏狭な俳句観」が蔓延した。そのため、①が今も半分はあるのでは?と思っていた私は少し驚かされた。個人と自由性を重んじるドイツの俳句作者たちは、「見たままを写生感覚で詠み自分を出してはいけない」と教わったその枠を窮屈に感じていたようだ。

それに加えて、ホルスト・ハミッチュ(1909-1991)、ゲザ・ドムブラディ(1924-2006)、エッケハルト・マイ(1937-)、エドゥアルド・クロッペンシュタイン(1938-)といったドイツ語圏の日本学者たちの翻訳・研究により、日本文学や俳句・短歌作品がロマン派的感覚を持つことなしに理解されるようになったと言っても過言ではないと思う。様々な流派の「俳句」という詩と詩形が出来るだけそのままの形で伝わらなくてはドイツ語で俳句を作ろうとしても単なる三行詩や一語だけの超短詩にしかならないからだ。

さて、①②が一緒になった例と③の例を挙げ、下に拙試訳を置く。偶々両方とも無季句。前者の形は眼前に見える景から内面に入ってゆく形で、一番多い。③は「広義の社会性俳句」に入ると思う。特に、実際120万人に膨れ上がったウクライナ難民を抱えているドイツの現在の日日常加味すると考えさせられる内容が詠われている。

Regentropfenperle
winzig auf meiner Schulter
Wir sind Freunde
     Claus-Detlef Großmann

雨粒が
ちっちゃく僕の肩の上
(僕たち)友達だね
     クラウス‐デトレフ・グロースマン

 

pausenhof
niemand will
krieg spielen
     Alexander Groth

校庭よ
誰も戦争ごっこ
したくない
     アレクサンダー・グロート

政治談議が好きなドイツ人たちなので、時事句が多いかと思いきや、そうでもない。難民の多い巷からの作品もなかなかない。この号には一句だけ、そういった見知らぬ人から四葉のクローバーを貰った、という作品があったが、少し作為が幹事られた。

実際の社会現象をそのまま詠むのは気が引けるのか。令和5年の『現代俳句』誌、赤野四羽氏が現代俳句時評(10)「大盥・原爆・震災・原発」で書かれているように、こういったテーマに「広義の当事者」でない者として中々その内容に取り組めないのかもしれない。そういう意味でも、私は次の小さなドイツ語圏選集で幾つかそういった現在の日本で長い寿命を持つであろう作品も参考として紹介したいと思っている。

今年一月号、川崎果連 氏が「「地球の住人」としての俳句」で、「私は、常日頃から自分の事を「地球の住人」だと考えている」と書かれた。そういう内容を持つ作品は、同じくレクラム出版依頼により編著したアンソロジー(2017年、山口宗鑑から皆吉司までの305句)中に正木ゆう子氏の作品(「いつの生か鯨でありし寂しかりし」と「十万年のちを思へばただ月光」)を入れることでほんの少し紹介できたと思っている。

「ドイツ俳句はドイツ俳句として独自の道を拓いてゆきたい」と思っている作者が多いことを知っている私は、上から目線にならない程度に心して、現代日本の俳句や今まで紹介されてこなかった主流以外の作品を紹介することにしている。

河童忌や隣より芝刈りの音 柳下