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一句評  赤野四羽

秋暑し竜のにほひの情事せり         

 文字通りの「官能的」な一句である。英語ではおそらく“sensual”というのだろう。情事を扱った句は、湿度が高くなりがちである。「にほひ」を扱うならなおさらだ。しかし掲句はいかにも乾いている。それは「秋暑し」のためもあるが、なんといっても「竜」であろう。この表記は東洋の龍ではなく、西洋のドラゴンを指す。炎を吐き、硬い鱗の質感がある。秋の乾いた空気、だがまだ涼しくはなく強い陽光が照る。吐息は炎のように熱を孕み、硬い肉体同士の摩擦が、むしろ焦げた匂いを発するようだ。あえて日本の情緒に引き寄せるとすれば、安珍・清姫伝説が近いだろう。僧の安珍に思いを寄せた清姫は土壇場で裏切られ、蛇に化身して道成寺の鐘ごと安珍を焼き殺す。しかしこの句では悲恋ではなく、お互いに化身して成就した結末を感じさせる。幻想と情熱と頽廃を練り合わせて発酵させたような、実に大人の味わいの俳句を楽しみたい。

 

一句評  赤羽根めぐみ

 さくらさくら祖母を燃やした火はどんな

 祖母が亡くなって火葬を終えた後だろうか。あるいは火難に遭われた後かとも想像した。いずれにしても、「祖母を燃やした」は、そう言い放った凄みを感じさせる表現である。そういえば、50句作品のタイトルは「火の聲」だった。「声」ではなく「聲」だという。つまり「火」とは神であり、「祖母を燃やした火」とは「祖母を燃やした神」ということではないかと私は読んだ。

 生き物の生命が尽きたとき、現世に残された者たちは別れを悲しみ、その心身の苦痛にいたましい思いを持つものである。だが、そこに、死にゆく者だけに聞こえる「聲」を発する者が現れたならば。これからも生き続けていく作者にはまだ聞こえない「聲」。「さくらさくら」が、その「火」が猛々しいものであった様を想像させるが、同時にその「聲」を持つ者の大きな懐に祖母は永遠に委ねられたのだというかすかな安堵も感じられた。

 

一句評  楠本奇蹄

さくらさくら祖母を燃やした火はどんな

 ときに、目に見えないものを詠まねばならないという不思議な使命感に駆られることがある。ここでの「目に見えない」とは単に網膜に像を成さないという意味に過ぎないのだけれど、この句の「火」もそんな存在だろう。現代の火葬における火は会葬者の目からは遠ざけられており、それを「どんな」と想うことで、祖母を燃やすという直截的な言い回しと相俟って、死者を葬る行為を生々しく読み手に突きつけている。

 作中の祖母もまた、見えないもののひとつ。この世にもう存在していないという点でもそうなのだが、祖母にまつわる作中主体の感慨も明示されていない。だからこそ、祖母への愛、あるいはそれだけではない複雑に絡み合った感情や祖母との時間をも連想させ、それが「燃やした」という即物的な表現で断ち切られることで、いっそう胸を抉る。

 さらに、これら目に見えないものを繋ぎとめ、フレームの中に収める役割を季語に担わせていると考えると、句に骨格を与える作者の力量を感じざるをえない。

 題である「火の聲」は、こうした目に見えない存在を描き出すという宣言のようにも感じられ、そこに大いに共感する。その一方で、連作中のいくつかの句については、作為が見えすぎるように感じられたことを告白せねばならない(例えば闘魚と火星、頭の隅と針金虫など)。ただ、このあたりは飽くまで私の感じ方であり、岡田一実のことばを借りるなら「それぞれ別の頂がある」ということなのだと思う。

 実のところ、私がこの句に惹かれた理由として、自分も過去に驚くほど似た句を作っていたということがある。おそらくは異なる頂を視界におさめているだろう作者との間に、思わぬ共鳴を感じる———それこそが互いに開かれた俳句の悦びなのだと、強く再認識させられた。

 

一句評 土井探花

とは言へ神には蓑虫を生む童心 

 一読、唐突とも言える「とは言へ」にわしづかみにされる。完全な逆接ではない。先行の事柄を認めつつも、それに反したり矛盾したりすることを述べるのに用いる言葉である。

 とすれば掲句における「先行の事柄」とは何だろう。神に「童心」、それも蓑虫のようなか弱く淋しいものを生む繊細かつ無邪気な心がある一方で、それとは逆の一面も持っていること、とわたしは読んだ。

 それは老獪な現実主義や厳しさなのかもしれない。掲句の直前に配置された「孵卵器の予熱八月十五日」を踏まえて、人間の戦争や殺戮の前に沈黙している神が提示されているともとれる。

 換言すれば作者はさりげない言葉から神の二面性、或いは多面性という信仰における永遠のテーマのひとつを導き出し17音で表現しきっている。畏怖すべき作品であり、大器の片鱗というよりはすでに老成した力を受賞作の「火の聲」の随所に見いだす所以である。これからの活躍が楽しみであり恐ろしくもある。