WEB版『現代俳句年鑑2025』を読む
福本弘明選(現代俳句年鑑2025 p110~p142より)
特選句
少女来て五月の幹に触れにけり 末永朱胤
人生を四季に例えるならば、春から夏へ移るのは何歳くらいであろう。成人年齢を18歳に引き下げたことを考え合わせると、春はおよそ高校生くらいまでと言えるだろうか。季節の移ろいと人生のステージの関係は受け入れやすい。特に中年を過ぎると、四季のどの辺りにいるのかを意識するようになる。歳を重ねると、サミュエル・ウルマンの「青春の詩」にあるように、青春とは年齢に関係なく心の持ち方なのだと自分を励ましつつも、人生の季節が二度と戻らないことを十分承知している。
そんな大人の目線で掲句は詠まれている。「少女」には危うさも感じるが、少女自身は人生の季節など意識していない。「五月の幹」は少女がこれから踏み出していく世界であろう。明るく清々しい五月であるが、美しい新緑を支える幹の硬い樹皮は手ごわい世間や複雑な大人社会を想像させる。
秀句5句
小春日の転がり落ちる大庇 湖内成一
切り過ぎた前髪ラジオより梅雨明 近 恵
田を植える姨捨山に尻向けて 斉田 仁
なんとなく家族みな居る春の夢 島 彩可
只管打座してふところに青山河 杉本青三郎
1句目、立派な寺社の建造物を見上げているのだろう。穏やかな日差しに包まれ、リフレッシュできたに違いないと思われる気持ちの良い景。2句目、節約のためか暑さのせいか、自分で髪を切ったら切り過ぎた。「ラジオ」とともに、こだわりの生活スタイルを思わせる。3句目、先祖から代々繋いできた田植と棄老伝説の山の取り合わせに加え「尻向けて」の措辞が明るく頼もしい。4句目、「なんとなく」であっても家族全員が揃っているのは幸せだ。揃っているときはわからないけれども。5句目、座禅の先に「青山河」があれば理想だが、この句の「只管打座」は、ひたすら俳句を書くことではないだろうか。そうすれば自然の大地が見えてくる。
田中の小径選(現代俳句年鑑2025 P215~P244より)
特選句
抱けそうな月が出ていて帰れない 吉田典子
手が届いて抱けそうな大きな月。このまま家に帰るのは惜しいほど月の美しさに感動されたのだ。月を愛でる心は人類のDNAに組み込まれているのではないかと思う。詩歌の世界でも圧倒的地位を占めているし、「冷たい月を抱く女」と言う映画の題名も印象的だった。遠い未来には月の資源開発、軍事基地、人類移住の構想もあると聞く。月を見上げる度に人間達がうろうろしているなど考えたくもないのだが。
秀句5句
メビウスの帯に戦争雁来紅 水口圭子
古民家に若き移住者山萌える 宮川三保子
月下独酌羽化登仙をこころざし 村松二本
大体のこと受け入れて敬老日 保田紺屋
月光に触れゆく手より老いゆけり 山本則男
1句目、人類は古来より戦争を繰り返している。まさに無限ループに陥っているのだ。雁来紅の暗い赤が暗示的。2句目、過疎の村の古民家に若者が移住されたのだろう。村の明るい未来を期待。3句目、二つの四字熟語が一見重く感じられるが、ひらがなで書かれた「こころざし」と言う措辞で全体を軽やかに包み込んでいる。4句目、人生の諦観と達観が滲み出ている物言い。斯くありたし。5句目、詩的把握に魅了される。人は己の手を見た時、ハッと老いを知る。