「現代俳句」の地平

足立 攝

《俳句に対する今日の認識》

 ぼくは俳句をふつうの日本文学だと思ってきたし、そのつもりで俳句に接してきた。ところがどうもそう思わない人が多いことに気づいてきた。

 俳句がふつうの日本文学だというのは、小説やエッセーや戯曲や詩……と同列にある文学だということだ。あえて「日本文学」と書いたのは、俳句は日本の精神風土に負うところが多いと思うからだ。

 ある種の人は(というより、そちらが主流派かも知れないが)俳句に特別な「伝統」の冠をかぶせたがる。その冠は実に多様で、あるときは「俳句は俳諧を基本にする」とか、あるときは「俳句は季語を主役にする」とか、「挨拶と滑稽」とか「座の文学」とか「歴史的仮名遣いで書くべき」……とか、枚挙にいとまがない。

 あるTVバラエティの「俳句の先生」役を担うタレントは、その番組を始めるために、生まれて初めて着物を着たと語っていた。古臭くする演出が俳句を俳句らしく見せると思ったのか、古さの競い合いを始めた。その番組でレギュラー陣と小学生の俳句対決が行われたことがあったが、出場した小学生たちが着物姿で現れたのにはのけぞってしまった。

 歴史や伝統は何にでもある。たとえば今ぼくの目の前に、愛用のボールペンがある。油性と水性の中間に位置するジェル状のインクで、書き心地は最高である。瞬時に乾いて用紙を汚さないし、胸のポケットに刺していてもインクが洩れたことはない。ペンとインクの歴史は紀元前3500年のメソポタミ文明に遡るが、このジェル式のボールペンはその歴史の中の画期的な発明となるだろう。だがぼくはそのいきさつを知らないし、知りたいとも思わない。そんなことを知らなくとも十分このボールペンの特性を知っているからだ。歴史や伝統を知らなくてもボールペンは使いこなせる。

 俳句はどこが違うのだろうか。松尾芭蕉によって俳諧の連歌の発句が独立させられたとか、その独立によって俳句は宿命的に「切れ」を自身の中に内包することになったとか、どうして文学的興味を削ぐことをくどくど教えたがるのだろうか。その歴史を知らなければ俳句が書けないということは断じてない。

 一般社団法人現代俳句協会が最近出した俳句入門書に『始める!俳句』がある。読んでみると驚くだろう。俳句入門書と謳われているのに、そこに書かれているのは季語や定型、切れなどの説明。そして九割方!が俳句の変遷史である。そこからは文学的な情熱や創作の楽しさなどは何も伝わってこない。ぼくたちの日本語という「ことば」の、力強さや繊細さに対しての言及もない。文学はその歴史を学ぶことが順当だと考えているのだろう。こんな冊子をあてがわれ、こんな冊子で学ばされる新会員に同情を禁じ得ない。

 

《俳句の歴史》

 人類における文学の歴史は長い。現存する世界で一番古い詩は、紀元前3千年のパピルスに書かれた「ギルガメシュ叙事詩」といわれている。人類は5千年も前の文明の黎明期に、もう詩を手に入れていたことになる。

 それでは世界最古の小説は何だかご存じだろうか。シェークスピアを思い浮かべる人もいると思うが、彼が活躍したのは日本に換算すると戦国時代以後で、全く新しい。今からたかだか四百年ほど前のことである。

 ほぼ定説になっている世界最古の小説は、何と日本のもので、平安時代中期の源氏物語である。NHK大河ドラマ「光る君へ」で、にわかに脚光を浴びた。もう千年も前の成立である。

 同様に世界最古のエッセーは、源氏物語と同時期に書かれた枕草子と言われている。世界最古の小説とエッセーが、ともに日本で生まれたというのは誇らしいことであるし、その作者が紫式部と清少納言という、ともに女性であることも感慨深い。

 それでは最古の俳句はいつ誕生したのだろうか。江戸時代に流行した「俳諧」を、近代文学としての「俳句」に進化させたのは、かの正岡子規であるが、今からわずか百二十年ほど前のことである。俳句ではなく、その前身の俳諧を見ても、成立は松尾芭蕉の江戸時代で、今から三百五十年ほど前である。他の文学の成立と比べると驚くほど新しい。

 なぜこうした文学の成立史をたどったかというと、小説やエッセーの千年にも及ぶ長い伝統に比べて、俳句の歴史はきわめて短いこと、つまり俳句はごく最近できた新しい文学であることを確認したかったからだ。

 この若い俳句が、なぜこんな分不相応なほどの伝統を押しつけられることになったのか──。理由はいろいろ考えられるが、全ての原因の背後には、俳句界が閉ざされた世界であったことがあげられるだろう。俳句界は他の文学のように自由な相互交流をせずに、国民の文学であることを拒み続けた。俳句愛好者だけの狭い「ムラ」を作り、ムラだけで通用するさまざまな言葉や掟を決め、それがガラパゴス化して肥大してきたのだ。そしてこれらの背後には歴史が浅いがゆえのコンプレックスがあったに違いない。

 アメリカの建国は1776年、赤穂浪士の討ち入りよりも74年後のことである。イスラエルの建国はもっと新しくて1948年、戦後の建国だ。世界における彼らの傍若無人な振る舞いは、この歴史の浅さによるコンプレックスが根底にあると言っても、それほど的外れにはならないのではないだろうか。俳句がことさらに古めかしい衣装を着けたがる根底と、ぼくはよく似ていると思うのである。

 

《文学と文学史、俳句と俳句史は違う》

 小説を書きたいと思う人が、紫式部の出身地である京都詣でをしたり、近代小説論を日本で初めて著した坪内逍遥の岐阜県へ「聖地巡礼」したという話は聞いたことがない。しかし俳人はなぜか子規庵が大好きだ。松山や東京根岸の子規庵には多くの俳人が押しかける。ばかばかしいと思いながらぼくも訪れた口だ。

 文学と文学史は全く別ものである。どちらが価値があるかなどを論じているのではない。どちらも全生涯をかけて探求する価値のあろう分野であるが、決定的な違いがある。文学は芸術であり、文学史は芸術ではないということだ。芸術は常に現代に開かれている。

 だから俳句を俳句史の延長に位置づけるのは根本的に間違っている。もういい加減に俳句は、あらゆる過去の足枷から逃れ、純粋に現代に向き合う文学になっても良い時期ではないだろうか。

 正岡子規や高浜虚子、金子兜太などの巨人たちは確かに歴史に残る大きな仕事をした。彼らの俳句文学についての言及も数多く残っている。しかし忘れてはならないのは、彼らはその時代の開拓者で、時代の最先端を切り開いてきたということだ。時代を切り開くとは、それまでの常識を打ち破るということで、それゆえ彼らは当時の文学の主流から、さぞかし異端者扱いされ、無視され、妨害されてきたことだろう。新しい時代を切り開くとはそういうことである。

 だから彼らが時代の制約の中で残した一字一句を、そのままバイブルのように引き継ぐことは、逆に彼らの意思に背くことになるだろう。彼らから受け継ぐべきは、時代の開拓者になるという精神にほかならない。

 いま、過去の巨人たちが夢想だにしなかったAIテクノロジー、スマホやネットショッピング、SNS、人生百年時代がぼくたちにはある。俳句文学を現代を写し出す現代の文学として発展、完成させることは、彼らの仕事ではなくぼくたちの仕事なのだ。

 

《ふたたび俳句とは何か》

 紙数が尽きてきた。ぼくが最も核心であると思うことについて書いて、この稿を終わりたい。

 俳句の本質は、季語があるか、定型であるか、切れが生きているか……そんな些末なところにあるのではない。書かないこと、「書かないことによって書く以上の効果を上げること」にある。もちろんこの特徴は修辞的特徴であるので、あらゆるジャンルの文学にも見られるが、それが絶対的核心を為している文学は俳句だけである。

 俳句に描きたいことの輪郭(荒筋・ダイジェスト)は不要である。肌で感じた感動、心の動きをダイレクトに伝えるためにだけ言葉を使う。そのために「意味を伝える」ことが得意な人ほど、俳句では失敗する。それは短い俳句を舐めてかかっているからで、俳句は俳句の書き方を学ばなければ書けるものではない。これは俳句が特別に難しいということではなく、犬かきしかできない水泳の素人がいきなりクロールで記録は出せないというくらいの、当たり前のことにすぎない。「書かないことによって書く以上の効果を上げる」ことは、これまで日本語に親しんだ人にとって異文化であるので、慣れるのに多少の時間と習練が必要だ。

 これまで俳句は引き算の文学と思われてきた。自由なエッセーを削いで、削いで、極限にまで削いだのが俳句であると思っている人がたくさんいる。しかしそれは間違いで、17音という極端に短いエッセーができるが、それは俳句ではない。

 そうではなくて俳句は「足し算の文学」である。自分が伝えたい、あるいは今感じた「漠然とした不安」「喜び」「猜疑心」……といった「感慨」だけを残して、それにまつわるエピソードをいったん捨象する。俳句はそこから、その「感慨」に必要なエピソードを、当初のエピソードに引きずられずに、自分の心の引き出しから最もふさわしいものを選んで組み立てていく……。だから足し算の文学というわけである。

 この方法は、実は俳人が無意識に行っている方法であるが、自覚的に行っていないので、たいていの場合不徹底なものになっている。自然とできている場合もあるし、できていない場合もある……できている場合には普遍的な作品になる確率がぐっと増す、という関係である。

 一つ例を挙げよう。十年ほど前400万部を突破したという百田尚樹の「永遠の0」という小説がある。ぼく自身はこうしたヒロイズムは逃げ出したくなるほど嫌いであるが、この25万字を次の作品で象徴できると思う。

 

  ちるさくら海あをければ海へちる(高屋窓秋)