日曜の朝はパン食べよう
中嶋憲武
4、5回ほど救急搬送されたことがある。中学高校とバレーボールをやっていたので、体力には自信がある方だった。それがなんの塩梅か7、8年前に小麦アレルギーと診断され、小麦を使用した食物がほとんど食べられない事態になった。
異変は40代に差しかかる頃起こった。その頃毎日4、5キロ走っていたのだが、走って帰って来ると体じゅう赤くなる。なんだろうと思っていたが、赤くなるだけだったので放っておいた。ところがある朝、電車の中で体が痒くなり始め、乗り換えの電車を待っていたら目の前が不意に銀白色にちらちらし始め、何も見えなくなって倒れてしまった。「大丈夫ですか?」と声をかけてくれた人が黒くぼんやりと見える。「大丈夫です」と言いながら立ち上がり、座席に着いた。座っていたら、霧が晴れていくように周りのものが見え始め、いつも通りに戻った。聖路加病院で精密検査してもらったが、原因はわからなかった。
その後そんなことがちょくちょく起こるようになった。しかし安静にしていれば元通りになるので、特に何もせず時が過ぎた。
それでも余りにも頻繁に起こるので、心配になり近所の医者に行ったらアナフィラキシーと診断され、あなたのような症状がハードなものは危険だと言われた。そこである人に紹介状を書いてもらって、秋葉原駅近くの大きな病院へ行き、診察してもらった。アナフィラキシーと言われたことを話すと、女医はフンっと鼻で笑い、ただの蕁麻疹です。歳を重ねるにつれ消えていきますよと言われた。それでも異変は続いた。何かのアレルギーなのだがアレルゲンがわからない。
毎年の墓参りの時、駅でパンを食い、歩いて墓地へ向かうのが通例となっていた。そこでいつも同じ場所で痒くなり始め、同じような場所で休んでいた。それでもアレルゲンには気づかず、いや、気づかないようにしていたのかもしれない。いま考えると。
ある夜ドーナツショップで、有名なパティシエの新作ドーナツにたまらなく魅力を感じ、二つ買って食った。夏の暑い夜だった。暑さと運動、これは危険なのです。食ってから歩いて妻と待ち合わせしている場所へ向かった。途中次第に痒くなってきた。待ち合わせ場所に着くと、例の銀白色がちらちらして立ってらんない状況になった。階段の踊り場で休んでいると、妻がやって来て救急車を呼んだ。数回めである。
最寄りの病院へ向かい、ベッドに寝かされた。アレルゲンは小麦と診断された。「治りますか?」と聞いたが否定された。血圧も相当低くなっている。ぼんやりと去っていく看護師の声が聞こえた。「ドーナツ、二つ食べたんだって!」
ああ、食いたい。ピザ、とんかつ、パスタ、うどん、カレー、ハンバーグ、ケーキ、クッキー、ドーナッツ…。
背な丸めうどん食ひたし柳の芽 憲武
中嶋憲武
1960年生まれ。東京都小平市在住。現代俳句協会会員。所属は「炎環」「豆の木」「豈」。
2019年 第0句集「祝日たちのために」。現在、第一句集を準備中。