だから千年と九億九光年がぼくのなかで同じように光っている

橋本牧人

 橋本牧人、という名前で俳句や短歌を創作しています。まるっきり嘘の名前です。本名は嶌村魁斗と言います。
 俳句に興味をもったきっかけは、高校生の時にある俳句botを見たことでした。牟礼鯨さんという方が運営していたそのbotには橋閒石の「蝶になる途中九億九光年」という有名な句が採録されており、当時受験生で自分の将来に不安を抱えていたぼくはいたく打ちのめされました。短詩に感動した原初の体験のひとつです。いままで自分の俳句歴を話す際には、Twitterのbotきっかけで俳句をはじめたことがなんだか恥ずかしくて、「『坂の上の雲』がきっかけです………」と言って来ました。俳句をはじめてから八年ほどが経って、やっとそのこだわりがあほらしくなってきました。
 結局大学に落ちて浪人していたとき、予備校のクラスで自己紹介をする機会がありました。その際、自分の好きなものを紹介する流れがあり、ぼくは句集も読んだことがないのに、botに採録されていた橋閒石の数句を紹介しました。高校を卒業したばかりでコミュニティのない予備校のクラスでは、クラスメイトと仲良くなることは急務です。その自己紹介の時間が終わったあと、クラスメイトからは「ハシカン好きなんでしょ? 奇跡の一枚やってよ!」と絡まれました。そう、当時は千年に一人の美少女、橋本環奈の全盛期だったのです。
 それ以来、ぼくはクラスメイトから「橋くん」と呼ばれるようになりました。ただ、本名の字があまりにかっこよくて滅入っていたぼくは、橋本環奈に違えられながら呼ばれるようになったそのあだ名の、牛テールスープのようにあっさりした呼ばれ具合をとても気に入り、Twitterのハンドルネームやゲームの主人公の名前を「橋」にするようになりました。
 その結果、予備校だけでなく大学でも完全に「橋くん」で定着してしまいました。大学で後輩ができた際には「橋さん」とはじめて呼ばれてびっくりしました。大学在学中に本格的に短歌や俳句を詠み始めるようになって、それまでの「橋くん」という呼び名に自然になじむように、橋本を名乗るようになりました。
牧人という名前は、当時キリスト教に傾倒していたのと、牧という字が好きなのとでそういう名前にしました。句会に参加したときだけ意識的に「マッキーと呼んでください」と自己紹介していたら、俳句の人にだけマッキーと呼ばれるようになりました。満足しています。

 

橋本牧人

しんじらんない恋で椿が写ってる

すきやきの白滝宙に分かちけり

暖房ゆきわたり大恋愛は寝起き

やぎのつむじ見てたふたりで見てた二月

忘れゆく囀りやもうがらすのよう

春分のIKEAひろくて背が伸びる

二羽の目白花をしっちゃかめっちゃかす

婚まぶしく韮がまわっている手鍋

略歴
1999年1月生まれ。つくば現代短歌会を経て、現在「未来」「楽園」「南風」に所属。

雪国にて

堀内晴斗

 いま私は、ありがたいことに沢山の句会に参加させていただいております。毎月さまざまな句会の締切に追われて、夜な夜な必死になって句作することもあります。その中でふと思ったのは、句を作ることを句会に強制されてはいないか?ということです。考えてみれば2025年に入ってからというもの、自分から歳時記をひらいて、季語を選んで、句をつくって、ということもあまりしなくなったなと。部屋の隅に置かれて埃まみれになった歳時記を見ながら、どこか危機感を感じていました。もしかしたら自分は俳句に興味が無くなってしまったのではないか?俳句をしなくなれば自分に価値なんてあるのか?と、黒い蔦のような考えが脳にへばりついて離れなかったんです。
 しかしある日、その考えが変わりました。ひとり旅で、雪の降りしきる山奥に行っていたのですが、午後2時ごろでしたでしょうか。いきなり雲と雲の隙間から日が出て、まわりに大量に積もった雪や大きく育った氷柱たちが一斉に溶け出しました。全ての雫たちが日のひかりに輝き、その一滴一滴が水の流れに変わってゆく音を聴いて、「ああ、綺麗だな。」私はそう心の中で呟きました。そこで、頭の片隅に覚えていた、雪解雫、雪解川、氷柱、といった季語を使って句作をしました。本当に夢中になって句作していました。そのときやっと、自分から俳句をつくることのたのしさ、そして見た光景を文字に収めることの美しさを実感したんです。「今はただただ、この世界が心地良い。」どこかのアニメで聞いたようなセリフが、ふと頭に降りてきた瞬間でした。

 

主人公

堀内晴斗

春の日や魔法があれば野に試し

悪口は餅つくやうに花見酒

犬の夢に物は少なし暖かし

バーコード探されてゐるパイナップル

なめくじになればSOSと書く

フジテレビ本社の球に悴みぬ

折り捨てて次の氷柱を探しけり

主人公に世界は広し蜜柑剥く

略歴
2006年生。結社「南風」、雑誌「noi」所属。