思い出すための桜

なつはづき

 AI技術を活用してひとり暮らしの高齢者の認知症予防に役立てようという取り組みが、神奈川県横須賀市で行われているという話題を、朝のNHKニュースで見た。人は会話をしないと認知機能が低下するという。音声会話型おしゃべりAIアプリを使い、電話を通じて会話をする。「会話で過去の記憶を呼び起こす」事が効果的というが、画面の中の男性とAIの会話が微妙に嚙み合っていなかったのが気になった。

 今、週二〜三日ほど住宅展示場で働いているが、お客様が来ないと一日ほぼ誰とも話さない。つい先日、お客様が来ない日があったのだが、その時は年齢の近い男性社員がいたので、雑談で花見の話をした。「この会社、昔は芝浦でお花見していたんですよ」「場所取りしていて酔った学生に絡まれました」「最初はビールだけど段々寒くなって日本酒になるんですよね」各々が自分の思い出を語り、会話が噛み合っているかどうかは分からないが、話し終えた後「ああこの人、異動で来週にはもういなくなるんだったな」と急に寂しく思えた。

 さまざまの事おもひ出す桜かな  松尾芭蕉

 芭蕉がかつて御奉公していた藤堂家に花見に招かれた時に、二十年前を偲んで詠まれたもの、という背景は皆が知るところだろう。掲句に触れた時に人は芭蕉の「さまざま」とは別の、自分の「さまざま」な過去を振り返り、あの日の桜に思いを馳せる。だからこそこの句は長い間愛されてきたのだろう。では感情を持たないAIの桜の句にわたしたちは共感できるのであろうか。AI俳句と言えば「AI一茶くん」(注)が有名だ。試しに「桜」「さまざま」というキーワードで検索をかけてみた。その中でいくつか紹介してみることにする。

  さまざまの桜に靴を濡らしけり  (以下AI一茶くん データベースより抽出)

  さまざまの地獄絵見たき桜どき

  人の世の桜さまざま曲がりたり

  さまざまな母で桜の下をゆく

  さまざまな正座のひとの桜山

 いかがだろうか。AIが俳句を詠むこと自体に違和感を覚えて反発心や恐怖心を抱く人がいることは承知しているが、もしAIと合評できたら楽しいだろうな、とふと思う。そうか、朝のニュースで見たあの違和感は、AIが一方的に「相手に喋らせようと話を振る」という、会話のようでいて実は会話では無いものだったからだ。確かに話すことで認知機能の低下は防げるが、心のケアにはならない。会話は「言い合ってこそ」相手の心に何かが届くのだ。噛み合っているかどうかはもしかしたら二の次かもしれない。相手の言葉を聞いて想像する、自分の言葉が届いているか確認する、その作業自体が「生きる」ことそのものだろう。

 わたしはきっとあの社員としたたわいのない桜の会話を、いつの日か思い出すのだ。彼とはかかわりのない、別の誰かと桜の話をした時に。

  人待ちの耳から透けて夕桜  なつはづき

注)北海道大学大学院情報科学研究院 情報理工学部門 複合情報工学分野調和系工学研究室 AI一茶くんのデータベースはhttp://harmo-lab.jp/ai_issa_search