福本弘明選(現代俳句年鑑2025 p72~p109より)
特選句
精霊の荒ぶる頃か杉の花 上窪 則子
春の到来は嬉しいが、花粉症の人には悩ましい季節。この時季、杉の雄花は大量の花粉を飛ばす。花粉症の人にとっては悪魔のような花である。もちろん、杉の花を責めることはできない。むしろ、戦後、建材用として大量に植林されたものの、安価な外材の流入により伐採されず放置されたままになっている山の現状を考えると、責任があるのは人間の方だ。今でこそ悪者扱いされている感があるが、杉は古くから日本人に親しまれ、身近な資源として大いに利用されてきた。精霊という意味では神に近い樹木ではなかろうか。
ただ、掲句の「精霊」は、杉だけをさしているわけではない。すべての草木を含む大自然に宿る魂であろう。小さな断片のような「杉の花」は、地球規模の環境破壊や自然災害を暗示する。
秀句5句
初日浴び地球生命体のひとり 江良 修
生きのよい過去の音する落葉かな 片山 亀夫
桃咲いて一つあまりし家の鍵 河村 正浩
殿をつとめて来しか羽抜鳥 忽那 洋子
しばるゝや窓には中谷宇吉郎 くにたみつる
一句目、人間は実に儚い存在であるが、美しく神々しいものに出会う幸せがある。自然への畏敬の念。二句目、落葉にも過去があることに気付くと、落葉のイメージが覆る。三句目、鍵を持っていた人がいなくなったのか。喪失感の大きさは察するに余りある。「桃咲いて」に救われる気もするが、寂しさも募る。四句目、「殿(しんがり)」は重責である。ウイットに富む一句。五句目、雪の研究者である宇吉郎に「雪は天から送られた手紙である」という有名な言葉がある。しばれる日にも余裕あり。
田中の小径選(現代俳句年鑑2025 p179~p215より)
特選句
力まずに赤海鼠嚙む祥生忌 松本 清水
祥生忌と言えば、俳句に興味の無かった私が初めて俳句の手ほどきを受けた大中祥生氏(1923~1985)。草炎主宰。現俳の幹事もされていた由。作者は祥生門の方であり、膝を交えて会食もされたことだろう。美味ではあるが、人によっては噛みにくい赤海鼠を「力まずに噛む」と表現。この言葉によって俄かに師の俳句指導法、温厚温和な人柄まで鮮明に蘇えってきた。無駄のない言葉選びによって、師への見事なオマージュの句となっている。
秀句5句
若草のマスクの君の目がきれい 服部 修一
交番の明りがとどく竜の玉 花房八重子
絵が趣味の神が描くなり秋夕焼 東 砂都市
船虫のざざと暗闇曳いてくる 平川扶久美
犬友達猫友達と夕涼み 松本 峯子
一句目、マスクをした顔はみんな美男美女に見えるから不思議。読み下していくときのリズムが心地良い。二句目、市井の情景を描写されているだけなのに、何故か郷愁すら感じる。作者の力量のなせる技か。三句目、神様の趣味が絵を描くことと言う自由な発想が素晴らしい。四句目、船虫が動くときはざざと音がする。実際に見た人の確かな表現。五句目、平和な日常生活の一こま。犬猫を通しての近所付き合いも良好。作者の人柄までも想像できる。