百景共吟

写真提供:太田笑子

「百景共吟」より2句鑑賞    井上論天 

稜線は巨人の背骨年立てる      堀田季何

 「年立つ」という形をもたない季語ゆえの壮大さや神秘性を含んだ一句。その芯をなす稜線は雄々しく壮麗である。取り分け朝夕の稜線は厳か極まりない。その稜線を巨人の背骨に例えられたことにただただ感銘した。計り知れない身の丈を有す巨人だけにその荒々しい息遣いまでが聞こえ来るかのようである。他に〈からだよりわたしながもち鏡餅〉がある。作者は、滅びゆく肉体の中にあっても永久に生き続ける強い信念を、室町の世から綿々と続く鏡餅行事に託されている。

湯冷めしてピサの斜塔の角度で立つ  神野紗希

 一句を通しての措辞に思わず頬が綻んでくる。ピサの斜塔は三回にわたる工期を経て、最大5・5度から3・97度の傾斜に是正されたそうである。それは扨措き、「ピサの斜塔の角度で立つ」との感性豊かなフレーズには度胆を抜かれた。老いた私なら精々幽霊くらいなものであろうが…。取分け「立つ」との措辞には超多忙な作者ならではの気魄が窺える。他の〈雪に濡れた靴下を脱ぐもう会わない〉にはキラキラしていた頃(今もしているが…)の作者に再会したようであった。

 

「百景共吟」より2句鑑賞     小野裕三

稜線は巨人の背骨年立てる      堀田何季

 新年の俳句はやはり壮大なモチーフが望ましいようには思う。とは言え、新年に限らず、俳句で大きな景を詠もうとすると、成功率は決して高くない。流れていく大根の葉だとか、何本か並んだ鶏頭花だとか、だいたい俳句はそういうチマチマしたものに向いている。壮大のものを率直に詠んでも、意気込みだけが上滑りしかねない。この句では、上五、中七、下五、とそれぞれに壮大な要素がある。上五と中七が比喩関係にあることは自明だが、ポイントは中七と下五だけをそのまま取り出してもひとつの実景として成立するような感覚があることだ。つまり壮大さが実から虚へ、そしてまた実へ、と重なり合いながら移りゆく構造になっていて、その結果として壮大さが畳みかけるように読み手に迫る。巧みな仕掛けに満ちた句だと思う。

雪に濡れた靴下を脱ぐもう会わない  神野紗希

 前半もしっとりとした抒情を孕んでいるのだが、最後の「もう会わない」でぐっと来る。ここが「もう会えない」でないのもこの句の妙味で、そういう言い方であれば「会いたいのに会えない」という悲しい心情がはっきりと出てくる。「もう会わない」は、自分の決断でそうするようにも見えるし、あるいは少なくとも自身を含めた状況を客観視した言い方とも思える。前半の流れからは「もう会えない」のほうが抒情的にはぴったりくるのだが、それを「もう会わない」としたことで話者の強さのようなものが前に出る。おそらくだが、状況的には「もう会えない」に近いのだが、それをあえて「もう会わない」と言っているようにも思えて、そうすることでより悲しみと強さが共に際立つ。そんな句のように思える。