誰がどこで何をしたゲーム
貴田雄介
小学4年生の時に近所の友達を招いた誕生会で「誰がどこで何をした」ゲームをした。今思えば、僕の俳句との出会いはあの日のあのゲームなんじゃないか。「誰がどこで何をした」ゲームとは、参加者が思い思いに「誰が」(人物)「どこで」(場所)「何をした」(行動)を小さな紙に書く。そしてその紙片をそれぞれ「誰が」の箱、「どこで」の箱、「何をした」の箱に入れて混ぜ、一人一人がその紙片を引いていき、完成した「誰が」「どこで」「何をした」という文を声に出して発表するというものだ。そして参加者は一つの文として発表されたその情景のちぐはぐさに笑いを誘われる。例えば、曖昧な記憶を頼りにいくつか書けば、「大統領が風呂場で屁をこいた」とか「先生が男子トイレで叫んだ」とかそういう他愛のないもので、今思い返すと大して面白くもないのだが、当時の僕は言葉遊びの楽しさに友達と一緒にゲラゲラと腹が捩れる程笑ったのを覚えている。
2016年の春。縁もゆかりもない熊本に引っ越し2週間後の4月14日、16日に命の危機を感じる程大きな地震に遭った。その後1年余震が続き、身体を揺さぶり続けられ、その度に心も揺れ続けていた。1年間是枝裕和監督の家族映画を夜な夜な見てなんとか生き延びた。丁度1年経った頃に大学時代の友人に子どもが生まれたという報を聞き、ひとり赤飯を炊いてお祝いをしたら不意に涙が溢れて止まらなかった。地震後始めて涙を流し体がほろほろと解れていった。そろそろ関西に帰ろうかと考えている矢先に今の妻と出会い、結婚し、3人の娘が生まれた。コロナ禍となり、上の娘が双子だったので僕は1年間の育児休暇を取った。義父は農夫で俳句をしていた。彼の影響もあり僕は俳句を始めた。手元の記録によると2022年の3月に自由律俳句を作ったのが最初だった。それから3年続けて来たがどれだけ力がつけられたか自信はないが、日々よりよい俳句を作れるように日々の生活を整えたい。
大学時代に詩のようなものを書き始めて、コロナ禍を契機にまた書くことを再開した。注意力散漫で三日坊主の僕が2021年の12月から日課として書くことを再開して、今日まで毎日何か書き続けて来られたのは個人的にはとても驚きで、それは偏に、僕が書いたものを誰かが読んでくれ、時には応答してくれ、励まし続けてくれたその力の賜物であると感じている。書くことは孤独な作業だとも言うけれど、俳句が座の文芸と言われるように、僕は歴史や時代などの大きな流れの中で連綿と織られてきた営みの一端に参加させてもらっていることに安心を感じている。まずは10年じっくりと向き合っていきたい。
あやとり
貴田雄介
雪山を一枚めくれば尸
蛇といふ地母神牡丹焚火かな
鼻歌を勘繰る妻や冬構
鐘氷るうねる車線のごと背骨
売り物に磨きをかける冬籠り
外は雪内はあやとりする双子
裸木を見上ぐ家族に花芽かな
演出の言葉踊り出す田楽
略歴
1986年、大阪生まれ。熊本市在住。三女の父。軸俳句会員。熊本県現代俳句協会員。
私の好きな俳句
三宅桃子
詩を書く知人に昔わたしの俳句を見てもらったことがある。そのとき「特異と平凡の間の感じ」と言われたのが今も印象に残っていて、時々思い出しては、本当にそうだなぁと納得する。俳句で突き抜けてみたいという憧れはありつつも、なかなかその境地に辿り着けない。生まれ持ったキャラクターもあるのかもしれない。頭でも心でもないところから、フッと降りてきたように思える作品、対象物への解像度を高めて思いもよらなかった景色を提供してくれる作品、思わずほくそ笑んでしまうような脱力した作品が大好きだ。いくつか好きな句を挙げると、西東三鬼「広島や卵食ふとき口ひらく」「クリスマス馬小屋ありて馬が住む」、阿部青鞋「かたつむり踏まれしのちは天の如し」、田川飛旅子「黒子に乗る白粉かなし花曇」「牡蠣食うやテレビの像に線走る」など。直感でいいなと思う句は、平易な言葉で、特別なことは何も言っていない感じなのに、じつは底なし沼のような句。受け取る側もなぜ良いのかうまく説明できないけれど、本能的なところで共鳴している感じがあって、そういった句に出会うと本当に痺れる。エッセイは読んで忘れるくらいが丁度いいと何かで読んだ気がするけど、わたしは俳句も同じ気がしていて、読んで忘れて、また読んで発見があるような句が好きだ。いろんな角度から違う読み方ができる句。なんとなく説明できてしまうような句は物足りないと感じてしまう。そんなふうに考えながら、掴みどころのない俳句を作りたいと思いながら作っていると、いまだに自分がどうやって俳句を作っているのかわからない。出たとこ勝負。同じく趣味の陶芸もおなじスタンスで続けている。それが良いのか悪いのかわからないけれど、生涯こんなふうに核心的なところから逃げながら作り続けていくのかもしれない。
おろろ
三宅桃子
小春日をひとけたになり駕籠に入る
筆先に絵の具をつけすぎたセーター
白菜を持つ指に地図の乾きかな
ホットレモン鏡の中で話し合う
部屋の色抜けたところに冬の蠅
どこかいつも濡れているひと兎飼う
音楽の手前で豆を撒いている
抽斗抜いた穴のおろろと春休み
略歴
1983年生まれ。2013年より俳句を始める。超結社「豆の木」を中心に作句。2016年〜現在結社「陸」会員。2018年豆の木賞、2024年陸新人賞受賞。