護摩焚き 千葉 並木邑人
護摩焚きの読経一山梅の花 村田珠子
護摩祈祷 写真提供:成田山新勝寺
初詣など年間一千万人が参拝する成田山新勝寺は真言宗智山派大本山。十世紀に天皇より勅命を賜った寛朝大僧正が、不動明王と共に関東に下り、護摩祈祷により平将門の乱を収めたことが開山の契機になったことから、護摩焚きは最も重要な行事となっています。
テレビの画面などで見ることがありますが、護摩木を炎に投入し、願い事を浄めて成就を祈願するものです。
春には裏山の成田山公園に、梅の花をはじめ椿、蠟梅などが季節を謳歌します。園内には芭蕉や虚子などの句碑も多く、吟行には最適なシチュエーションとなっています。
丈山苑について 愛知 丸目藤二
春浅し丈山苑の光かな 丸目藤二
丈山苑 写真提供:丈山苑
江戸時代初期の文人石山丈山は、はじめは武士だったのですが大阪夏の陣の後、武による志を捨て学問の道へ進みました。
晩年には、京都一乗寺に陰せいし漢詩人とすごしました。
その石山丈山が 終の住処として建てた詩仙堂をイメージして生誕の地、愛知県南部の安城市和泉町に丈山の世界を伝えるために作られたのが 「丈山苑」です。
丈山苑の核となる詩泉閣には,狩野探幽の「画」、三十六詩仙図を架けた「詩仙の間」や丈山が初めて取り入れたとされる隷書体の書幅など掲げられ、丈山の感性をしのぶことができます。
庭園は、丈山が作庭した詩仙堂はじめ、唐様庭園・回遊式池泉庭園蓬莱庭園を組み合わせた庭園になっています。
四季折々の風を感じ苑内を散策しながらの、吟行句会には最高の苑と言えるかと思います。
方谷庵 岡山 前田 宏
開け放つ方谷庵や梅真白 前田 宏
方谷庵 撮影:前田 宏
備中松山藩は、藩士であった山田方谷(ほうこく)により危機的状態にあった藩財政をみごと立て直した。
方谷自身は明治維新を境に教育に専念し、その思想、手法、人材は次世代の大きな財産として残された。岡山藩主池田光政が創建した日本初となる「庶民のための学校」閑谷学校の再興にも尽力した。
方谷庵は、山田方谷が隠棲の後に建てた小庵で、外祖父母を祀る持仏堂と三畳の仏間、三畳の床の間を中心とした平屋の簡素な建物である。母の生家の菩提寺である金剛寺境内にあり、岡山県の文化財史跡に指定されている。
現在、金剛寺も方谷庵も無人で私を含め四名の総代が中心に毎月、境内や庵、本堂の清掃を行っている。