青年鹿を愛せり嵐の斜面にて     金子兜太
昭和36年 「金子兜太句集」神戸 より

佐孝石画

 圧倒的な光を感じる。突き放されながら迫って来る力。それが迫力というものなのだろう。
 この句の不可解な魅力について、自分なりに紐解いてみようと思う。
 まず、モティーフの過多。「青年」「鹿」「愛」「嵐」「斜面」と決して近くない素材を畳みかけることで、生まれてくる混沌。文脈や類推を拒絶するように、それぞれの語の放つ磁場のようなものが、理解を超えて、なかば体感的に観賞者にぶつかってくる。

 即物。そこに「コトバ」が置いてあるだけなのだ。

 パレットにバラバラの語が並べられた後、あらためて上・中の「青年鹿を愛せり」と中・下の「嵐の斜面にて」の2つのシチュエーションが提示される。
 ただ、ここでも「青年」がなぜ「鹿」を「愛」すのかは示されないまま、中・下句の「嵐の斜面」という舞台背景が提示される。「斜面」とは地形的に何なのかも知らされぬままに。
 「斜面」とは状態であって、場所ではない。山、崖、あるいは比喩としての「嵐」の時空的解釈なのか。いずれにしても、「斜面」の実体はそこには示されない。
 そもそも、そこに「青年」はいるのか。「鹿」はいるのか、「嵐」はあるのか。「斜面」はあるのか。そして「愛」はあるのか。(そこに愛はあるんか?)
 芭蕉は「虚に居て、実をおこなふべし」と言ったが、この句の中の、「青年」「鹿」「愛」「嵐」「斜面」も「虚に居て実をおこなふ」がごとく、虚語を並べ、鑑賞者の網膜の中に、一旦、光源めいた混沌世界を生じさせた上で、あらためて実世界(鑑賞者)の過去に体験した世界に遡上させようとする。
 この句で示された混沌は、決して「分断」を求めたものではない。かといって最終的な「統合」を希うものでもない。そこにあるのは、言語とそこに内蔵する思念への絶対的信頼とその思念を通じた、鑑賞者の実世界への共浸願望である。
 このような語の提示の仕方は、イタリアの画家、ジョルジョ・モランディの、素朴で静謐な絵画を思わせる。モランディは変哲もない静物を一生描き続けた。彼の求めていたものは、静物同士の関係性だった。単調とも思われる画題に飽きもせず、静物を並び替え新たな作品に向かう、その執念の裏には、おそらく「モノ」に対する絶対的な信頼があったはずだ。
 「青年鹿を…」の句のモティーフとなる「コトバ」の林立においても同様の信頼があったように思う。「俳句造形」とは作者が造形するのではなく、「言語」がおのずから「造形」するものなのだ、と信じていたのではないか。本編を書きながら筆者自身そのような啓示を受けたような気もしている。

 また、この句における「いのち」への畏怖の感覚は、八木重吉の詩稿、「赤つちの土手」を連想させる。土手から下がる木の根の生命力に圧倒され、息をとめて通らねば己が侵食されてしまうかも知れないという畏れ、直感。

  あかつちの
  くづれた土手をみれば
  たくさんの
  木のねっこがさがってた
  いきをのんでとほった     八木重吉 詩稿「赤つちの土手」

 この他者の生命に対する畏れこそ、この句の最も大きな光源なのではなかろうか。金子兜太の幼少年期の体験から来るものなのか、あるいは戦争体験からくるものなのかは定かではないが、この「青年」の句に限らず、他者の生命に対しては尋常ではない強迫観念があったように思われる。それを「アニミズム」などと容易く括ることはしたくないが。
 この他者の生命への畏怖感覚は、後の「おおかみに蛍が一つ付いていた」「猪が来て空気を食べる春の峠」などの名句につながっていくのだろう。

 ここまで、あえて句の解釈をせず、紐解いてきたつもりだが、それは解釈「ストーリー」をつけることは、この句の世界を「断面的」にしか捉えられないのではないかという、おそれがあったからだ。八木重吉とジョルジョ・モランディの2つに及ぶ連想を絡めて、婉曲的な解釈に至ったのも、兜太と句に対する大いなる敬意によるものと理解していただきたい。