ふるさと巡り 岡山(2) 倉敷

杉 美春

  • 天領 倉敷

 江戸時代に幕府直轄地「天領」とされ、大規模な新田開発で発展し、明治時代以降には大原家をはじめとする倉敷商人の活躍で発展してきた倉敷。美観地区には、白壁土蔵のなまこ壁、格子窓の町屋が残り、倉敷川沿いの柳並木が美しい。この水路を観光の小舟が走り、白鳥が遊ぶ。近代化産業遺産のアイビースクエア、倉紡記念館、大原美術館など見どころも多い。

 

  • 倉敷の俳人 中塚一碧楼と「海紅」

 中塚一碧楼は、岡山県玉島(現倉敷市)出身の俳人。1887年生まれ。河東碧梧桐の新傾向俳句運動に共鳴し、その中心作家となり、荻原井泉水とともに口語自由律俳句運動の双璧となった。季語無用論に反対して碧梧桐が井泉水の「層雲」を去ると、碧梧桐とともに1915(大正4)年に「海紅」を創刊して、やがてこれを受け継いだ。「海紅」は月刊俳句誌として今も刊行されている。

 岡山県立図書館のデジタル岡山大百科によれば、倉敷市玉島の柏島神社と円通寺、鷲羽山久寿美大師南下に句碑があるほか、柏島神社には時世の句碑も建てられている。

 現代俳句協会編集・発行の『昭和俳句作品年表』戦前・戦中篇に3句、戦後編に1句掲載されている。

   わたしのあばらへ蔓草がのびてくる

   戦死の遺骨いま着いた冬木の家の入口

   日を日をもんぺはく春先の竹藪

   病めば蒲団のそと冬海の青きを覚え

 

(3)大原美術館

 大原美術館は、倉敷紡績などの企業家、大原孫三郎が1930年に創設した美術館。孫三郎の経済的支援で渡欧した洋画家の児島虎次郎が、西洋の優れた美術品を収集。その収集品と虎次郎自身の作品を公開するために創設された。虎次郎は二度の渡欧でクロード・モネやアンリ・マティスから直接作品を購入したほか、1922年パリの画廊で売りに出されていたエル・グレコの「受胎告知」を購入すると日本に持ち帰った。

 エル・グレコは、16世紀スペインの巨匠。1914年に、雑誌「白樺」で「オルガス伯の埋葬」ほか10点の作品とグレコ小伝が紹介されたことで、日本で知られるようになった。日本にあるエル・グレコの作品は、この「受胎告知」と国立西洋美術館にある「十字架のキリスト」の2点のみ。日本に名作「受胎告知」があるのは奇跡とまで言われているそうだ。このほか、大原美術館にはモネの「睡蓮」、ピカソの「鳥籠」などの西洋絵画に加え、岸田劉生や棟方志功の作品もあり、美術ファンにはお勧めのスポットである。