高橋比呂子さんと国際部 

木村聡雄

 昨年末の高橋比呂子さんの訃報はあまりに突然だった。昨年5月あたりまではメールでやりとりをしていた。秋頃に連絡したときは返信がなかったが急用ではなかったので、おそらく忙しいのだろうと思っていた。その後この知らせが入り、絶句したのである。哀悼の意を表して、高橋さんと国際部について思い出されることをここに記しておこうと思う。

 高橋比呂子さんは現代俳句協会のいくつかの部署で大活躍されていたが、私は国際部で高橋さんや他の部員の皆さんととともに活動してきた。国際部以前を思い返してみると、初めて会ったのはおそらく30年以上前だったはずだが、それはおそらく私が学生のころから関わっていた前衛俳句系の同人誌「未定」(代表:沢好摩)やその周辺の俳人たちとのイベントだったように思われる。ただ、当時はさまざまな会合や活動があって、初めて話したのがいつだったか詳しいことは思い出せない。いずれにせよ、高橋さんはそのころから俳句に関して非常に熱心だったことは覚えている。その後、私が国際部を私が担当することとなり、その部員として毎月、会議や研究会などの件でいろいろ話をしたのであった。年に何回か行われた国際部研究会では、日本人の講師をはじめ例えば、マブソン・ローラン、ドゥーグル・リンズィー、ティートー、ディヴィッド・バーレィ、董振華、楊逸(ヤン・イー)の各氏や、海外からはマイケル・ディラン・ウェルチ、リー・ガーガ、ジャニク・ベロー、イヴァン・ボンダレンコ、ドック・ドラムヘラー、あるいは世界の若手の俳人や研究者たちを講師として招いて国内外の俳句状況について学び、また交流した。高橋さんは確かドイツ語をよく知っていたと記憶している。
 
 国際関連の活動では多言語俳句アンソロジーを2冊出版したが、対訳に対応すべく部員たちと掲載句の英訳をあれこれ話し合ったことが思い出される。『水の星』The Blue Planet(北溟社、2011)と『眠れない星』The Sleepless Planet(七月堂、2018)の2冊から、追悼の意を込めてここに彼女の対訳作品を引いてみたい。

雪原をゆりかごとする翁かな 高橋比呂子
An old man
makes the snowfield
his cradle (The Blue Planet)

 高橋さんは北国のことをよく話していたが、日本人にとって、「心の故郷」(言い換えれば、演歌に歌われるイメージ)は東北に繋がってゆくとも言われる。「雪原」とは、北の生まれではないわれわれにとってさえ懐かしい風景であるように感じられるのである。すると「ゆりかご」は始祖の土地で、「翁」は先祖たちであろうか。われわれの心無意識の底に眠っているこうした民話性がこの句の魅力と言ってよかろう。

金魚二匹戦争を知らざりき 高橋比呂子
two goldfishes
not knowing
any war (The Sleepless planet)

 「戦争を知」っているとは戦争体験を指すのだろう。すると、戦後生まれのほとんどの日本人は戦争を知らない。「金魚二匹」は家で飼っているのだろうが、戦争が句のモチーフに選ばれていることからすると、比喩的には閉じられた平和な世界に暮らす「あなた」や「わたし」と読めなくもない。とはいえ、現在のウクライナやガザそのほかのこの地球上の悲惨な戦争を目の当たりにしているわれわれは、直接の体験ではないにせよ、もはや戦争を知らないとは言い張れないだろう。実際、世界で日々進む軍拡とは決して抑止ではなく、いつか来た道に重なってゆくことを忘れてはならないだろう。

 これらの引用句に示されるように、高橋さんの俳句はいまこのときもわれわれに多くを語りかけてくる。そしてなにより、あの元気いっぱいの笑顔はこれからも私たちの心の中に咲き続けるだろう。