現代俳句全国大会 青年の部 入選作・講評

 

 第61回現代俳句全国大会の青年の部の受賞作と作者、選者による講評の要旨は次の通り。

 

正賞受賞作・講評

岡田由季選
月涼し肺の広くて解剖図      お茶の水女子大学 佐藤知春

 肺の「広さ」に着目したことと、「月涼し」の季語により、肺いっぱいに夜の涼しい空気が満たされているのをイメージさせ心地良い。解剖図にはポップなイラスト化されたものもあるが、そうだとしても臓器の生々しさも感じ、それがまた月と呼応している。

神野紗希選
雪よ振る手がさよならをながびかせ 洛南高等学校   田村転々

 雪の中、さよならのために手を振る。手を主体にすると表には心が見えず、それゆえ別れを惜しむ感情が深く渦巻く。「雪よ」と呼びかけ、さらに「振る手が」と定型上を言葉が拡張する、冒頭の韻律の⿎動も鮮やか。擦り切れた主題に新しい言葉で呼吸を宿らせた。

瀬戸優理子選
レジ打ちの最後はパンをのせて春  名城大学     堀内晴斗

 重たい大きなものは下、軽くて潰れやすいものは上に。スーパーで買物し精算カゴに積まれるこの順番に、こうありたい「思いやり」の心理も垣間見えます。「最後はパンをのせて」のリアリティー、すべてを包み込むように最後に置かれた「春」の優しさが素敵な句。

曾根 毅選
塗りたての白線に落つ蝉の羽根   洗足学園高等学校 西山文乃

 何かを主張したり、面白さを提案したりはしていません。淡々と目の前にあるものを書き留めたような一句ですが、言葉に出来ない心の引っ掛かりのようなものが滲み出ています。
 死んでなお生々しい蟬の⽻根、白線の先にあるのは過去でしょうか、未来でしょうか。

田中亜美選
虎が死ぬ炎熱の藻に絡まつて    兵庫県神戸市   林山任昂

 「炎熱の藻」から熱帯雨林に生息する⻁を想像した。
 密猟者に追い詰められたのか。獲物を追跡して力尽きたのか。森林伐採による環境変化の影響も深刻だ。⻁の身体に絡みついた藻は、絶滅危惧種といわれるこの生きものの孤高の死を刻印しているかのようだ。

野口る理選
ひとつぶのヴィールスとして游ぎをり 東京大学   本村早紀

 大海の一粟としてまぎれてゆく存在の儚さとは違う、〈ひとつぶのヴィールス〉の存在感。きらりと輝くその異質さは、疎外感をも力とする自由さのあらわれ。
 「游」の字は遊びを連想させさらに自在に、そしてそれを受け入れる大海の大きさが感じられてくる。

堀田季何選
をとことかをんなとか雪重いとか           島崎寛永

 ジェンダーと生きる難しさを言い得た句。雪の一片一片は軽いが、少しでもまとまれば重いことに気づく。
 一般的な二つの性も、ひらがなで書かれていて軽そうだが、こちらが意識しなくても、様々な場面で重くのしかかり、雪崩のように、身動きも命も奪ってゆく。

 

准賞受賞作・講評

岡田由季准賞
冬のバス無限に続く単語帳       のり介

 リングタイプの単語帳は最後までめくると最初に戻り、⽂字通り永遠に続くが、それだけではなく、単調な暗記作業の繰り返しが時間感覚を狂わせているように読める。「冬」がそういう感覚を増幅させているようだ。

秋晴れや二人きりなる二人乗り     清水瞳美

 ⾃転⾞かオートバイか。こう書かれてみて、確かに⼆⼈乗りは空間が区切られているわけでもないのに⼆⼈きりのように感じさせるものだと気付く。それは親密で幸福な空間でもあり、周りの⾒えない危うさでもある。

草いきれ戦争を戦争と呼ぶ       磐田 小

 怖い句だ。戦争があったとしても、それを戦争と呼ばなければ無関⼼でいられる。世界中で、戦争と呼ばれることすらなく戦争が起こっているのではないだろうか。まずは⽬を背けず戦争を戦争と呼ぶことが⼤切だ。

煮くづれて家は実家となりにけり    山中はるの

 家が実家となることの意味は⾊々に解釈ができるが、作中主体が実家を出た、と読んだ。煮崩れる前はよく煮込まれていたのだから、親密な家庭だったのだろう。成⻑に伴いそれも重荷となり、独⽴のときが来たのだ。

盆の月てのひらに鈴だまらせて     真 帆

 鈴が⾳を⽴てないよう、そっと⼿にのせている。「だまらせて」の表現は鈴が⽣き物のようで新鮮だ。盆の⽉の静けさを味わうため、鈴の⾳を封じているのだろうか。しかし、⼿の中の鈴は油断するとすぐ鳴り出しそうだ。

神野紗希准賞
はじまつてをはるゆふだち火葬待つ   辻村栗栖

 ⽕葬場で出遭った夕⽴に、この世の摂理を⾒た。短く激しく訪れ去る夕⽴のように、万物は「はじまつてをはる」ものであり、⼈の⽣もまた例外ではない。意味を剝落させる平仮名表記が、⽣を⾒送る俯瞰の茫漠を⽣んだ。

蛍飛ぶ人魚の鰭を埋めた森       中田真綾

 幻惑の世界に魅了された。⼈⿂であることの証明である鰭を切り落とした⼈⿂は、⼈として⽣きていけるのか、それとも命を保てないか。森の冥さは海中の闇と繋がり、蛍が弔いとも違う妖しさで美しく乱舞する。

学食の米の硬さよ汗拭ふ        蛙多楓太

 ふっくら柔らか、とはいかない学⾷のご飯。その「硬さ」にこそ学⾷らしさがあり、学⽣の暮らしの実感があると切り出した。「汗拭ふ」の取り繕わない描写が、体ひとつで⽣きる寄る辺なさと確かさを浮き彫りにする。

鳥葬を選べぬ国にゐて涼し       柊木快維

 国家や⽣き死にといった⼤きな主題を、独⾃の把握で綯い上げた。今の⽇本で基本的に認められているのは⽕葬だから、ここも「⿃葬を選べぬ国」だ。⿃葬を夢想するとき吹き来る⾵は、涼しく、少し死の匂いがする。

ひとつぶのヴィールスとして游ぎをり  本村早紀

 ⼈間もひとつぶのウィルスのようなものかもしれないと思うとき、極⼩から極⼤へ、世界の⼊れ⼦構造が永遠に広がってゆく。「泳ぐ」の揺蕩うぬるさの発⾒が不可視のウィルスの体感をふと呼び覚ますのも、言葉の力。

瀬戸優理子准賞
少女落ちてこない世界の夏野かな    伊藤菖蒲

 掲句を反対側から読めば「少⼥が落ちてくる世界」があるということ。少⼥の持つ危うさを感じつつ⾒る「夏野」は眩しくも少し歪んでいて、その屈折が句の魅⼒となっています。

少年に凧を泳がす力あり        島田道峻

 「凧」を揚げ⾃由に操るには、結構な⼒が必要。まだ⼩さくか細い体の少年が秘めていた⼒を⽬の当たりにした驚きと感動を、「泳がす⼒あり」と⾔い留めた描写⼒が素晴らしいです。

中継の何も伝へずメロン食む      須藤臣人

 「現場から中継です」と繋がっても、記者は同じことの繰り返しか沈黙で、知りたいことは何も伝わってこないのでしょう。「メロン⾷む」にテレビの向こうの現実と安全圏にいる⾃⾝の現実のギャップが⾒えるのが巧み。

煮くづれて家は実家となりにけり    山中はるの

 上五の⽐喩が秀逸。新築、もしくは引っ越して間もない家は、ある程度の期間住み⼼も体も馴染んだ頃に「実家」となる。「煮くづれて」におふくろの味的なニュアンスが出ているのも「実家」と響き合っています。

林檎割る蜜のかたちが鐘に似て     大西美優

 発⾒の⽬が効いている句。「蜜のかたちが鐘に似て」とは、なんと素敵な⾒⽴てでしょう。実の中に⼗分に広がった蜜が映像として⾒えます。⻩⾦⾊の鐘を内包する林檎は何かの啓⽰のようでもあり奥⾏きも感じる句。

曾根 毅准賞
夏の夜に ファミレスに残った タルタルソース
タルタル・マジック

 夏の⼀⽇は⻑いです。ファミレスは少し⻑い時間を掛けて、飲⾷やおしゃべりを楽しむ場所。タルタルソースが取り残されたテーブルは、そんな夏のひと時の気配を留め、無⼈のままに持続させているかのようです。

1番レジからしか見えない夕焼がある  堀内晴斗

 レジが数台並んでいるスーパーなどを想像しました。レジの設置場所や⾓度の関係で、1番のレジのみが⼣⽇を受けるのでしょう。一台のみが夕⽇を受けて輝く時間帯、その特別な印象に何気ない⽣活の尊さを思います。

みずのおとかさなつてゐるめろんかな  白石孝成

 ⽔の⾳は、⽔の上に⽔を注ぐとか、波が⽔の上を覆うとか、⽔に⽔を⾜すなど、いろいろ想像できます。⽔と⽔との触れ合う⾳とそれを表現する⾔葉が、メロンをいきいきと感じさせる、そんな⼀句だと思いました。

プールありターンのあとのしづかさに  木村幸人

 競泳でターンしたあと、それまでの激しい⼿⾜体の動きから、⽔圧を最⼩限に抑える鋭利なポーズで、静かに推進する時間があります。そのわずかな時間に、プールというものの本質のようなものを⾒る思いがしました。

気になるの プールで香る あなたのシャンプー
小気味 良

 一般的に俳句は、気持ちを物に託して詠むほうが、俳句の⼒を発揮しやすいのですが、この句ははっきり⾔うタイプの句です。それでも、シャンプーの⾹りとプールとの取り合わせに、妙な感覚の奥⾏きが感じられます。

田中亜美准賞
音がない世界に降りしきる愛日     渡辺あみ

 「愛⽇」は冬の⽇のこと。柔らかな冬の陽光は無⾳の世界にふさわしい。⾳響⾯にとどまらない、あらゆる雑⾳︵ノイズ︶からも遮断された安らぎの空間。︿愛﹀という概念の意味についても、ふと考えさせられる。

撫子や深く彫らるる兜太の句      山本恭児

 金子兜太は句も書も⼈柄も豪放磊落と称されることが多い。骨太の字は句碑に「深く彫らるる」ことになろう。一方、兜太は含羞に満ちた⼈物でもあった。「撫⼦」はその対照性を象徴しているようでもあり、興味深い。

全てほどけば繋がるのに争う      飯澤遥土

 応募作には無季句や⾃由律など多彩な試みがあBたが、特に惹かれた句。「ほどく」「繋がる」「争う」の動詞の主語/主体が明かされないところが⾒事。⽬下の時事問題とも普遍的な⼈間⼼理を詠んだ句とも想像できる。

それぞれの夢を持ち寄る焚き火かな   久米佑哉

 友⼈とのキャンプファイヤーだろうか。胸襟を開いて語り合ったり、高揚する気持ちをぶつけてみたり、黙って⽕をみつめていたり。「夢を持ち寄る」という表現に、ざっくばらんで信頼に満ちた友情が感じられる。

余白には鳥と書かれて三島の忌      酒井拓夢

 早熟の天才、唯美主義、古典的均整。三島⽂学を形容する言辞は数多くあるが、完璧すぎる余り、「余⽩」なしに⽣き急いだ作家ともいえるのかもしれない。「⿃」という象形⽂字の印象も相まって、哀切の思いが滲む。

野口る理准賞
暗闇の手はハンカチをきつくきつく   田中一期

 何をしているかは分からない、そこにあるのは「暗闇」と「手」と「ハンカチ」。それでも息苦しいほどの緊迫感が伝わってくるのは、「きつく」のリフレインと一字空けの効果だ。⼼象を⽀える技巧の冴える一句。

春鹿の目に亡国の潜みたる       山本恭児

 雄は角が落ち、雌は子を産み疲れ色褪せている「春鹿」。それでも春の景⾊と相まって、やわらかく優しい印象を残す。そんな春の鹿の目に潜む「亡国」の静けさに滅亡と誕⽣は対⽐ではなく地続きにあることを思う。

鶏頭はすなはち太陽の形見       山田啓太

 大胆で力強い把握に惹かれた。日没後もなお咲くという景よりも、太陽が滅びた後の世界でもなお咲いているという⾵に読みたい。太陽の遺志を継ぐように、悲しむことなく孤⾼に存在する「鶏頭」の姿が美しい。

1番レジからしか見えない夕焼がある  堀内晴斗

 特別な場所としての「1番レジ」の⽇常感が良い。そのさりげなさに、それはどこであってもそこからしか⾒えない景⾊があることに気付かされ、平凡な一⽇の終わりに、それでも全く同じ⼀⽇はないことに気付かされる。

煮くづれて家は実家となりにけり     山中はるの

 自分が育ち過ごしてきた家を離れる時の⼼境か。単なる崩壊とは違う「煮くづれ」に⼤きな愛があり、年月をかけて味わいが深まってゆく様や⾷卓の温かさが思われる。潔い無季俳句に、格調⾼い俳句の型が響く一句。

堀田季何准賞
たぶららさ桜は風に脱字して      横山航路

 タブララサは磨いた書字板、つまり⽩紙状態、外部刺戟の経験がない魂の象徴である。桜びらを字だと思えば、⾵に散るのが脱字で、桜本体が⽩紙にして無垢な魂。そう思えば、字たるロゴスで、外部による⼈為なのだ。

万緑や玻璃に栄えて街に街       木村幸人

 圧倒的な緑に囲まれた未来都市を想像したが、他の解釈もあり得る。街の本質を突いた中七の措辞、及び、街に街を重ねる下五が好い。無数のガラスが見えてくる。「に」が二度出てくるが、掲句では、効果的だと思う。

大人といふ軋み雪といふ残響      島崎寛永

 対句表現の句。⽂体構造的に、⼤⼈と雪、軋みと残響がそれぞれ重なる。読者は、そこに因果性や時間の前後性を見てもよいし、それを抜きにしたイメNジの照応だけを味わってもよい。現代を生きる大人の苦みがある。

二〇四五年八月十五日         林山任昂

 一見、一発ネタのようだが、未来の日付だけを俳句として提示したことは意義深い。玉音放送により、ポツダム宣⾔の受諾と連合国への降伏がメディアで日本国民に伝えられた日からちょうど百年後。日本は、世界は。

正史には魔女と書かれて栗の花     本村早紀

 国政への影響⼒を嫌がる敵対勢⼒が捏ち上げた魔術・呪詛の容疑を以て排除され、惨殺されたフォーティマ・ハトゥン等の⼈物︵多くは⼥性︶であろう。独特な匂いで受粉を⾏う栗の花が、酷い冤罪及び性差別と響き合う。

(了)