意味を伝える/意味を作る 

長田志貫

 所属する研究室のメンバーは大半が留学生である。当然、日々のやりとりは英語だ。
 これまでの人生、英語で話す機会なんてほとんどなかった。ゼロと言っていい。だから、自分の考えを言葉にするのにひどく手こずる。話したはずなのに、伝わらない。伝えたつもりでも、ズレている。そういうのが日常茶飯事で、自分の技量不足を思い知らされる。

 研究で用いているプログラミングにも苦戦している。コードを書いて、走らせてみると、画面には赤いエラーがずらりと並ぶ。文字の羅列を追いながら、どこが間違っているのかをひたすら探す。配列の順序を見直し、ループ条件を調整して、もう一度走らせる。それでもまたエラーが出る。頭の中では論理的に正しいはずなのに、プログラムは動かない。何かがいつも足りていないか、間違っている。

 けれど、定型詩はそのどちらとも違う。
 音数や韻律という枠の中で、ひとつずつ言葉を並べていく。新しい構造を発明したりもする。そうやって、新しい意味を紡いでいく。そして、読み手が、ほんの少しでも「良い違和感」を感じ取ってくれることを祈る。これらの行為は、自分の本意の艇が一着でゴールすることを願い、マークシートを塗りつぶすのにすこし似ている。

 そう思うようになったのは、学部時代にある教授と交わした何気ない会話がきっかけだ。

 ある日のこと、授業の合間だったか、ふと教授がこんな話をしてくれた。

 「数式や証明は、ただの計算じゃないんだよ。書く人の癖や思考の流れがそのまま残るんだ。たとえば、この行の展開の仕方とか」

 また、その教授が卒業式の日、他大学院への進学に伴い上京する私に、餞別として手渡してくれたのは、一冊のブラームスのスコアだった。

 「これは泣けるぞ」

 それ以上何も言わずに笑顔で立ち去る姿が、今でも鮮やかに思い出される。

 ふんだんに記号を内包した数式も、計算の道筋や論理の骨組みを描いたものだ。整然と五線譜に並ぶ音符もまた、音楽が生まれる前の静かな設計図のようなものだ。それらは一見、ただの情報の羅列に過ぎず、目に映るだけでは何の感情も伴わない。しかし、目を凝らし、心を寄せる人が見れば、その配置や抑揚の中に、創作者の迷いや決断、そして祈りの痕跡さえ見出すことができる。

 意味を掬い取ってくれる人が存在すること。
 それだけで、私は孤独ではない。

 

NumPy Rhythm

轢かれたる活字あふるゝ水の春

ゆふぐれをたゆたふ蝶の if-else

光らざる偏や旁や蟇

花茣蓙の式変形はあざやかに

空蝉よ目盛りの擦れたものさしよ

月今宵愛も理論も惜字炉へ

霜夜なら刻む NumPy Rhythm かな

見せ消ちの檻へさし入る冬の星

[略歴]

2000年、松山市生まれ。
九州大学工学部卒業。東京科学大学大学院環境・社会理工学院所属。
愛媛新聞「青嵐俳談」第5回青嵐大賞。

 

 

西安城墻

早田駒斗

 

 考えてみれば、話とはいつも突然始まるものだ。するにもされるにも、愉しいものだ。言葉はいっとき、この世とは似ても似つかない世界をいとも簡単に立ち上げてしまう。非日常がすぐそこにある。

 先日、中国中西部、西安に行く機会があった。平均的によく晴れた9月の半ば頃、中国で誕生日を迎えるのは2回目のことだったが、なんとなく今年は西安でその日を迎えることにした。北京から高速鉄道で6時間、そこには、かつての趣きそのままに人々の暮らしが息づいていた。中心部は交通量も多いが、それも含めて一つの現代的情緒を醸し出している。夜市も盛んな場所だ。

 そんな古都も夜7時を迎える頃、突然、おじさんに話しかけられた。西安城墻を周っているときだった。薄暗くなり始めた空に、街灯がほんのりと点り始めていたことを覚えている。おじさんは帽子を被っており、顔ははっきりとは見えなかった。それにしても、この静かな場所で、会ったこともない人に急に話しかけられるというのはなかなかだ。

 おじさんは、手始めにどこから来たのかを尋ねてきた。質問はしばらく矢継ぎ早に続き、その後、おじさんは自らをガイドであると称した。かれこれ20年近く観光案内をしていると言っていた気がする。職を明らかにすると、どうやら最初からそうなることが決まっていたようだ、おじさんは西安の歴史を滔々と語り始めた。真偽は今でも分からないが、今思えば確かに、その語りは彼がガイドであると信じ込ませるに十分なものだったようにも思う。何かに駆り立てられるように、相手は話し続け、こちらは聴き続けた。曰く、西安城墻とは、西安への来訪者が一番最初に訪れるための場所であるそうだ。西安城墻から遠くに見える西安鐘楼が火を司ることから、ここ西安城墻はその反対、水を司る場所だそうだ。

 話に魅せられて軽く1時間は過ぎてしまった。その話は清朝末期まで及んでひとまずの終わりとなった。あたりはもう言い訳不能なまでに完全に暗く、お互いの顔ももちろんもう全く見えなくなっていた。そのとき、どんな話を聞いたのかの仔細はやはりもう思い出せない。いかんせん、長い中国の歴史だ。それでも確かに、この突然始まった話をきっかけとして、ガイドのおじさんと、その日たまたま誕生日を迎えただけの異邦人が、その歴史を思ったことは確かな感覚として残っている。そのまま、その足で帰りに買った西安城墻の小皿は今も大切にしまってある。

 

無声

半柱を焼かれ唐黍よこならび

秋蝶のしろさの狂ふ水場かな

雁や煉瓦積み上げられ匂ふ

手を振れば虫の闇環をなしきたり

水瓶のくびれし影や枯柳

日の中の冬蜂ことごとく無声

カーテンに閉され雪の揺籃期

息白く絵筆つやめくまで絞る

 

略歴

2000年東京生まれ。掲載時現在、北京在住。「蒼海」会員。