「造型俳句論」と「生きもの感覚(アニミズム)」のひみつ
小松 敦
超結社のオンライン句会などで、参加者から金子兜太の「造型俳句論」や「アニミズム」を知りたいという声がちらほらある。この機会に筆者の理解を簡単に整理しながら、思うところを述べてみたい。読者のご参考になれば幸甚である。
1.はじめに
まずはじめに本稿のポイントと結論を以下にまとめる。後の章で「造型論」と「生きもの感覚(アニミズム)」をそれぞれ概説する。
【造型論】
・「造型論」は兜太俳句の「方法論」であり、「方法」とは「手法」(how)と「態度」(what for/why)の総合
【手法】
・兜太が一生ブレずに伝えようとした「手法」とは「こころをつたえる工夫(詩は叙情)」
【態度】
・「手法」を駆動する動機であり、行動に直結した(肉体化した)価値観や考え方(思想)、生活意識(生き方)
・兜太の「態度」の中心は「「人間」への関心」、その根底に「戦死者にむくいる生き方」
・兜太は成長し社会状況は変化する中、態度の重点も変化する
例:「社会」の中の人間、「定住漂泊」する人間、「衆」としての人間、「生きもの」としての人間
【生きもの感覚(アニミズム)】
・上記「態度」を支える世界観=「生きもの感覚(アニミズム)」
・脱人間中心主義:人間/非人間の二元論的な世界認識ではなく、人間も社会も非人間もみな同じ自然であり関わり合って生きているという関係論的な世界認識
・秩父の産土に育まれ、頭で考えるより先に体にしみついていた世界観(原郷観*1)だが、後年一茶に触れて確信
【結論】
1)「造型論」と「生きもの感覚(アニミズム)」は繋がっている。「造型論」を支える「態度」の土台が「生きもの感覚(アニミズム)」。
「生きもの感覚(アニミズム)」を以て「物の微」に触れ「情の誠」を今日に回復することが、兜太の求める「造型」だった。
近代的で人間中心主義的な態度から抜け出せないまま、人間も地球も様々な危機に直面している現在、兜太の「造型論」と「生きもの感覚(アニミズム)」のエッセンスは俳句や文学の領域を超えて現代に生きる智慧となるはず。兜太をもっと「真剣に受け取り(*2)」、その可能性を探っていきたい。
2)兜太はアーティストとして、ステロタイプな価値観に鎧われることを面白いと思わなかった。〈今後の俳句も、どしどし、いろいろな工夫がほどこされ、いろいろな表現方法、いろいろな態度、いろいろな姿勢が導入されてしかるべきだ、とおもっているのです(*3)〉、とのことだ。
一人の作家の中に様々な「方法」が併存することも当然として、「造型論」の次なる俳句の「方法論」とは、どのような「手法」と「態度」になるのだろうか。そういうことを俳句を作りながら考えていきたい。
2.造型論
兜太の著作をお読みの方ならご存じの通り、「造型俳句論」というタイトルをつけた論文や本はない。本稿では概ね以下4つの論文および著作で改訂・更新されてきた論考を総称して「造型俳句論」、略して「造型論」と呼称する。
①「俳句の造型について」(1957年『俳句』)→②「造型俳句六章」(1961年『俳句』)→③「俳句論」(1963年『短詩型文学論』 )→④『今日の俳句』1965年
これ以外にも「造型論」を補足したり回顧したりする文章や講演録はたくさんあるが、まとまった文章としてはこのくらいだろう(本人談*4)。
基礎知識として、「造型論」は兜太俳句の基礎構築を目的に書かれた「方法論」だ。兜太にとっての「方法」とは〈態度と手法の綜合(*5)〉であり、「手法」だけではだめだという。「態度」とは兜太の説明では〈認識過程から思想形成にいたる作者の全体的な生き方(*同)〉、小難しいのでかみ砕いていえば、行動に直結した(肉体化した)価値観や考え方、生活意識(生き方)。「社会性は態度の問題」と言った時の「態度」と同じだ。
ここからが本題だが、ここで「造型論」の進展・経緯を詳細に要約していくほどのスペースはないので、早速だが兜太ご本人に語ってもらおう。
「造型論」のポイントを一言で言うと何か―〈客観も主観もない、自分という主体の中にできあがってくる映像世界というものを書けばいい〉。以下『海程』500号記念企画「金子兜太主宰に聞く」(2013年11月インタビュー)から主要箇所を抜粋してまとめる。引用は〈山括弧〉で示す。
〈造型俳句論では、映像が大事だということを私は盛んに言ったんですね〉。子規の「写生」を引き継いだ虚子が「客観写生」に統一して主観を退けたが、〈そういう客観だ、主観だという人間的な考え方は近代的な考え方で、古い〉。〈現代の方法は主観だ、客観だというのではなくて、映像として作る〉〈映像とは自分の中のすべて、客観も主観もない、自分という主体の中にできあがってくる映像世界というものを書けばいい〉。
例句として「鶏頭の十四五本もありぬべし」を挙げている。〈鶏頭を見ていろいろなことを思うわけでしょう。いろいろなことを感じている。その思ったり感じたりしていることが全部ひとまとめになって、書けたと思う瞬間があると思うんだ。それが映像で書けたということだと思います〉。〈「ありぬべし」と言った時に、おれの気持ちが全部鶏頭を通じて伝わっている。鶏頭がそこにある姿として伝わっている〉。〈彼としては客観写生のつもりで書いたかもしれません。鶏頭を書いた、自分の思いを込めたと素朴に思ったかもしれないけど〉〈子規の胸の内と鶏頭とが一緒になってしまって、それで一つの映像、姿形としてとらえられたというふうに思います〉。
どうだろう。言葉使いはやさしいが、それでもかなり抽象的だ。
実は1963年「俳句論」の中でも、同じく「鶏頭」の句を挙げて説明をしている箇所がある。しかも「造型」としてではなく子規の「写生」を説明する中でだ。
子規が〈鶏頭に着目した時点では、子規に自己の存在感は意識されていなかったかもしれないが、鶏頭を見、その存在感を知ったとき、それは逆に子規の存在感の自覚を促していたのである。鶏頭は、子規のアナロジーであるといってもよく、存在感に焦点をおいていえば、子規の表象である、といってもよい〉。〈鶏頭は、そのような重複した存在感に支えられる結果、それは植物であり、同時に人間であるようにみえてくる〉。〈見、感じ、やがて自分の中にも同質を感じ、それを見る―この「ゆきてかへる」(芭蕉)経緯、これが「還相」ということである。「視る」とは、そうした客体と自己のあいだに円環状の照応関係を実現する行為なのである。そこでは、もはや客観の描写ともいえず、主観の表現ともいえない。その両者の同時実行である(*6)〉。
〈鶏頭を見て~思ったり感じたりしていることが全部ひとまとめになって〉、外部環境(客観)と自己意識(主観)との綯い交ぜの質感を映像イメージに言語化する。しかし〈書けばいい〉と言われても、どうやってそれを言葉にすればよいのだろう。「造型俳句六章(以下「六章」と略)」も参照しながら端折って言えば、〈イメージを言葉におきかえる―とよくいわれることは不正確〉で、〈イメージ〉は最初から〈言葉による構図〉だという。しかもその言葉は〈暗喩(メタファー)〉がよい。作者の感受していろいろ思った質感は抽象的なので、具体的な暗喩の言葉を介することで、読者に感受してもらいやすくする。
造型プロセスを整理すると、「感受(感じた心の動き)」→「意識活動(反芻・思考・想像)」→「イメージ(言葉)」→また「感受」→のサイクルだ(また「感受」以降は推敲)。このサイクルを繰り返すことで、「感受」した抽象的な質感をより具体的な「イメージ」の言葉にしてゆく。これを「六章」では〈イメージの情緒化〉―「何か感じられるものへの変質(村野四郎)」と説明しており、2013年のインタビュでは〈映像を熟成させる〉と言っている。ちなみに、「俳句の造型について」では「意識活動」と「イメージ」の工程を〈創る自分〉に担わせている。
端的に「造型論」の「手法」とは「感じたことを暗喩で書け、書いたものを反芻して推敲しろ」となる。でも、何よりも先ず「感受」、感じることが大事だよと繰り返す(*7)。〈感受性が冴えていなければ駄目です。現在に生活する人びとは多忙と錯走のなかにいるため、ともすれば感受性が鈍磨しがちですが、それだけに冴えた状態を作る努力が大事ではないでしょうか(六章)〉と。〈感受性を放棄したとき〉〈自分の存在への窓を失い〉〈窓のない部屋で意識だけを働かせると〉〈外への生きた感受を失い、きまりきった―昔から既に出来上っている固定した―観念をくり返し表現する結果(六章)〉に陥ると注意している。
さて、そろそろお気づきだと思うが、兜太の「造型論」のポイントは、「感じること」なのだ。このことを兜太は一生ブレずに「詩は叙情/感じた心の動きを叙べあらわすこと」「こころを伝える工夫」と言い続けた(*7)。
しかし、「感じ」たからといってすぐに映像的なメタファーが言葉になって出てくるのか(*8)。そこで「感じ方」が問題になってくるのである。前述した子規の「還相」的「写生」術も「感じ方」の説明である。そして「感じ方」を決めるのが「態度」なのだ。
「態度」を以て、感じた心の動きを叙べあらわす(叙情)ときに、詩の言葉が生まれる。誤解を恐れずに言えば、「する」というより「なる」。「感受」を詩の言葉にする、のではなく、「感受」して詩の言葉の生まれる体になる。「詩は肉体(*7)」。しかしあくまでも、スピリチュアルな話ではなくてスキルの話だ。
兜太の著作や『海程』時代の講演録などを読むと、この「態度」に関する折々の考え方や信念が語られている。「社会性は態度の問題である」からはじまって「平明で重いものを」とか「定住漂泊」や「日常で書く」等々。これら「態度」の中心は生涯を通じて「人間」だった。〈私は、この「人間」にとりつかれて俳句を作るようになり、戦後は、ムキになって、とりついてきた。今後も、この「人間」から離れることは絶対にできない〉〈だいいち、人間不在の文学、さては詩歌とは、それじたいが概念の矛盾である。文学とは、すなわち人間の表現であり、その意味で、人間のものであるはず(*9)〉。そうして「生きもの感覚(アニミズム)」に至る。
3.生きもの感覚(アニミズム)
ここでもまずは兜太自身に語ってもらおう。
〈一茶を通じて確信した本能の「美しい」面のことを、私はいま「生きもの感覚」という言葉で表現しています〉〈「花げしのふはつくやうな前歯哉」この句を読んだとき、私はほうっと思いました〉〈こういう感覚の働きをどう表現したらよいのだろうかと考えたとき、「生きもの感覚」という言葉が、いちばんいいのではないかと思いました。つまり自分の舌も、揺らいでいる歯も、自分も、すべて生きものである。同時に芥子の花の、あのふわふわした感触も生きものであり、歯のふわつきとそっくりである。この句からは、そのことが同時的に、差別なく感じられます。すべてが同じ生きものの世界のこととして、感じられる〉〈それによってお互いが救われ、カバーされている、そういう感覚の世界が、「生きもの感覚」です。そしてそれをなす大本は、本能です(*10)〉。
この〈同時的に、差別なく〉〈すべてが同じ生きものの世界のこととして〉という脱二元論・脱人間中心主義の世界観は、前述「俳句論」では「同時実行」として示され、「俳句の造型について(Ⅴ)」と「六章(第四章 主体)」においては、外部環境と自己意識との綯い交ぜの質感を詩的「現実」として捉えるときの土台になっていた(*11)。「生きもの感覚」と言い出す前から「生きもの感覚」が発揮されていたわけだが、本能であれば当然であった。
次に、兜太の「生きもの感覚(アニミズム)」を理解する上で欠かせないのが「情(ふたりごころ)」である。
〈外に向かって開いていく時の心の状態は「情」を書き、内に閉じる時の心の状態は「心」と書く(*12)〉。
〈ふたりごころが一茶のひとりごころのなかに宿るときには、アニミズムが強くはたらいている(*13)〉。
兜太は、栗山理一『俳諧史』「「物の微」と「情の誠」」(*14)から大いに学び、一茶研究の中で「情(ふたりごころ)」と「生きもの感覚(アニミズム)」の世界観を感得した。そして〈俳諧とは情(こころ)をつたえる工夫(*3)〉であると確信する。〈詩は叙情〉の「情」と重なり、「造型論」を支える確信となった。
芭蕉のことばを伝える服部土芳『赤雙紙』の一節、〈物に入(いり)てその微(び)の顕(あらわ)れて情感(かんず)るや、句と成(な)る所也。たとへば、ものあらわ((は))にいひ出ても、そのものより自然(じねん)に出る情にあらざれば、物我二つに成りて、その情誠に不至(いたらず)。私意のなす作意也(*15)〉、これについて兜太は〈「情感るや」を、通い合うこころの昂揚と読む。「感る」とは、「情(こころ)」を昂揚させることであって、交わりにむかうこころが動きつつあるとき、それをいっそう昂らせることなのである。それを私は〈叙情〉と解するのだが、それはともかく、「物」との通いにむかって開き、動いてゆく「情(こころ)」なればこそ、「物に入」ることができ、そこで、「物」の「微の顕れ」に触れたとき、昂揚を体験することができる。「情」は昂り、「微」をつうじて、「物」との通い合いをいっそう深め、ついに一体にさえなり得る(*15)〉。
万葉学者でもある佐々木幸綱『万葉へ』に曰く〈(「万葉集時代」は)「こころ」を「情」と書く人間にあっては、「こころ」と「ことば」はごく自然に連続しているのであり、しかも、「こころ」と「ことば」も、たとえばそれは『思想』のように自立的にあるのではなく、他に呼びかけ働きかける働きとしてあった(*15)〉。これを受けて兜太は、「情の誠」から〈ことばはよどみなく生まれる、と信じえた時代があった〉〈我から「もの」にむかっての「積極的共感」とでもいうべきはたらきかけによって、「情(こころ)」の原型を今に回復できる〉との信念に至り、ここに〈「俳諧自由」の究極〉を見た。究極の状態とは〈物我(相手と自分)一つに通い合ったところに在る「自然(じねん)」の態であって、これに若く工夫はなく、しかも、これはすでに技めかしてはいえないことだったのである(同)〉。
〈現在、人のこころがひとりごころに強く傾き、その摩擦と孤独と、ときとして襲ってくる破綻の嘖みを身にしみてしりつつあるとき、ふたりごころの回復と充溢へのもとめは、たとえば共同体ということばなどとともに、ひろがりつつあります。ふたりごころの伝達工夫を日常の中においた、俳諧と俳諧師の来し方を見なおすことの現時点意義、少なしとはおもわないわけなのです(*16)〉。
人間の美しい本能である「生きもの感覚(アニミズム)」を呼び覚まし、情(ふたりごころ)を現代の日常の中に回復して詠むことが、兜太の求める「造型」だった。「する」というよりも「なる」、自ら然る「自然(じねん)」の態。兜太は「自然(じねん)」になれただろうか。
〈一茶から教えられて、自分なりに輪郭を摑むことのできた〈情(ふたりごころ)〉の世界を、完全に自分のものにしようと努めてもきた。そのせいか〈心(ひとりごころ)を突っぱって生きてきた私は、〈情〉へのおもいをふかめることによって、なんともいえぬこころのひろがりが感じられてはじめているのである。叙情ということについても、あらためておもいをいたしたりしている。(*17)〉
2025年の現在、〈「情(こころ)」の原型を今に回復〉できているだろうか。今もなお〈「情(こころ)」を直接法では伝えにくい環境が展開している(*15)〉のではなかろうか。だから、兜太をもっと「真剣に受け取り(*2)」、その可能性を探っていきたい。
(補足)
用語について少し補足しておきたい。後年兜太は「アニミズム」の用語を多用するが、〈人間の表現行為に於いて潜在して働いているなまなましい世界でなければならん(2010年『語る 俳句 短歌』)〉と言い、『荒凡夫 一茶』では〈時代遅れの語感〉があるので〈あまりこの言葉を使いたくありません。「生きもの感覚」という言葉を使うことで、現代の概念、いまの感覚として受け取っておきたいという気持ちが強くあります〉、むしろ〈「生きもの感覚」とは、アニミズムを生む人間の生な感覚〉だと述べている。兜太は感づいていたはずだが、E.B.タイラーは人間中心主義且つ文化進化論の立場から、「アニミズム」の用語を未開人の未熟で誤った世界解釈と見下して使っていた点、兜太の思想と正反対なので要注意だ。ところで、今日の人類学(*2)では「アニミズム」のとらえ方がアップデートされていて、兜太「生きもの感覚」に矛盾しない世界観として研究されている(存在論的転回、脱人間中心主義、諸自己の生態学など)。
なお、「抽象化」や「暗喩」、「主体」、「原郷」と「定住漂泊」なども本稿に密接なキーワードだが、ポイントを絞るべく詳細割愛した。
(注)————————————————————————————-
(*1)兜太の「原郷」感覚は秩父の産土で育まれた「センス・オブ・ワンダー」だと思う。〈子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。〉〈「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」〉『センス・オブ・ワンダー』レイチェル・カーソン/新潮社/上遠恵子訳
(*2)〈いのちが石の中にあるということではなくなる。むしろ、石がいのちの中にあるのだ〉〈アニミズムはかつて、モノの霊性への間違った信仰の上に築かれたもっとも原始的な宗教として打ち捨てられたのだが、今日では、実在の完全性の理解において、科学を凌駕する、生の詩学であるとみなされている。それは他者を真剣に受け取ることから帰結する。〉『人類学とは何か』ティム・インゴルド/奥野克巳・宮崎幸子訳/亜紀書房2020
(*3)『流れゆくものの俳諧』序/朝日ソノラマ1979
(*4)「定型など―『造型俳句六章』のあと」(初出1968年3月『形象』)『定型の詩法』所収/海程社1970 ※なぜ「造型論」を書いたのかについてもこの文章で分かりやすく回顧している。自分の俳句に基礎構築の必要を痛感していた時期、当時の『俳句』編集長大野林火に〈方法を示すべきだ〉と言われたことや西東三鬼の推薦、安保闘争など政治状況、大衆社会状況の進行、日本的様式美回顧ブームに煽られた俳壇保守化などが背景にある。
(*5)1957年「本格俳句(Ⅲ)」『定型の詩法』所収
(*6)このあと兜太は栗山理一も援用して、「鶏頭の十四五本」までが〈実証的で科学的な検証の精神〉、「もありぬべし」で〈己に還ってゆく心意の働き〉と説明し、芭蕉の目指した詩的構造「物の微と情の誠」との同一性を子規に認める。2013年から振り返ると、芭蕉「物の微と情の誠」=子規「写生」=兜太「造型論」の系譜がうかんでくる。
(*7)このことを兜太は一生ブレずに言い続けた。〈一、まず俳句を作るとき感覚が先行します〉「俳句の造型について(Ⅴ)」、〈まず感受性の問題です。自分の感じ(実感)が出発であるということです〉「造型俳句六章(第六章 造型)」、〈〈詩〉は本質的に抒情(後に叙情と表記)、感情の純粋衝動が詩の本質〉「俳句論(7 表現Ⅱ)」、〈詩は叙情、存在感の純粋衝動、詩は肉体〉『今日の俳句(5 俳句は詩である)』、〈叙情は「造型」の基礎、「叙情」は感じた心の動きを叙べあらわすこと、感の昂揚〉1976年「叙情について」『海のみちのり』所収、〈俳諧とは情(ふたりごころ)を伝える工夫〉1979年『流れゆくものの俳諧』、〈率直な生活実感〉1997年『金子兜太の俳句入門』、〈思ったり感じたりしていること〉『海程』500号、等々。
(*8)「感じ」なくたって映像的なメタファーは書けるのでは、と思う方もいるかもしれない。かつて兜太と川名大や安東次男、高柳重信らと「物と言葉」論争なる嚙み合わない議論があったらしいが、私見としては、作句態度の話と読みの自由の話が混在していたと思う。読者によっては「言語操作」の戯れの句にだって、兜太の言う志向的日常のにじみ出た詩的リアリティを、感じることもあるだろう。ちなみに、筆者の思うところでは、何か言葉を書くという行為は「感じ」ていようといまいと神経活動を伴う。兜太の「詩は肉体」は認知科学的(生物学的シフト)にも頷ける。
(*9)1970年「土がたわれは」『定型の詩法』所収
(*10)『荒凡夫 一茶』白水社2012/p68、115~117
(*11)ほかにも、対象から感じ取る肉感・物象感を〈自然のもの〉(『定型の詩法』)と名付けて、この質感を生々しくイメージすることを説いたり、1965年『今日の俳句』では〈電話の受話器〉に〈自然のもの〉の〈肉感〉を感じ、〈何ひとつ、〈自然のもの〉でないものはない〉と述べている。1969年の講演「こっけい」(『定型の詩法』所収)では、人間感情の不思議さをつくりだしている本能とはつまり人間の中の「自然」だと感づいたとき、山川草木鳥獣虫魚といった天然の自然同様に人間の中の自然を射止めるのが、伝統とか前衛とか関係なく俳句にとって大事な事だろうと言っている。ちなみに、1965年ころはちょうど兜太が山頭火や一茶を真剣に読み直し始めた時期でもある。
(*12)万葉ではそうした書き分けをしている。『金子兜太の俳句入門』角川文庫2012/「情(ふたりごころ)芭蕉と一茶」
(*13)『流れゆくものの俳諧』四章
(*14)栗山理一は『俳諧史』(塙書房1963)において、「情の誠」=〈詩的表現に内在する真実性(リアリティ)〉は「物の微」=〈対象の持っている事実性(アクチュアリティ)〉にもとづく(p138)との前提で論考を進め、〈詩的リアリティとしての俳諧的真実性〉に到達するために芭蕉が捉えた〈詩的構造〉は〈ほとんど曖昧さを残していない〉(p147)と評価した。芭蕉が捉えた〈詩的構造〉とは、〈人間と自然は対立するものとしてではなく、「物の微」はついには「情の誠」にまで変質し、高められることによって、あるいは前者が後者によって完全消化されることによって、詩的真実性が獲得されるという構造〉であり〈「物」と「情」とが分離せず一体化して、いわば「事」となっているという意味で、西欧風の写実を対物的とするならば、俳諧的写実は即事的と称してよかろう〉(P146)との理解だった。そして〈「物の微」に対応する「情の誠」としての俳諧的真実性の質を問うことが、とりもなおさず俳諧の歴史〉(p147)なのだった。一方で兜太の「俳句の造型について」では「物」と「情」の間に「創る自分」が活動し「間接的」に見えるので、栗山としては芭蕉以来の〈詩的構造〉の〈変革〉でありながら〈危うい冒険(p366)〉と感じたようだが、杞憂であったと思う。
(*15)『流れゆくものの俳諧』別章
(*16)『流れゆくものの俳諧』あとがき
(*17)『遊牧集』あとがき/蒼土社1981
※「俳句の造型について」「造型俳句六章」は『定型の詩法』を、「俳句論」は『短詩型文学論』(紀伊國屋書店1963)を参照した。
※ほか、金子兜太『定住漂泊』春秋社1972、『詩形一本』永田書房1974、『小林一茶』講談社1980、『金子兜太集1』筑摩書房2002、安西篤『金子兜太』海程新社2001、塩野谷仁『兜太往還』邑書林2007、柳生正名『兜太再見』ウェップ2022、井口時男『金子兜太 俳句を生きた表現者』藤原書店2021などを参照。『金子兜太の俳句入門』の対馬康子氏による解説では「造型論」から「生きもの感覚」への解釈が滑らかに記されており共感した。
※参考サイト:「新たな前線をめざして」(1976年『海程』15周年記念の座談会)
http://bit.ly/3ZOldSO
森田緑郎、武田伸一、酒井弘司、谷佳紀、阿部完市(進行)、大石雄介
当時の『海程』中堅層による議論。「造型論」の受けとめ方などがうかがえる。