連載 横山白虹と松本清張 第四回――「眼の壁」「巻頭句の女」「時間の習俗」の俳句を中心に⑷

小野芳美

三.「巻頭句の女」
 先々号・先号で、清張は「眼の壁」の連載終了後、単行本化にあたって加筆修正を行う際、横山白虹による俳句を加えていたこと、これによって物語が深みを増していたことを述べた。
 清張作品には詩歌にふれた作品は少なくなく、詠み手のキャラクターを示す記号として活用されている場合もある。一例を挙げると、俳句が登場する作品として「眼の壁」前(7ヶ月前)に発表された「途上」(1956年9月)には、自身の信仰をもとに「信仰俳句」を詠む特徴的な人物が登場する。短編だが読者に強い印象を残す人物である。
 「眼の壁」の次(七ヶ月後)に俳句が登場する作品として発表された短編小説「巻頭句の女」(初出1958年7月「小説新潮」、初単行本1959年6月)は、俳句誌の同人たちの物語である。
 物語は俳句雑誌への常連投稿者からの投句が途絶えたことに編集担当者たちが不審を抱く場面から始まる。
 探偵役も務める主宰は「繁盛している病院を経営している」医師で、同人の信頼も篤いという白虹を思わせる設定である。
 作中に長期入院中という投稿者による二句「身の侘わびは掌てに蓑虫をころがしつ」、「春を待ち人待ち布団の衿拭きぬ」が登場する。同人は誰も投稿者と面識はなく、わずかな情報と句を手がかりに、背景や事情を推理していく。
 「自鳴鐘」にこの時期の白虹と清張の対談がある(「アラスカ放談」、1959年1月)。互いに非常に多忙でありつつも、白虹は清張の小説に目を通し、映画化された「眼の壁」(1958年10月、松竹)も鑑賞済みと語る。清張も「自鳴鐘」を毎号読んでいることや「俳句は仲々僕等の参考になる」と述べるなど興味深い点が多いが、本稿では特に「巻頭句の女」への言及箇所に着目したい。

白虹 「巻頭句の女」ね。あの主宰者のモデルは僕だと承まわったけど、出てくる俳句は仲々いいぢゃないの。あれみなあなたの作句?

清張 えゝ、何しろ解り易い句でないといけないんで。ちとホトトギス的すぎたかな。

白虹 小説を読む人は俳句のくろうとぢゃないんだから。あれは結構でしたよ。

小松一人静句集『炭塵』(1957年10月、自鳴鐘発行所北九州市立文学館所蔵)

 このやりとりから、「巻頭句の女」収録句は清張によるものと分かる。あきらかに二句とも「眼の壁」の5句とは明確に作風が異なるのも興味深い。「アラスカ放談」では、ここで白虹に電話が入り、会話が途切れてしまい惜しいのだが、二人に時間がなかったことの証左でもある。
 対談時(1958年11月25日)にはまだ「巻頭句の女」は単行本化されていない、つまり白虹は雑誌掲載の時点で早々に目を通していたことにも着目しておきたい。
 これに先立つ「自鳴鐘」1958年9月号には、同人・小松一人静による小文「『巻頭句の女』を読んで」が収められている。小松は「白虹先生宅で、来あわせた清張氏に紹介され、其の後二三度会った事もあ」り、最近もパーティの席上で会ったという。
 「読者の一人として予想もしなかった題材の作品だけに大いに興味を覚えた」とはじまる小松の文章では、「此の作品の良否の選択は別として清張氏は俳句に繋がりがあったので此の作品が出来たのである」、「小説に出て来る人物のモデルは、清張氏が小倉在住中、文学的に交情厚かった横山白虹先生及び二三の人物と思う」と紹介される。「巻頭句の女」がいち早く「自鳴鐘」同人の間で話題になっていたことがここからも窺える。
 なお、小松一人静の句集『炭塵』(1957年10月)の題字は清張が揮毫している。二人がとりわけ親しかった様子はそれぞれの著述にはみえず、白虹が清張に依頼したものと推察される。句集発刊への祝辞が並ぶ「『炭塵』に寄せて」(「自鳴鐘」1957年12月号)には清張からの一文も収められている。
 (おの よしみ・北九州市立松本清張記念館学芸員)