別れた訳、分かれている理由

日野百草

 現代俳句協会、俳人協会、日本伝統俳句協会の三協会統合論が一部から提言されている。
 最初に断っておくが、私は統合に賛成だ。
 なぜなら分かれている必要がないから、に他ならない。
分かれている理由はあとからいくらでもつけられるし、ポジショントークで都合よくそれらしいことを言う者もあるだろうが、本を正せば「その時」は分かれる理由はあったが、いまや分かれている理由がない、ということである。
 少しフランクに話してみよう。
 で、何で彼らは「分かれた」のか。
 あるいは「別れた」か。それも悪くない。詳しくは後で述べるが、「別れた」は現代俳句協会と俳人協会の話ではない。あれは「分かれた」である。それは今回の三協会統合論でも識者から言及されている。
 それこそフランクに話せば「お金」の問題だったと思う。
 今は昔の話だが、俳句団体が職能集団だった時代があった。つまるところ生活(ひいては俳壇における立場)の問題である。
 何万、何十万の不特定の消費者とプロの書き手の関係で商売が成立する小説や、私の手掛けるノンフィクション・ルポルタージュや漫画原作などと違い、俳句は俳句を作る人同士で結社を作り、お金を融通し合ってその中の「人気者」(多くは結社の主宰や代表)にプロとしての対価を払う。小説やノンフィクションと詩歌俳句、どちらが上とか下の話でなくコンテンツとしての違いである。だからこその良さもあるし、弱点もある。
書き手に対して不特定の消費者が本を買う、雑誌を読む、ウェブを見る。戦後メディアは優勝劣敗、コンテンツ事業としての市場経済へ移行した。俳句というジャンルはそれこそ上下の話でなく、そうした巨大マーケットを想定した商業コンテンツに不向きだった。
 それでも、戦後しばらくは戦前の華族制や寄生地主制、家制度の名残もあって俳句のような特定の者同士の創作互助会は機能したが、職業俳人にとって限られた市場の食い合いになってしまった。結社誌から俳句総合誌への流れもまた、職業俳人とそれを目指す者にとって枠の奪い合いとなった。
 しかし、その時代の当事者たちはみな故人である。
 もういないのだ。
 もっとはっきり言ってしまえば現代、専業作家として奪い合うほどに職業として俳句で糧を得られている者はごく僅かだろう。もうそこに主題はない。いや、そもそもなかった。つまり、いま分かれている必要はない、ということになる。そんな時代を知らない若者にとってはもっと意味がない。
俳句界隈、どう数えたって私が八十歳まで生きたとしても各団体一〇〇人規模になる。寿命もあるし、インターネットコンテンツを含めた趣味もさらに多様化している昨今、将来的にはもっと少ないかもしれない。
怒る方もあるかもしれないがアニメやゲーム、コミックの作り手としての経験も長い私からすれば、そちら側にいるクールジャパンの申し子、不特定の消費者が俳句にこぞって金を出すこともまずなかろう。まして結社に入るなど。
 俳句がコンテンツとしてそうなってしまったのは誰が悪いでなく、そういう時代の流れである。これを認めたところに次がある。
もうひとつ、この「分かれ」がまさに「別れ」だった大本があった。俳人協会との分かれの前に、現代俳句協会は新俳句人連盟と別れた。現俳と俳人協会が「分かれ」で連盟と現俳が「別れ」か。で、分かれは損得、別れは愛憎としよう。
 そもそも戦後社会性俳句の問題はイデオロギーと党派性の問題だったように思うが、別れてもそこはお互い曖昧だった。別れたあとも古沢太穂や赤城さかえら連盟の役員が現俳の役員もしていたし、連盟員の多くも現俳との掛け持ち会員が多かった。金子兜太など現俳の幹部も連盟の幹部を務めていた時代もあるなど曖昧な別れだった。冷戦下にあっても左右の問題は曖昧に「俳句」を通して会員同士の横断が続いた。
当時の現俳(人によって思うところはあっただろうが)は立派に「俳諧自由」の精神を守ったと思う。いまだってホトトギス系だろうが自由律だろうが受け入れる、それでいいと思う。
 私が委員の末席にある日本ペンクラブもありとあらゆるジャンルの書き手がいる。「表現の自由を守る」、集う目的はそれだけだって構わない。俳句団体だってシンプルに「俳句が好き」でいいだろうに。それこそ俳句の目的外利用者が話を難しくしている。
 もし今回の三協会統合論が進まないとするなら平均年齢七十歳前後の三協会、このままでは二十年後に合わせても一〇〇〇人いまい。そうなる前に統合してコンテンツとしての復権を目指して先んずるか――他ジャンルを持ち出すのは気が引けるが、団体の会員が現在一五〇〇人程度の漢詩(一〇〇年前にはナウなヤングがこぞって漢詩を作詩する時代だってあったのだ)のようになるか。かつて朝日新聞はこうしたジャンルを「絶滅危惧趣味」と呼び連載したが、それに俳句が加わりかねない。
 もう分かれた原因も、別れた大本の理由もない。特定の故人に作られた対立の構図をなぞる必要、それこそ「現代」の私たちにはないように思う。