星野立子句集「月を仰ぐ」 西村和子編 

川上典子

 私の座右の句集は、1997年にふらんす堂から発行された、西村和子氏編『星野立子句集 月を仰ぐ』である。今ではなかなか手に入らない本となっていて、その意味でもとても大切な句集である。星野立子の代表的な句412句が集められており、どの句も柔らかく、優しく、難しいことばはほとんど使われていない。身近なことをふわりと取り上げ、それでいて詩にもなり物語にもなっていて、初めて読んだ時には高揚感すら覚えた。

 西村和子氏の解説も解り易く、幼少時のエピソードや虚子・立子父娘の心の交流も述べられていて、立子への理解や句の鑑賞が裏付けられる。また、句が年代を追って組まれているので、立子の句の変化や心情の変化を辿ることができる。

 句集のタイトルとなる、「父がつけしわが名立子や月を仰ぐ」の句の背景は、立子が幼いころ世話になったお手伝いさんが、十年も前に亡くなったことを聞き悲しみに沈んでいるうちに、「自分には父親がつけてくれた『立子』という名前があるではないか、くよくよせずに頑張ろう」と心を強くして、ぐいと月を見上げたということである。父親虚子の付けてくれた名前に凛とした誇りを持つ清々しさと、父親に対する敬愛の念、強い信頼感が伝ってくる。

 星野立子は1903年11月15日(明治36年)に高浜虚子の次女として生まれ、没年は1984年3月3日(昭和59年)。虚子30歳の時に生まれたので、論語の「三十にして立つ」から名付けられたという。東京麹町で生まれ、7歳の時に神奈川県の鎌倉に転居し、その後の人生のほとんどを鎌倉で過ごす。1926年(大正15年)23歳の時に、父親虚子の勧めで句作を始めて、1930年(昭和5年)に、これも虚子の勧めにより、初の女性主宰誌「玉藻」を創刊した。玉藻は雑誌ホトトギスの姉妹誌として継続され、立子の長女星野椿名誉主宰・椿名誉主宰の長男星野高士主宰のもと、脈々と受け継がれている。因みに、今年2025年は虚子生誕152年目、立子生誕122年目に当たる。

 鎌倉駅から車で7~8分の鎌倉市二階堂の谷地に「鎌倉虚子立子記念館」が静かに佇んでいる。虚子・立子に繋がるゆかりの人々の色紙や短冊、思い出の品々が展示されていて、虚子一家の写真なども多く残されている。それらの写真を見て、立子の面差しは父親似であることを改めて思った。

 『星野立子句集 月を仰ぐ』の最初の句は「まゝ事の飯もおさいも土筆かな」である。記念館の展示品の中に、この句に対する虚子の自筆の感想が残されている。「私はこの立子の句を考えてみた。まゝごとをしてをるときに飯とお菜は何か変わったものにしなければと思うのが普通であろう。それを、飯もお菜も土筆であるところに、何か変わったものを感じた。我らが知らなかった心の世界を示された心もちがした」とある。

 また、大岡信が、同じくこの句に、「ままごとをしている女の子同士、ご飯もおかずも土筆だという。この公表された処女作では、明らかに生来の才能が躍動している。ままごとをする子どもを詠むときに、母親や父親、兄弟それぞれの立場からみれば、それぞれに詠むことがあるだろう。しかし立子はままごとをとらえて、ままごとの材料を句にしている。自由闊達な立子の句風が一目瞭然である」と評している。

 句を作るときには自分自身の視点で、他の人が見ていない目で対象を見なさいと言われる。高浜虚子も大岡信も、立子が独自の視点で物事をとらえていることが立子の俳句であると評価している。自身の独自の目で対象を見るという句作の原点は、虚子の時代も立子の時代も現代も、しっかりと貫かれている。

 星野立子の俳句人生において欠かすことができないのが、ホトトギスの中で同時代に活躍した中村汀女である。立子は伸び伸びと表現する憧れの女性として、汀女は家庭の婦人の声を表現する女性として、虚子は立子と汀女を対比させつつ並行して育てていった。戦後すぐの昭和22年に、虚子の発案で「互選句集 中村汀女 星野立子」(文芸春秋新社刊)が発行された。立子が汀女の句を230句選び、汀女が立子の句213句を選び、それぞれの選句の後に、選評や思い出など、親しい友人同士の手紙のやり取りのような文章がつづられている。汀女は立子より三歳年上だが、二人は同士であり、切磋琢磨し合う親友であったことが、二人の文章からしっかりと伝わってくる。

 汀女はこの互選句集の中で、「(虚子)先生は『タツ子』といはれるとき、低い押へたやうななんともいへぬ親しみのある撥音をされる」と書いている。「父がつけしわが名立子や月を仰ぐ」の句の父娘の情愛が改めて鑑賞される。互選句集初版本の奥付に「定價二十八圓」とある。現在の価格で3,000円前後であろうか。

 立子の句は、難しいことばや特別な表現が使われているわけではなく、何気なく詠まれたような句で、いつ読んでも新しく、するりと腑に落ちて心に残る。易しいようでいて、誰も真似のできない天性の感覚で詠まれている。虚子は立子の天性を早くから見抜き、立子は虚子を信じて俳句の道を歩んだ。虚子と立子の互いへの気持ちを鑑みれば、西村和子氏が句集のタイトルを「月を仰ぐ」とされたことが多いに納得される。『星野立子句集 月を仰ぐ』は、星野立子のエッセンスがまとめられていて、伝統俳句とか現代俳句とかを越えて、句作に行き詰まったり、頭で考える句作が続いていると感じるときに、そこに戻れば心がほぐれる、私にとってなくてはならない一冊である。