タイトルの機能

日比谷虚俊

 『美学への招待』という名著を少しずつ読み進めている。おそらく俳句は藝術であると信じて疑わない人がほとんどであると思われるが、そのような人も藝術とは何かと問われると答えに窮するのではなかろうか。藝術がどのような歴史を辿り、どのような側面をもっているのか。学問に誠実な態度を崩すことなく、しかし一般読者にも分かりやすく書かれている。

 その中で著者の佐々木健一先生は「タイトルとは、作品をしかじかのものとして見よ、という命令で、(中略)その世界についての解釈を方向づけるものです」と言う。確かに運動会でおなじみの「天国と地獄」も例えば「◯◯夫人の一日」や「歓喜の女神」となるだけでかなり印象が違ってくる。府中市美術館でミュシャの「ポエジー」を見たときは腰を抜かした。これに「ポエジー」と名付けるかと。知らない方にはぜひご覧いただきたい。タイトルにはそういう力がある。

 翻って俳句はどうだろうか。もちろん、藝術は西洋で生まれたものだから、日本の文芸のすべてが藝術とも限らない。俳句のあらゆる側面が藝術の範疇に収まる必要もない。しかし俳諧におけるタイトルはケッヘル番号のような、便宜上振られるもので、佐々木先生の言うような力はない。「ミヤコホテル」以降の俳句連作も、どこまでタイトルの力を知っていた、あるいは信じていただろうか。

 もう一つ、タイトルは精神的世界を持っていることの宣誓でもある。ここからは私の点として存在する知識をやんごとなき想像力により繋ぎ合わせたもので、出典を示せるわけではないことを断っておきたい。西洋では人間が特別視されており、動物や自然とは切り離されて考えられてきた。すなわち、人間の生み出す美(藝術)と自然美は別物でなければならない。そこで自然美には精神的世界がないとし、人間の生み出す美に劣るとした。絵画は単なる色の集合ではなく、精神的世界を持ったものなのだと示すためにタイトルは機能してきた。

俳句連作には支配的なハウツーというものが存在しない。一句単位では客観写生などが支配的、言うなればスタンダードとして存在する一方で連作にはないということは、支配的な位置を占めるほどの傑作がまだ生まれていないということではなかろうか。傑作が認められるためには、ある程度の人数が同じ基準を有していなければならない。基準の一つとして、藝術のタイトルの力を借りるのはいかがだろう。

いざ言問はむ

掌の青き小鳥が死んでゐる

四半世紀も歯磨きが下手

冬あをぞら授業にゐてもゐなくても

泥濘のだんだん深くなりにけり

失恋や錨が沈みきるまで見

可能世界意味論獺魚を祭る

俳界に大橋ありや桜東風

争ひを見てゐる無垢の巨人かな

略歴
2000年生まれ。2017年、作句開始。2020年、連句に出会う。群馬東京間の通学に苦しんでいる。

 

 

野球好き俳句好き

亘 航希

 2024年のプロ野球日本シリーズはDeNAベイスターズが大方の予想を裏切り福岡ソフトバンクホークスを4勝2敗で破り幕を閉じました。横浜ファンの私ですが正直、ホークスに勝てるわけないと思っていましたし、その前のクライマックスシリーズさえ突破できると思っていませんでした。その分日本一の喜びは大きく、また来年こそはきっとペナントを制してくれると早くも期待しております。

 さて、俳句好きかつ野球好きの私はよく野球をテーマにした句を作ります。俳人の方が普段どれくらい野球の句を作るのかは分かりませんが、これが結構難しいのです。すでにあらゆる場面が詠まれており、季語が動くと思うこともしばしばあります。特に夏の季語である「ナイター」を使って作句すると、どこか報告的で過去の類想を抜け切れてないなとよく感じます。

 作るのは難しい野球俳句も読み手としては好きな句がたくさんあります。例えば、

  ナイターの光芒大河へだてけり    水原秋櫻子

  ナイターの八回までは勝ちゐしが   大島民郎

  フルベース捕手まくなぎをべつと吐く 土井探花

 ナイターをたくさん詠んだ秋櫻子の句は今でも目にする事が多いですね。特に光芒の句は秋櫻子の代表句と言って良いでしょう。かつて「光の球場」と呼ばれた東京スタジアムではないかとする説があるそうです。大景を描く秋櫻子の技術が詰まった一句で熱狂とライトの光が調和して美しさを演出しています。

 民郎の句は野球ファンなら誰しも納得できる句でしょう。投手分業制が敷かれた現在抑え投手は球団の顔であり、四番とともに勝敗に責任を取る大事なポジションです。精神的に強くなければ務まりません。守護神と言われますが現代ではSNSの普及もあり、打たれたら即叩かれるポジションとも言えます。

 探花の句は捕手が口に入ったまくなぎを単に吐き出しているだけでなく満塁による焦燥感、不安感をまくなぎという人間にまとわりつく羽虫に託しています。これは捕手というホームベースを守るポジションでないと危機感が伝わりません。

 「ナイター」は季語に定着し角川俳句大歳時記にも晩夏の季語として掲載されており、「甲子園球場など屋外の球場での試合を思い描き、夜の闇のなか、強力な照明に球場全体が照らされている風景が想像される」とあります。

 現在のプロ野球でこの季語の本意に叶った球場は幾つあるのでしょうか。昨今の異常気象が今後も続けば今以上にドーム球場化が進むでしょう。

 野球好き俳句好きとして今後も共に大衆の娯楽として続いていくことを願います。

日本シリーズ

虫の世の住人として立話

日本シリーズ厠のひかりほのかなる

皆残す喫茶の水や賢治の忌

フラスコの中の地球へ神の旅

うつかりと丹頂の道漏らしけり

マネキンの眼の凹みたる寒さかな

遠火事や野球部だけは続けるぞ

モンベルのジャケツの熊の公休日

略歴
1986年愛知県生まれ。「いつき組」所属、「楽園」会員。