ちょうどいい

こしのゆみこ

白帝の犬も私も長い影

うっすらと鹿の匂いの軍手干す

踊り場の四角い小春の中さみし

貝殻釦きちんとはめて白鳥来

ちょうどいい岩ある東京ひなたぼこ

 

「ちょうどいい」の鑑賞

高木宇大

白帝の犬も私も長い影

 「白帝の」で軽く切れを入れて読むのだろうが、続けて読むと白い犬の姿も浮かんでくる。並列で置かれた私も白を匂わせている。その二つの白と影の黒とのコントラストも、色の対比としても効果的だ。長い影としたことで、どことなく晩秋の雰囲気も醸している。犬も私も「白帝の長い影」に飲まれてしまったかのようだ。

うっすらと鹿の匂いの軍手干す

 下五に軍手干すがあることで、この句の主の仕事が何となくわかる。奈良公園の鹿とは限らないが、鹿の世話をしている人のようだ。ただ、狩猟家がジビエ料理のために鹿を解体した後のようにも思えてくるのだが、「うっすら」なので、多分、前者なのだろう。鹿が妻を求める声が哀愁を帯びていることから、鹿は秋の季語になったのだが、確かにこの句の季感は、秋そのものだ。

踊り場の四角い小春の中さみし

 この句の眼目は、あの踊り場の四角に小春を見出したこととなのだが、それに留まらず、その中がさみしいという措辞も添えてきた。作者が小春の中で一人たたずみ、壁に貼られた掲示物などを読みながら、物思いと言う寂しさを楽しんでいる場所が、踊り場なのだろう。

貝殻釦きちんとはめて白鳥来

 この連作の中から一句を挙げよと言われたら、躊躇なくこの句をと言いたい。ゆみこ俳句は平明な言葉を紡ぎながらも、さりげない不思議さと驚きがある。発想力と言えばそれまでだが、そこに観察力があるからこその賜物だ。この句も「きちんとはめて」の措辞が秀逸。飛来する純白の白鳥の胸元に光るものがあるとしたら、それは貝殻釦なのだ。

ちょうどいい岩ある東京ひなたぼこ

 「石」であれば簡単に座れるが、「岩」に座るというのは相当難儀だ。庭園などにある眼前の岩を愛でながらのひなたぼこと読むのが自然なのかもしれないが、大きな岩にちょこんと座り、足をぶらぶらさせながらのひなたぼこを想像する方が断然楽しい。

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昼の風呂

高木宇大 

 

深井戸に空の切れはし冬晴るる

こがらしや能面のうら穴五つ

しやつくりを止める方法開戦日

冬眠やけものの骨がこきと鳴る

遠ざけても遠ざけても柚子昼の風呂

 

遠ざけても遠ざけてもうふふ

こしのゆみこ

深井戸に空の切れはし冬晴るる

 子供の頃、わが家が新築されたおり、井戸を掘ってもらった記憶がある。かつては家とセットで井戸が生まれたのである。子供のためか、わが家はすぐポンプ式になり、しばらくして越野商店は保健所の要請で水道をひき、蛇口式になった。
 夫の実家にはつるべのある井戸があった。のぞくと私の影が映り、深い闇の音が反響して、今にも吸い込まれそうでこわかった。そうか、あの深井戸に「空の切れはし」があるのなら勇気を出して今一度のぞこうか。

こがらしや能面のうら穴五つ

 近頃は能面の裏側も見せてくれる美術館が増えてきた。能面の表は胡粉が塗り重ねられ、顔料や筆書きでかすかな表情をしたためる。面裏は汗などの浸透を防ぐために漆を塗るのみ。裏側のノミ跡鉋跡の他、作者独自の印付けを残したり、銘の他に由来なども書かれる。中には前の持ち主の顔の触れた裏面を嫌い、新たに裏面全面を彫らせた大名もいて、面の履歴が書き換えられてしまうこともあった。
 そうした面裏ではあるが、小面も増女も童子も面裏はどれも似た様相に見える。しかし五つの穴が醸し出す「こがらし」がふさわしいのは増女の面裏だろう。

しやつくりを止める方法開戦日

 しゃっくりを止める方法は息を止めたり、水を飲んだりする方が理にかなうようだが、私は昔から、そして今でもやっているのが、ひっくひっくしている人に向かって突然大きく「わっ!」といって驚かす方法だ。案外効き目があって、私がしゃっくりが出始めたら、「それやってみて」と言ったりする。
 「開戦日」といわれたら、しゃっくりはもとより息の根の方が止まってしまう絶妙さ。

冬眠やけものの骨がこきと鳴る

 漫才師のビートたけしが右肩をコキコキ上げ下げさせていたが、最近、私も左肩をピクピクさせるようになった。コキコキと音もして楽になるかんじ。仕事が変わってリュック生活が、左肩斜めがけの鞄生活になり、肩のベルトが左肩の痙攣ダンスを誘うのだろう。
 この句のけものは人間をふくめたけものと思っていい。冬眠中、けものたちも、時々こきと骨を鳴らしてぴくついていたら楽しい。

遠ざけても遠ざけても柚子昼の風呂

 昼の柚子風呂、なんて贅沢な。温泉旅行の大浴場か、まだ明るいうちの銭湯の一番風呂を思わせる「昼の風呂」。家庭の数個の柚子湯なんかじゃなく、遠ざけても遠ざけても、身にまとわりついてじゃまくさいほど豪勢な柚子風呂に浸る。冬至の日の一年で一番短い昼をいつくしむ至福な「昼の風呂」のひととき。「遠ざけても遠ざけても」ほんとやになっちゃうよってみんなにいいたい心もち。