虚子御一行様(武蔵野探勝を辿る)  

大石雄鬼

 高濱虚子は昭和5年8月から昭和14年1月まで毎月、実に100回に渡り約20名ほどで武蔵野探勝を行っている。スタートは府中の欅並木。私も府中に住んでいたことから興味を持ち、令和4年8月、当時とほぼ同じ季節に同じ場所を俳句仲間と廻ることにした。

府中・欅並木

 何か所か廻って気づいたことは、名勝地として期待できる時期には行っていないことである。府中と言えばその中心は大國魂神社であり、くらやみ祭であるが、祭の5月には行っていないし、大國魂神社にもほとんど寄っていない。暑い時期、欅並木とそこに生活する人々を句にしている。手賀沼は10月。夏鳥は帰ってしまっているし、冬鳥はまだ来ていない中途半端な時期である。小金井は12月3日に吟行。実は今でこそ衰退してしまったが、当時、玉川上水堤の小金井の桜は国の名勝に指定され、大変混みあったらしい。虚子は「これでも春の花時に来ると嫌になりますよ」などと言っている。

小金井桜(かつての名勝)

一方、11月の紅葉の時期に平林寺に行っている。私が行ったとき境内は紅葉真っ只中の美しい時期であったが、虚子はさっさと平林寺を出て、雑木林を眺めながら土手で休む。そして帰路に言う。「やっぱりあの土手に休んでゐた時が一番気持ちよかったですね」。武蔵野探勝で虚子が興味を持っていたのは、そこに住む人々であった。

平林寺・紅葉

 虚子一行は寒鮒釣をしている人を目的に釣人を探したり(ついに見つからなかった)、勝手に野焼をして地元の人になんとか消してもらったり(今なら捕まるかも)、川に流され大騒ぎしている様子を二階から眺めていたりと、気ままに武蔵野を楽しんでいる。
 花鳥諷詠と言い出したこの時期、虚子は武蔵野の自然に関わる生活を探しに、武蔵野探勝をスタートしたのであった。