横山白虹と松本清張 
――「眼の壁」「巻頭句の女」「時間の習俗」の俳句を中心に(3)

小野芳美

2.松本清張の小説「眼の壁」に登場する俳句②


「眼の壁」初単行本表紙(1958年2月、光文社刊)
北九州市立松本清張記念館提供

前回より続く
◆cの句
◇単行本 全集 一八五頁
 竜雄は野道を遠ざかって行く荷車をぼんやり見送った。
 高原の空気は冷えていて、陽[ひ]だけが、一望の草の上にうらうらと明かるかった。
  一望の夏野に孤独なる日輪
 竜雄は口ずさんだ。その日輪のなかに、上崎絵津子の姿があった。

◇初出 連載三〇回 一一月三日号掲載
 竜雄は野道を遠ざかっていく荷車をぼんやり見送った。
 高原の空気は冷えていて、陽[ひ]だけが、一望の草の上にうらうらと明るかった。

◆dの句
◇単行本 全集 一九〇頁
 あたりはしだいに薄暗くなりかけてきた。陽が山に沈んで、空だけに明かるく残照がのこっていた。
  荒涼と冷えてゆく身に湖[うみ]ひきよす
 竜雄の頭にはそんな句が浮かんだ。
 そのとき、樹林の中から人影が動いてきた。背が低く太った輪郭であった。竜雄は、はっとして眼を凝らした。

◇初出 連載三一回 一一月一〇日号掲載
 あたりは次第に薄暗くなりかけてきた。陽が山に沈んで、空だけに明るく残照が遺[のこ]っていた。
 その時、樹林の中から人影が動いて来た。背が低く、肥った輪郭であった。竜雄は、はっとして眼を凝らした。

◆eの句
◇単行本 全集 二三七-二三八頁
 群衆が軽い興奮で街を流れた。そう思うのは、彼自身が興奮しているためなのか。
 上崎絵津子が、白い横顔を見せて、まだ彼の横に並んで歩いている。――
  幻[まぼろし]の女[ひと]と行く夜の花ツ手
 彼の頭の中には、この句がひらめいた。

◇初出 連載三八回 一二月二九日号掲載
 群衆が軽い興奮で街を流れた。そう思うのは、彼自身が昂奮しているためなのか。
 上崎絵津子が、白い横顔を見せてまだ彼の横にならんで歩いている。――

 白虹の生前、毎号「自鳴鐘」巻頭に白虹の作品が掲載された。五八年四月号は「幻の女」と題し八句が掲載されている。うち二句は「推理小説『眼の壁』に寄せて 二句」と前書きを添え、

荒寥と冷えてゆく身に湖引き寄す(≒d)
幻の女[ひと]とゆく夜の花八ッ手(≒e)

が掲載されている。また、白虹の第二句集『空港』(一九七四年八月)には

幻の女[ひと]とゆく夜の花八ッ手

が収められている。

 このように「眼の壁」収録句として知られるうち少なくとも二句は白虹の句である――として、本年四月、本連載に先立つ小文をまとめた。横山哲夫氏(白虹のご子息)にご高覧願ったところ、哲夫氏は当時をご存じで、その貴重なご記憶を記した論考「十七字のかげに」(『拓』二〇〇七年四月号掲載)をご教示いただいた。哲夫氏によると、清張が白虹に依頼したもので、小説のゲラを読んで節目の場面にふさわしい句を作ってはめ込む白虹を哲夫氏は横でご覧になっていたという。
 管見のかぎりでは、哲夫氏以外にこの経緯に触れた著述は見つけられなかった。つまり白虹も清張も言及していないのである。白虹が句集に収めていることから、秘密として緘黙したというより、二人の信頼関係に基づく共同作業だったと考えられる。
「眼の壁」の句は、いずれも、物語の流れ上、詠まれる必然性は低い。俳句についての加筆部分を割愛して読んでも差支えはないほどである。
しかし、dの句を例に掘り下げてみる。関係者の遺体が発見された現場を萩崎が検証する場面である。既に夕暮れ時であったが、道路から逸れ「樹林は深く、めったに人を寄せ付けない」山道を二〇〇mも進む。萩崎は、亡くなった男は自らの最期にこのような寂しい場所を選ぶような人物ではなかったと考え、他殺であると結論づける。ここに「荒涼と冷えてゆく身に湖引きよす」の一句が置かれることで、読者には寂寥感が一層強く届く。萩崎の帰り道とは逆方向にある湖のほうに意識が導かれてしまうと、ページをめくる手はさらに止められなくなる。俳句によって物語の面白さは増しているのである。
(おの よしみ・松本清張記念館学芸員)