角川俳句賞の評価軸をめぐって

加藤右馬

 2024年9月3日火曜日、第70回角川俳句賞が若杉朋哉氏の『熊ン蜂』50句に決定した。2024年9月4日、X(旧Twitter)の「角川『俳句』編集部」アカウントにおいて公表され、2024年10月25日発売の角川『俳句』11月号にて特集が組まれている。『熊ン蜂』は、一物仕立てで粒揃いの句を揃えた点が仁平勝氏によって評価され、単純な見立てに止まらない描写が岸本尚毅氏によって評価された。連作としての並びの問題を指摘されつつも、個々の句の質の高さが選考委員諸氏を納得させた。

 月並みだが、日常や身の周りでの「発見」こそが佳句・秀句を作る上での最も優れたタネとなり得るということだろう。3句ほど引いてみる。

  どこからが梅林といふわけでなし

  目がきれいぢつとしてゐる秋の蠅

  防風を抜いたる穴は砂が埋め

 いずれも伸びやかな詠みっぷりでありながら、事象に鋭く切り込んでいる。レトリックというと大袈裟だが、助詞「が」を巧みに使って句の舌触りを整えている。本来俳句においては使いにくいとされる助詞「が」を受賞の水準まで使いこなしている点に、若杉朋哉氏の技術と経験値が表れている。

 若杉氏の受賞に、当然異論はない。50句を読み通せば力量の確かな俳人であることは明確だ。その意味では、予選を通過し選考委員諸氏の一点以上の入った作品は、いずれが受賞してもおかしくはない。賞選考には運否天賦が関わってくるため優劣について述べることは困難を極める(その点に関しては選考委員諸氏も肯ってくれるだろう)が、いくつかの作品については選考に物足りなさや疑問符の付いたものが散見された。今回筆を取ったのは、特に個性的と思われる若杉氏以外の作品群にもう少しだけスポットライトを当ててみたいと思ったためである。

 最初に取り上げるのは佳作に選ばれた野城知里氏『螺子の箱』だ。2024年度第12回『星野立子新人賞』を受賞している野城氏は、<指に砂糖燕まつすぐ沈みゆく>を始めとする感性豊かな佳句で一躍俳壇に躍り出た次世代のスター候補といえよう。この感性が対馬康子氏の詩心を鷲掴みにし、特選の2点を獲得している。対馬氏は選評の中で「抒情性の中に、何か粗削りながら若さの透明感が感じられた」(角川『俳句』2024年11月号87頁、以下“同号”と頁数のみ標す)と記しており、今回の角川俳句賞に寄せられた50句に野城氏の本領が遺憾なく発揮されていることが感じられる。

 選考録において俎上に上がった中から5句ほど引く。

  彫像の歩くかたちの焼野かな

  図書館の奥の梯子や碇星

  焚火かな煙の来れば身をよぢり

  眠りたし樹氷に鰓のやうなもの

  長き夜の出自を知らぬ螺子の箱

 対馬氏がコメントしているように、「表現に未完成なところのある句があって、賛否が分かれる作品」(同号87頁)であることは想像に難くない。一句目<彫像の>は、対馬氏による絶賛の嵐をその一身に受けた秀句といえる。実景を前にしながら抽象度を高めていき、“歩く自我”に対する想像力のみを切り取って一句に仕立て上げた力技が光る。確かに、<彫像の>の句が置かれることで連作『螺子の箱』の焦点が一気に絞られていると言ってよいだろう。二句目<図書館の>、三句目<焚火かな>、いずれも心理の微妙な揺らぎが表現されていて、瑞々しい。四句目<眠りたし>は発想の飛躍によって勝利した。表題句である五句目<長き夜の>は、小さな日常の景の切り取りのはずなのに、世界観の広がりを感じる。ミクロを推し進めた無限といった味わいだろうか。指摘に挙がった“表現の未完成”は、どこか意図的に毀されているようにも見え、必ずしも未熟という印象に留まらない。

 対馬氏による鮮やかな鑑賞を恣にしたにも拘らず『螺子の箱』が本賞の栄誉に与ることがなかったのは、他三名が消化不良を催したからに他ならない。仁平勝氏は連作のメインディッシュともいえる<彫像の>の句に対して「どのようなことを言っているのかわからなかった」(同号89頁)とコメントし、小澤實氏は<図書館の>の句について「屋内の〈梯子〉と屋外の〈碇星〉を取り合わせたのにはピンとこないところでした」(同号89頁)と指摘している。野城氏の詩情を前にして岸本尚毅氏が奮戦を見せるも、「気分ではなく、もっとモノで攻めてほしい」(同号89頁)とやりきれなさを顕にしている。俳句においてポエジーを前面に押し出した作品は作り手にも読み手にも“リスク”を伴うものであるが、『螺子の箱』という野城氏の“不遜な挑戦”に対して、正面から受けて立った選考委員は対馬康子氏ただ一人ということになる。

 次に取り上げるのは、小澤實氏による一点を獲得した『The bird crossed twilight moon』だ。作者の垂水文弥氏は、鳥居真里子氏の主宰する『門』の所属で、NHK俳句にて数号連続で巻頭に輝いた旨が紹介されたことは記憶に新しい。そんな結社の期待を一身に担う垂水氏は、角川俳句賞に対してもマイペースを貫いている。小澤實氏によれば、「できたら表題は日本語のほうがいいかなと思うんですけど」(同号82頁)と前置きされた上で、「英語にすることで繊細さみたいなものを出そうとしているのかもしれません」(同号82頁)との理解が示されている。なるほど表題からして他作品と一線を画することは自明で、掲載された10句から漂う雰囲気も、良い意味で予選通過作品の中で“浮いて”いる。

 選考録において俎上に上がった中から3句ほど引く。

  洗ひ髪ゆゑみづからを塔と呼ぶ

  むかし父とあふぎし聖樹いまもあふぐ

  まぐはつてゐる修司忌の機械と火

 一句目<洗ひ髪>は、上五と中七下五の無関係さが「ゆゑ」によって結びつけられた点が評価されている。詩の要件として“上品な暴力性”が求められるという。垂水氏の卓越した言語センスが、断崖絶壁に隔てられた上五と下五を強引に繋ぎ合わせ、詩の結晶を拵えてしまったといえよう。二句目<むかし父と>には前衛俳句へのリスペクトがある点が指摘されている。確かに、ここまで季語「聖樹」の本意本情を外した句は類を見ない。三句目<まぐはつてゐる>には、どこかプロメテウスの匂いが纏わりついている。無機質さの提示によって古典への想像を喚起する仕掛けが季語「修司忌」とよく合っている。

 垂水氏の用いる言葉のトリックに、小澤實氏は惚れ惚れとしたようだ。<ずつとゐるまんさくに貧相な犬>など、一部小澤氏ですら追従し難い表現もあったようで、その辺りが選考委員諸氏の選を迷わせた要因であろう。だからこそ、『The bird crossed twilight moon』は作家性の表現として成功しているともいえる。対馬康子氏も垂水氏の詩性には目を付けていたとのことなので、来年度以降も垂水氏の切り口の鋭い作品群を味わえることを期待したい。

 最後に紹介したいのが、岸本尚毅氏による一点を獲得した『南紀』だ。作者の花尻万博氏は2013年に俳句雑誌『豈』の主催する第2回攝津幸彦記念賞を受賞している。角川俳句賞には毎年『南紀』のタイトルで応募しているようで、2年前の予選通過時には対馬康子氏の特選を獲得していた。花尻氏もレトリックに特徴のある俳人と言え、掲載10句を読み通すとマジックリアリズム的な錯覚に陥る。

 選考録において俎上に上がった中から3句ほど引く。

  川八目廻る痩せゆく橋脚を

  田ひばりや手紙くはへるおちよけの子

  寒肥を曳くたてがみを汚しけり

 一句目<川八目>は、八目鰻がうねうねと泳いでいる様子が示された後、ウナギが痩せながら消えていき、太い橋脚が目の前に出現する幻覚作用を有している。岸本氏は痩せた橋脚の周りを鰻が泳いでいると解釈しているが、“幻覚”を維持しつつ実相解釈も可能な秀句を仕立てる懐の深さが感じられる。二句目<田ひばりや>の句も、中七「手紙くはへる」は下五「おちよけの子」だけでなく上五「田ひばりや」とも結びついている。一句目同様、中七「手紙くはへる」が、「田ひばり」と「おちよけの子」という一見無関係に見える二物を想念の中で掻き混ぜる。三句目<寒肥を>は、他二句に比べて実景が見えやすい。鬣を汚しながら寒肥を曳く馬の様子は、倒置法によって一層鮮やかに際立つ。岸本氏は、この句について主語の省略について言及したほかは、連作の中に置かれたからこそ嵌るというコメントに留まっている。

 レトリックを用いながらも景の立ち上がりやすい述べ方が岸本氏の目を惹いたのだろう。ただ岸本氏は一貫して“二物の同居”として句を解釈しており、その評が、イメージの複層と変奏を引き起こす『南紀』の魅力を余すところなく伝えているとは思いづらい。今年度の角川俳句賞の選考座談会においては『南紀』も読まれ尽くしたわけではなさそうだ。来年度以降に花尻氏が栄誉に与ることになれば、その年の『南紀』の表現に従って「叙法の錯覚」の本領を味わうことが出来るだろう。

 以上、各選考委員の一点(もしくは特選)を獲得した先鋭的な3つの作品を取り上げてみた。いずれも実相・実景の描写に腐心する他の連作とは異なる魅力を備えた佳品である。近年の角川俳句賞選考は「モノの見立てと描写」「臭みのないレトリック」「状況整合性」「可読性(伝わりやすさ)」あたりの評価軸の間で比重を分け合っているように思われる。作家性や心情・情念について真っ先に言及するのは対馬康子氏以外居ないように思われる。対馬氏が選考委員に名を連ねるようになったのは、まさに固定化しつつある評価軸に風穴を開けるためではなかったか。今回紹介した3人の作家の連作のように、書き手にも読み手にも“リスク”の伴う作品がより多く予選を通過するようになれば選考座談会も骨太なものとなろう。来年以降に向けて角川『俳句』編集部には期待とエールを送りたい。