「3協会統合論」のアゴラ実現に向けて―西池冬扇氏に答える

筑紫磐井

 WEB版「現代俳句」9月号で西池冬扇氏が「対談『虚子俳句と花鳥諷詠の前衛性』をめぐって」を書かれていた。西池氏は、3協会統合論の実りある議論のためアゴラの設置を提案していた。全く同感であるが、議論の充実のためには少しどのようにこの議論が始まり、展開したのかを見ておくことが望ましいと思う。
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 3協会統合論の発端は、「俳壇無風」論に始まると思っている。まず‎「俳壇」2022‎年‎12‎月号で特別寄稿「俳壇無風論――四半世紀区分で見た俳壇」(筑紫磐井)が掲載され、これを受けて『俳壇』誌2023年5月号で仁平勝・堀田季何・筑紫磐井による‎特別鼎談「「俳壇無風論」をめぐって」が掲載された。この中では鼎談参加者はおおむね現在の俳壇が無風であることも共通認識は持っていたようである。
 さていつの時代も俳壇無風論は主張されたようである。古いところでは1960年(昭35)の『俳句年鑑』で、西東三鬼が「現代の俳壇に十人の金子が居たら「俳壇無風」などという毎年の決まり文句はなくなるだろう。」と述べたりしていることから60年近く俳壇無風論の歴史はあることが分かる。ただ前の俳壇無風論の特徴は、この直後、金子兜太らによる前衛俳句が俳壇を席巻し、俳壇無風を払拭したことである。
 今回の「俳壇」における論争の特徴は印象論に止まらず、「俳壇一二五年史年表」を付して副題にあるように「四半世紀区分で見た俳壇」ということで実証を試みたことである。細かくは述べないが、俳壇125年の歴史を25年ごとに区分して、風力を検証してみたものである。

【第1期】1896年(明治29年)~   風力5
【第2期】1921年(大正10年)~   風力4
【第3期】1946年(昭和21年)~   風力5
【第4期】1971年(昭和46年)~   風力3
【第5期】1996年(平成8年)~    風力1
【第6期】2021年(令和3年)~現在  風力0(ないし逆風)

 この俳壇の風力を俳句史に即して見るということが新基軸であると思う。この俳壇無風化が戦後顕著であることから、戦後俳句史を分析してみることにした。
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 このように俳壇無風化を検証するためにまとめたのが拙著『戦後俳句史nouveau 1945-2023三協会統合論』であった。ごく大筋を言えば、第1の「第二芸術」、「社会性俳句」「前衛俳句」「心象伝統俳句」の戦後俳句の歴史と、第二の戦後俳壇(協会、ジャーナリズム)の歴史をたどり、個性豊かな作家たちが作った俳句史が、俳人協会の創設以後俳壇史の形態をとって展開して行く歴史へと変化したことを述べたものである。そして後者の時代こそが俳壇無風の原因となったことを述べ、3協会統合こそ無風の俳壇に風を起こすことを述べたものである。
 ここで提案した俳壇無風の処方箋である3協会統合論はかなり反響があったように思う。この一年間ほどの間に起きた3協会統合論について眺めておくことが望ましい。早い例では、「2024年版俳壇年鑑」(5月刊)の「鼎談俳句史という視座――俳壇展望」(神野紗希・筑紫磐井・中村雅樹)で一部この問題を取り上げている。特に3協会統合論の議論が拡散したのは総合誌「WEP俳句通信」140号(6月刊)で「特集 三協会統合について」が特集されたことによる。内容は次のとおりである。

筑紫 磐井(現・俳) 「三協会はなぜ鼎立したか―――協会統合の前提として」●
西池 冬扇(現・俳) 「俳句広場(アゴラ)を作ろう」●
仲村 青彦(俳)    「俳句/俳句/俳句 Ⅱ」
角谷 昌子(俳)    「俳人協会設立を再考して」●
冨田 正吉(俳)   「三協会統合に向けての私論」●
中山 世一(俳)   「俳句三協会の統合について」●
柳生 正名(現)    「『本質的類想句』の視座から―『三協会統合』論をめぐって」●
堀田 季何(現)    「M&Aに他ならない」●
井上 泰至(伝)    「いい野合、悪い野合――三協会統合論に触れて」

 参考までに、2024年版俳句年鑑でその所属する協会を掲げておいた。また、その主張の3協会統合ないし統合に向けての議論に賛意を評される論には●を付したが、付されていない論者も全く否定的であるわけではない。
 
 3協会統合論の対象となる協会側での議論も進んでいる。現代俳句協会では冊子版の『現代俳句』7月号と8月号に掲載された星野高士と筑紫磐井の対談「花鳥諷詠と前衛―三協会統合の可能性」(上)(下)があり、またWEB版現代俳句(現俳ウエブ)9月号に、上述した西池冬扇氏の「対談「虚子俳句と花鳥諷詠の前衛性」をめぐって」が載った。これは、「WEP俳句通信」140号西池冬扇「俳句広場(アゴラ)を作ろう」を受け継いだ論旨となっている。
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 こんな3協会の統合が現実に可能なのかはそれぞれに意見があることであるが、それは西池氏のいうアゴラで議論していけばいいと思う。筆者の立場で言えば、3協会統合論を発表して以降明白にこれに反対の立場を示された人はたったひとりであったからアゴラで議論することに反対の人はほとんどいないであろう。
 念のために言っておけば、冒頭にも述べたように、3協会統合論は政治的な統合に意味があるわけではなく、俳壇無風の文脈で登場する。正確に言えば、時間の針を戻してみようということである。昭和36年以前は現代俳句協会において前衛と伝統の同居が何の不思議もなく行われていた。当時俳壇の唯一の賞と言える現代俳句協会賞を見てみると、32年度には鈴木六林男と飯田龍太、31年度には金子兜太と能村登四郎が共同受賞している。その前も、年度はずれるものの、30年度は野沢節子、29年度は佐藤鬼房と受賞し、中村草田男ですらこうした伝統と前衛の共同・交互受賞を評価しているのである。そしてこうした時代こそ、戦後俳句の黄金時代であったことが確認できるのである。特定の俳句を排除しないこと、自分にない俳句も一応研究、批評することが俳壇無風を忌避して行く解決策だと思うのである。
(詳細については2025年版WEB俳句年鑑に掲載の予定なので、概略を掲げた。)