リマインド
山岸由佳
長野の実家では、時々お昼に注文していないカツ丼が届く。もうすぐ100歳になる近所のご老人が、一人分頼むのが悪いと思うのか、一人暮らしをしている父の分も一緒に頼んでくれるのだという。三軒先のお蕎麦やさんのカツ丼だ。90歳を過ぎてカツ丼を食べるのは元気だなぁと思っていたが、先日、コロナウィルスに感染し倒れているところを、お弁当の配達員と父が発見し、今は入院をしているそうだ。
新興住宅地として売り出された土地に父が家を建て、私は小さな町で育った。第2次ベビーブームの時代に兄、姉が生まれ、私はベビーブームには少し遅れるものの、町の友達と毎日ドッジボールやプールに行ったりして遊んだ。時代が変わり、多くの子供達は巣立っていき、いまでは高齢者が多く、空家も増えてきた。県外から移住してくる人もいるようだ。父も高齢になり、近所のやはりご高齢のご婦人にコーラスや体操に誘われて行くようになった。すると、コーラスの何日か前に、ご婦人がお料理を持って、「○○日はコーラスですね」とさりげなく言って帰っていくという。リマインドメールならぬリマインド料理というべきか。遠く離れて住む私はありがたいなぁと思って聞いている。
今年の6月に、国立新美術館の企画展『遠距離現在 Universal / Remote』を観てきた。全世界規模の「Pan-」と、非対面の遠隔操作「リモート」の2つの視点から、グローバル資本主義や社会のデジタル化といったテーマをポストコロナ時代の現代から捉えなおし、8名の作家と一組の作品が展示された。そのうちの一人、デンマークのティナ・エングホフ氏は、孤独死の部屋の写真を撮り続け、「北欧は福祉が充実し、幸福度が高いとされている。でも、だからこそ他人を頼る必要性が低くなり、人とのつながりが希薄になった。若くして孤独死している人もいる」という。本当に助けが必要な人の声が届かない孤独死よりも、社会福祉が充実した自立できる暮らしは良いのではないかとも思うが、そこにさえ、見えない穴が潜んでいるのだろう。