その魂は何グラム?

なつはづき

 ここ数年、毎年カブトムシを貰っているが、これを書いている10月末日まで我が家のカブトムシは生き永らえている。これはかなりレアケースだ。彼らは越冬出来ない。「寿命は112日」(細かい!)と言われるが、今まで飼った個体は大概10月を待たずして音も立てずに死んでいた。生きている時は掴むと「何だ、わりゃ!!(怒)」とばかりに暴れるが、動かなくなったカブトムシを掌に載せると、あれ?と思うほど軽い。人間の魂は「21グラム」などと言われているが、カブトムシはその体自体が10グラムほどだ。
 ひつぱれる糸まつすぐや甲虫 高野素十

 実はこの句を初めて読んだときに一瞬景が思い浮かばなかった。角川の歳時記には『子供が角に糸をつけて物を引かせて遊んだりする』とある。遊ぶ? 皆さん遊んだことあるのかな。わたしはない。子供の頃から一回もない。虫が嫌いなわけでも、触れないわけでもない。ただ、遊ぼうと思ったことが全くないのだ。

 では大人のわたしが貰ってまで飼育し、何をしているのかと言われそうだが、一言でいうと「何もしていない」。大き目のプラケースを毎日清潔に保ち、霧吹きで丁寧に土を湿らせ、餌のゼリーを絶やさない。昼間は枯草や土の中に潜んでいるがそのままにしている。夜、出てきたら静かに眺める。カブトムシがカブトムシらしく生活できるよう、邪魔は極力しない。

 夜、パソコンに向かっていると、プラケースを引っ掻く微かな音がする。「キイちゃん、今日も生きているね」と彼の名を呼び、しばし手を止めて眺めてやる。そしてまた仕事に戻る。パタパタパタとキーボードを叩く音と、キイキイキイとプラケースを引っ掻く音が不器用なハーモニーを奏でる。「命の隣にいる安心感」これが恐らくカブトムシと暮らす理由だ。傍に何グラムかわからない程のささやかな命がある。そう確かめられるのは自分にも命があり、今確かに生きているからなのだ。
 かぶと虫かさりと父の戻る夜  はづき