被爆と反核の俳人松尾あつゆき ― 生誕一二〇年から戦後八〇年へ
信濃毎日新聞文化部記者 上野啓祐
松尾あつゆき(撮影は1960年代以降。孫の平田周氏提供)
今年のノーベル平和賞を日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)が受賞した。ちょうど今年は、長崎で被爆して同団体の活動にも関わった自由律の俳人、松尾あつゆき(本名・敦之、1904~83年)の生誕120年。来年は被爆と終戦から80年を迎える。
なにもかもなくした手に四まいの爆死証明
あわれ七カ月のいのちの、はなびらのような骨かな
降伏のみことのり、妻をやく火いまぞ熾(さか)りつ
あつゆきは長崎で被爆し、妻と三人の子を亡くした。末子はわずか生後七カ月。遺体は自らの手で荼毘に付した。8月15日、最後に亡くなった妻の遺体を焼いているまさにその時、ラジオから「玉音放送」が流れた―。その場面を詠んだのが〈降伏のみことのり―〉だ。
筆者は、この句からタイトルを借りた評伝『いまぞ熾りつ被爆と反核の俳人松尾あつゆき』を八月に上梓した。「信濃毎日新聞」文化面に掲載した計35回の連載に加筆・修正した。
信州の地方紙で長崎の俳人を取り上げたのは、あつゆきが被爆後、11年余を信州で過ごしたという縁があったからだ。ここで簡単にあつゆきの生涯と作品を紹介しよう。
あつゆきは長崎県北松浦郡佐々町生まれ。3歳で松尾家の養子となり長崎市へ。学生時代の20歳の頃、荻原井泉水(1884~1976年)が提唱した自由律俳句を志す。井泉水の「層雲」に入門したのは4年後の1928(昭和3)年ということになっている。10年後の38年に第一句集「浮灯台」を出すなど、次第に頭角を現していった。
実生活も充実していた。長崎市立商業学校の英語教師として務めながら、結婚して二男二女に恵まれた。戦火が激しくなった44年4月、同校を退職。反戦の思いから学校側と対立したため―という教え子の証言もある。
45年8月9日、再就職した「食糧営団」に勤務中に被爆。自身は大きな被害を受けずに済んだが、自宅は爆心地から約700メートルの近さだった。家は全壊し、長男海人、次男宏人、次女由紀子、そして妻千代子の四人は強烈な爆風と放射線を受け、数日内に相次いで亡くなった。
まくらもと子を骨にしてあわれちちがはる
ほのお、兄をなかによりそうて火になる
軍需工場に動員されていた長女みち子は、瀕死の重傷を負ったが、あつゆきの看護で次第に回復した(後に結婚、3人の子どもに恵まれる)。翌四六年春、みち子が女学校に復帰すると、あつゆきはひとり佐々町の納屋にこもり、被爆体験を詠んだ原爆俳句を作った。「なにもかもなくし」絶望のどん底にあったあつゆきを救ったのは俳句だった。推敲を重ね、6月、35句が完成した。
同じ頃、佐世保市の旧制中学校に教員として復帰。そして48年5月、信州出身の芹沢とみ子と再婚したことが、あつゆきを信州へと導いた。とみ子は井泉水の後妻の若寿(わかす)の妹であり、また井泉水の高弟、内島北朗(1893~1978年)の妻ツガルの妹だった。つまり芹沢家の三姉妹が「層雲」の師弟三人の妻となったのだ。
陶工でもあった北朗は当時、今の長野市に窯を構えていて、県関係者につてがあった。義弟となったあつゆきに職を斡旋したようだ。あつゆきは49年9月、屋代東高校に赴任。51年からは松代高校の教頭となった。この間の俳句は、信州の風物を詠んだものが中心で、原爆に関するものは一つも作らなかった。心機一転、つらい過去を忘れようとしたのかもしれない。
雪のふくらんでいるところがふきのとう
ところが、54年3月に米国の水爆実験で日本の漁船も被爆したビキニ環礁での「ビキニ事件」が起こると、原水爆禁止運動に携わっていく。「長野県原水爆被災者の会」初代会長に就き、病院に無料検診を掛け合ったり、交流会を開いたりした。56年には長崎で開かれた「原水爆禁止世界大会」に出席。被団協の発足にも立ち会った。61年春、高校を定年退職して長崎に戻る。表立った活動は退き、とみ子と二人、被爆による健康不安を抱えながら静かに鎮魂の日々を送った。
空にはとんぼういつまでも年とらぬ子が瞼の中
72年、急性肝炎で入院中、戦前の長崎市立商業の教え子たちが寄付を募り、主著となる句集『原爆句抄』を刊行することができた。
一つ生き残るつくつくぼうし声長くなく
同句集の最後に収めたこの句には、寂寥と共に、運命を変えた原爆=核兵器にどこまでも反対する思いがにじんでいる。物静かな人物だったようだが、胸の奥には炎が燃え熾っていた。83年10月10日、79年の生涯を閉じた。
長崎市の平和公園に立つ「原爆句碑」。あつゆきを筆頭に金子兜太の句も。
長崎の平和公園に「原爆句碑」(61年建立)がある。その筆頭に刻まれているのが、あつゆきの〈なにもかもなくした四枚の爆死証明〉だ。12人による1句ずつで、その9句目にあるのが、金子兜太の「弯曲し火傷し爆心地のマラソン」だ。ちなみにNHKが2022年に放送した「究極の短歌・俳句100選」という番組で、あつゆきの〈すべなし地に置けば子にむらがる蝿〉が、兜太の「弯曲し―」と共に選ばれていた。
拙著では、井泉水や山頭火をはじめ、他の俳人との関わりや影響を考察したほか、自由律俳句の成立と発展、プロレタリア俳句の盛衰、戦争と俳句弾圧事件、占領下での検閲など、俳句界を巡る動きも描いた(川名大氏らの研究に大いに助けられた)。戦争や核兵器と、文学・芸術がいかなる関係にあるのか―が、もう一つのテーマである。
ぜひご一読いただき、率直な感想・ご批判をいただければと思っている。
『いまぞ熾りつ 被爆と反核の俳人松尾あつゆき』
※『いまぞ熾りつ』は信濃毎日新聞社刊。四六判、256ぺージ、税込み1980円。ネットでも購入可能。問い合わせは(電話026・236・3377)へ。
(了)