便座で思う
大石雄鬼
10月15日夜、内野聖陽主演によるこまつ座の「芭蕉通夜舟」を観に行った。本劇は1983年に初演。手もとにそのときの井上ひさしの戯曲があり、芭蕉役は小沢昭一であった。私としては、すっとした内野聖陽もよいが、濁った感じの小沢昭一の芭蕉姿も見てみたかった。劇は雪隠、便座が主役と言っていいような展開。便座をくるりとひっくり返し次の場面では文机にする。最初、それは今回の舞台演出だと思ったが、井上ひさしの戯曲に忠実であった。セリフにも出てくるが、『三上吟』に「人間五十年といへり我二十五年をば後架にながらへたる也」という芭蕉の言葉がある。そうして芭蕉の精神的人生を辿っていく。
便座と言えば、十年以上前、金子兜太先生に現代俳句講座の講師をお願いした時、司会役の私は、金子先生は講義直前にトイレの個室で講義の内容を考える、また、寝室には尿瓶を持ち込んで使っている、と紹介した。先生はなんだか得意げで嬉しそうだった。
長寿の母うんこのようにわれを産みぬ 金子兜太
男にとって、トイレの個室に入るのはなんとなく恥ずかしい。小学生の時はもちろんだが、もう老年になろうとしているのに、私はいまだになんだか恥ずかしい。外のトイレで大便をするときは、匂いが恥ずかしくてすぐ流す。でも、自宅では水道代がもったいないのですぐ流さない、と何十年も前に桂三枝(当時の)がテレビで言ったことに共感し、可笑しかった。恥ずかしさを伴う共感は、秘密ごとのように可笑しみを生む。そしてそこを突き抜けた人を見ると、人間の本質に近づいているなあと思う。
あたたかき便座にありて夏痩せる 大石雄鬼
※三上吟とは、芭蕉七回忌の追善集として其角が編んだ俳諧選集。三上とは、文章を練るのに最もふさわしい三つの場所、枕上、馬上、厠上を指す。
筆者プロフィール
おおいし・ゆうき
「陸」編集長 「豆の木」参加
第14回現代俳句協会新人賞、「陸」賞
句集『だぶだぶの服』