新作現代俳句十句とその鑑賞

武田伸一

故郷や泉の裏の音かすか

天の川足裏の弾力ありて行く

盆見舞い木の枕木のありし頃

仮の世の食後の器冷たかり

かわたれにありける箱庭壊さざる

川に出て秋を確かめいたりけり

どの杖も山川草木枯るる中

乱世なり馬追いの髭そより来る

風は秋一名様より姥を捨て

ふるさとの長十郎とう梨果てし

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百字鑑賞
武田伸一「秋」鑑賞

秋尾 敏

故郷や泉の裏の音かすか

 作者は千葉県市川市に住むが、秋田県能代市の生まれ。タイトルの「秋」はむろん季節だが、故郷の気配をも響かせる。遠い故郷の「泉の裏」に潜むものは作者の過去の記憶のすべてであろう。

天の川足裏の弾力ありて行く

 「足裏の弾力」は生命力。この身体感覚が作者の生命線。まだまだ歩ける。歩けるうちに歩く。見上げた「天の川」まで。

盆見舞い木の枕木のありし頃

 平成三十年、国土交通省は脱線事故防止のため、PC枕木への転換を業界に通知。これにより間伐材の用途がまた一つ減り、また列車の通過音もいささか変わることになった。だが、作者の「盆見舞い」はそれよりはるか昔のこと。各駅停車の駅を降り、遠い親戚迄も回った時代であろう。

仮の世の食後の器冷たかり

 「仮の世」は此の世。特に「仮の世」などと言わなくともとも思うが、しかしどこかに「食後の器」までも暖かい、本来の世があるということであろう。信じる信じないは人の自由だが、作者はそれを信じている。

かわたれにありける箱庭壊さざる

 「かわたれ」は黄昏時。人生になぞらえれば晩年である。ならば「かわたれにありける箱庭」は、今の自分の生活そのものであろう。それを「壊さざる」というのは当然のようでもあるが、そうでない人も多い。「壊さざる」は、深く、強い決意であろう。

川に出て秋を確かめいたりけり

 作者は昭和十年生まれ。国民学校世代である。十五年まであった尋常小学校には大正自由主義の影響があったが、十六年から日本の教育は大きく変わる。「秋を確かめいたりけり」は風趣であろうが、この世代独特の律儀さというようなものもあるのではなかろうか。

どの杖も山川草木枯るる中

 杖を持った多くの人が、枯れた世界を歩き続けている。これはおそらく現在の此の世の姿を象徴的に捉えた作者自身の世界イメージである。

乱世なり馬追いの髭そより来る

 「そより」はしずしずとというようなことかと思う。「乱世」なればこその「そより」である。油断してはいけない。世界戦争は既に始まっている。誰もが誰かに狙われている。

風は秋一名様より姥を捨て

 「一名様」は捨てられた「姥」か、それとも捨てた子か。いずれにせよ、初めの一人がいたことは確か。それは誰であったのだろう。

ふるさとの長十郎とう梨果てし

 秋田県全体で見れば、まだ長十郎を出荷している農家はある。しかし秋泉などの新種も登場し、作者が付き合う農家は新種に変えたようだ。一方、千葉県市川市も梨の名産地。こちらも二十世紀や長十郎は消えつつあるが、まだ店頭には並んでいる。梨が繋ぐ故郷と現在。人生は面白い。