連載 横山白虹と松本清張 第二回
――「眼の壁」「巻頭句の女」「時間の習俗」の俳句を中心に⑵
小野芳美
二.松本清張の小説「眼の壁」に登場する俳句①
「眼の壁」は1957年、「週刊読売」(4月14日号~12月29日号)に全38回にわたって掲載された。「眼の壁」は「点と線」と同時期に連載されていた。連載時はまだベストセラー作家として人気を博す前夜だが、「眼の壁」では経済犯罪を、「点と線」は運行開始したばかりの特急あさかぜを取り入れた時刻表トリックを試みるなど、既に清張の意欲的な姿勢が現れている。
「眼の壁」には、主人公(萩崎竜雄)が詠む五句が登場する。
a 春昼に消えては浮かぶ群れたる眼
b 陽の下を看護婦よぎる音もなく
c 一望の夏野に孤独なる日輪
d 荒涼と冷えてゆく身に湖(うみ)引きよす
e 幻(まぼろし)の女(ひと)と行く夜の花八ツ手
これらの句はいずれも初出の「週刊読売」誌上には現れていない。「眼の壁」は単行本化に際し全体的に加筆修正が多くなされている。上掲五句とも加筆修正後の初単行本(1958年2月 光文社)で初めて登場する。
(以下、初出以外の引用は「松本清張全集」第2巻〈1971年6月 文藝春秋〉収録のものに拠るが、初単行本と同様である。現在入手しやすい新潮文庫も同様)
単行本では、aの句に先立ち、萩崎竜雄が俳句を趣味にしていると示す描写があるが、初出にはこの描写もない。俳句に限らず、萩崎の人柄を示すような趣味や余暇に関する描写そのものがない。
横山白虹と松本清張 1965年12月清張自宅にて 撮影:森村誠一
提供:北九州市立文学館
◆俳句についての描写
◇単行本 全集2巻 36頁
「うむ、妙なことをきくようだが、君は舟坂英明という人を知らないか?」
竜雄は声を小さくして言った。
「知らんな。おれに近づきのある人ではない。やっぱり俳句をひねる人か?」
田村満吉は言下に言った。彼は竜雄が現代俳句に凝っていることをかねて知っていた。
「いや、そんなじゃない。新聞社として、そういう人を知らないか、というのだ」
◇初出 連載6回「背後」5月19日号掲載
「うむ、妙なことをきくようだが、君は舟坂英明という人を知らないか?」
竜雄は声を小さくして云った。
「知らんな。おれに近づきのある人ではない」
田村は言下にいった。
「いや、そんな意味じゃない。新聞社として、そういう人を知らないか、というのだ?」
さらに「単行本」でa~eの句が登場する場面の描写を「初出」と対比する形で紹介していく。
◆aの句(以下、句の太字表記は筆者)
◇単行本 全集 99頁
四十分たったが、田村は姿を現さなかった。受付風景も見飽きたので、竜雄は煙草を口にくわえて所在なさに一句考えた。
春昼に消えては浮かぶ群れたる眼
「やあ、待たせたな、すまなかった」
田村満吉が汗を光らせながら大急ぎではいってきた。
◇初出 連載16回 7月28日号掲載
四十分経ったが、田村は姿を現さなかった。受付風景も見飽きたので、竜雄は少し苛々(いら いら)してきた。それから煙草を口にくわえたところに、田村が汗をかきながら大急ぎで入ってきた。
「やあ、待たせたな、済まなかった」
田村は大きな息を吐いて云った。
◆bの句
◇単行本 全集 136頁
彼はしばらく歩いて、もう一度、振り返った。樹林の茂みにかくれて、もう屋根の一部分も見えなかった。
陽の下を看護婦よぎる音もなく
竜雄は歩きながらこんな句を考えた。今見た狂院の印象だった。彼はその夜、この田舎町に侘(わ)びしく泊まった。
翌朝、駅の方へ歩いていくと、小さな郵便局が竜雄の眼についた。
◇初出 連載22回 9月8日号掲載
彼はしばらく歩いて、もう一度、振り返った。樹林の繁みにかくれて、もう屋根の一部分も見えなかった。
また町に入りかけたところに、小さな郵便局が竜雄の眼についた。
=次号に続く=
(おの よしみ・北九州市立松本清張記念館学芸員)