さりさりと

木村和也

ちひさきものに生まれて春の水にゐる
大甕の中のくらがり牡丹雪
花冷えのピカソの女壁を向く
春の夜の時計の中の赤い砂
石段に空き缶のある四月かな
さりさりと細魚は泣いたかもしれず
地下街に靴の直し屋三鬼の忌
火をとろくもの焚きつづく春の風邪
注釈のやうにぽつんとあめんぼう
島の子は白シャツを着て島を出る
ゆれてゐる吊り革夏の海を見に
いつまでも手を離さずに水着の子
みな首を垂れ遠泳を上がり来る
大学の立看見ゆる薪能
燐寸擦れば遠雷匂ふ机かな
トラックが来て花火師が下りてくる
プールの水に梯子真直ぐ夏了る
影踏みの影やはらかき夏の果
茶碗に水の深さが見えて敗戦忌
飛行機のみごとな着地水の秋
台風の教室昏く華やぎて
ぎつしりと水に浮かんで若き桃
消しゴムの粉を残して夜学の子
小春日のおるがん壊れてゐたりけり
荒星やCloseとある楽器店
着ぶくれてうすき血脈父と子に
賜りしもののごとくに石蕗の花
手のひらを開けば鍵のある寒さ
寒さうな水汲んでくる子どもかな
離宮名の小さな駅に冬の鳥

 

佳作受賞のことば

木村和也

 俳句は雑器でありたいと思っています。
 二十余年在籍した「船団」が散会して、俳句仲間がばらばらになって、また新しい俳句仲間に出会ってみて、改めて俳句という文芸について考えることが多くなりました。
柳宗悦が『雑器の美』を著わしたのは、一世紀近くも前です。柳は芸術を志向した窯芸ではなく、庶民の日常が染みついた雑器にこそ本当の美があると主張しました。「それ等の多くは片田舎の名も知れぬ故郷で育つのである。又は裏町の塵にまみれた暗い工房の中から生まれてくる。」
俳句も雑器ではないのか。そう言ってみたい気がします。今も大阪池田の句会をはじめ、いくつかの場所で仲間と句会を囲んでいます。そこに集っているのは、私を含め大方は名もない俳人たちです。俳句も、無骨な月並みなものであるかもしれません。しかし、装うことのない日常の凡々たる生活から生まれるものであるがゆえに、己の名を刻むことに執心しないがゆえに、無作為の美を有することがあるのかもしれません。奇と智から遠ざかって素朴極まりない素材から無心に手作りした雑器のように。
 そんな俳句をこれからも堅実に追求していきたいと思っています。今回の入選はその励みとなるものでした。選んでいただいた審査員の皆様に感謝を申し上げます。ありがとうございました。

プロフィール

木村和也(きむら・かずや)


俳歴
1947年 
大阪府生まれ。中学2年から高校2年まで「南風」(山口草堂主宰)に投句。
2004年 
「船団の会」(坪内稔典代表)に入会。
2009年 句集『新鬼』上梓。
2012年 「船団賞」受賞
2017年 
俳句とエッセー『水の容』上梓。
2020年 「船団の会」散在。
現在 結社は無所属 現代俳句協会会員