そらいろの空箱

望月士郎

霧の駅ひとりのみんな降りて霧
そらいろの空箱かさねゆく秋思
流星や詩片がすっと指を切る
からだからだれか逃げゆく月の道
月そっと心療内科を開きます
血の色の実の生っている寒さかな
開戦日日の丸という赤き穴
綿虫と白息まざりわたしたち
空白のまあるく抱いている兎
雨は雪に小さな骨はピッコロに
一月一日一重まぶたの妻といる
失ったピースに嵌める冬の蝶
冬の葬みんなちいさな兎憑き
いいかけてそっと平目を裏返す
絵本閉じれば象は二つに折れ寒夜
胸びれに尾ひれの触れて春の宵
早蕨がグーをだすからパーを出す
人ひとひら桜ひとひら小さな駅
入学式ちりめんじゃこの中に蛸
嬉しくてスイートピーのぐるぐる巻き
死者の眼で妻見ることもアオバズク
火取る虫あの世の片端にこの世
転生の途中夜店をかいま見る
大山椒魚無実の罪のようにかな
夕端居わたしの暮してきた躰
思い出しながら描く地図青山河
くちなしが私を嗅いでいる夜風
にんげんの流れるプール昼の月
心臓は四部屋リビングに金魚
8月の8をひねって0とする

 

佳作受賞のことば

望月士郎

 一年ほど前に初句集を上梓いたしました。『海市元町三―一』というタイトルです。その「あとがき」にこんなことを書きました。
 「椅子に坐りながら椅子ごと身体を宙に持ち上げること。つまり、言葉をもって言葉を越えること。
 俳句という小さな器に容れると、言葉はひとりでに捩れ、ずれ、滲み、そして毀れます。詠みながらその変形した姿を読みつつ、さらに進んでゆきます。それは表現でなく表出といったもので、先に表わすべく内容があって、そこに上手く到達するために言葉を並べるのが表現だとして、表出の方は、例えば卵とか耳とか象とかの言葉を抱えて歩いてゆくと、運河の町に着いて別の言葉と出会い「気」が生まれ、そこから小舟に乗ると見知らぬ島に着き、また新しい言葉に出会って「間」ができました。
そうこうしているうちに表ににじみ出ました—-なのです。」
 知っていることを上手く表現した句には、あまり興味が持てません。それはすでに知っている事だからです。知らないこと、あるいは暗黙裡に知っているのだけれど、それが言葉を持たないがため気付けなかったことなど。俳句にはそれを掴む力があると信じます。
 俳句はもちろん文学ではありますが、音楽であり美術でもあると言えるでしょう。音楽ならば、たとえば歌詞のないクラシックやジャズ。美術ならばたとえば抽象画。音や色や形のコンポジションを愉しみます。
 意味よりもニュアンス、分かることよりも感じること。それが今後も私の作句のテーマです。
 年度作品賞の佳作をいただき、ありがとうございました。

プロフィール

望月士郎(もちづき・しろう)

句歴
1951年 12月4日 東京生まれ
2010年 作句を始める
2013年 「海程」入会 第2回攝津幸彦賞佳作受賞
2018年 「海程」終刊により、後継誌「海原」に入会
2019年 第1回海原新人賞受賞
2022年 第4回海原金子兜太賞受賞
2024年 第6回海原賞受賞
現在 「海原」同人、現代俳句協会会員
現住所 〒359-1146 埼玉県所沢市小手指南3-40-4