興をそえる俳句

川又 夕

 余興のひとときが好きだ。その場限り、ただその空間を盛り上げ楽しませるだけの労力が好きだ。季語に喩えるなら、紅葉かつ散る。俳都松山に住んでいるからか、余興を任せて頂く機会には恵まれている。単純に、酒席へのなみなみならぬ思いが筒抜けになっているだけなのかも知れないが。二十代の間は美味しいお酒を渡り歩くようにして吞んでいた。三十代になってからは「いかに美味しく呑むか」に重きを置くようになった(気がする)。和やかであることはもちろん、驚きの仕掛けが用意されていたらもう、お酒はますます美味しくなる。
 思えば披露宴の余興も「俳句甲子園エキシビションマッチ」だった。上司の栄転に伴う送別会にも、俳句が添えられた。私の句を「俺の句」として出した局員が(ネタばらしの後に)一番おもしろがられた。どの程度の遊びが心地好いか、その距離感を掴むことに長けていれば余興上手になれるのだろう。
 今年の余興で特に印象的だったのは、祝いの席での句合わせ。2024年8月8日、道後・山の手迎賓館にて「うちだパン創業七十五周年祝賀会」が行われた。松山で長年親しまれているパン屋さんの記念すべき式典、来賓の方々も県内外、雲の上の方々(京都の老舗ベーカリーの社長が大学の大先輩で、お会い出来たこと、京都の思い出話が出来たことは何より貴重な体験だった)。今回の主役・うちだパンさんとは「城北・城東地区小学生俳句大会」からのご縁で、余興の時間を俳人3名にすべて任せてくれた。数十名のゲストに5分で俳句作りを紹介、20分で一句出し、厳選十句を二句ずつ句合わせ形式で披露し、作者にコメントを頂いた。美味しそうなパンの句が多数、そして作者の趣味、仕事、家族についてなども詠まれ、晴れやかでのびやかな言葉が満ちていた。俳句に触れていない人も耳を傾け、俳都松山の遊びを楽しんでくれたこと。そして残暑に灼けた喉にお酒が沁みたこと。理想的な酒席だった。
 ただ、何が何でも酒席に俳句を絡めたい訳ではないので、お酒を呑む機会があったら気軽に声を掛けてほしい。恋しいひととは、思うようにならない仕事の話をしながら呑むだけで、心が揺れる。紅葉かつ散る、その儚さ、その熱量。殺風景な場所であっても、街の灯りひとつで忘れられないひとときが訪れる。これから冬に浮き立つ心のままに、美味しいお酒を呑む場を作りたい。

渡世気まま

立冬の酒星屑の音を吸ふ
抱擁は理由うしなふ初時雨
茶の花や渡世気ままの歩きかた
はやぶさの迫る大地の匂ひ立つ
馬眠るうち足早に冬構
散紅葉ひととの境目はいづこ
順繰りに二杯目注げる根深汁
影のかたち違ふふたりの里神楽

略歴
1987年愛媛県生まれ。俳句甲子園OBOG会会長。「白魚火」会員。夢は衣食住を極めること。

 

句を均等割付で組むことについて

山崎秀貴

 二十代後半までの十年弱はフォント制作を専業にしていたので、これと俳句の交わる話を。俳句の刊行物において一般に、句が均等割付(=上下両端揃えで句がならぶ)にされているのはどういう了見でしょう?
 この組み方ではたいてい、十七文字の句が来ても収まるようにか、行長(=一行の長さ・縦幅)が予め長く設定してあります。ところが、そんな文字数の句は滅多にない。だから九割以上の句において、字間(=文字と文字の間隔)がいやに広く空くのです。
 広すぎる字間は、単語としてのまとまりを〈意識しないでください〉と言っているのに等しい。解体された部品を一つずつ頭に入れていく読み方を強いています。当然、そのほうが活きる句はある。しかし例外的。大半の句における最優先事項は、一見一読、単語を単語として瞬間的に捕捉できることでしょう。
 私の主張。なぜ積極的に、上揃え下成り行き(=上は揃え、字間を一定にする代わりに、文字数に依存して下が揃わなくなる形)で組まないのか。これこそ、手書きにも近い形で自然です。寡聞にして存じませんが、活版印刷や写植の頃には、均等割付が好まれる技術的背景があったのかもしれない。が、現在は、ボタンひとつで設定を切り替えられる電子組版の時代。問われるべきです。
 ただし。均等割付で絶対に組みたいという思いもわかります。均等割付の、四角形の透明な箱に文字が並ぶ姿の威容。一文字一文字が宝石のように嵌まり、時代の風に吹き飛ばされないという感じがする。単語としての認識のしづらさが、読者をゆっくり歩ませてくれる。一方で下成り行きは、言葉が流れて消えてしまいそう、それこそ成り行きで言葉を選んだみたい、私の句をあまりにすらすら読まれては、という方。
 実は句の均等割付には、失敗を招く要因があります。第一に、薄く細いフォント。周囲の広い空白に文字が飲まれてしまう。第二に、冒頭で触れた長すぎる行長。十七文字でやっと通常の字間になる行長ではなく、掲載する句群の平均的な文字数で心地よい字間になるよう、短めに定める必要あり。第三に——これが最も致命的です——、狭すぎる行間。上下の文字よりも隣の文字の方が近い、なんてことが頻発する縦文字組は悲劇。そして行間が狭いときほど、字間のばらつきは目立ち、障ります。さらに文字組の側ではどうしようもない第四の因子として、句によって大きく文字数が変わる原稿。字間が激しく不統一になるのを避けられません。
 ですからたとえば、読者投句欄と均等割付は相性悪し。そんな中、手許の雑誌では、角川俳句の令和俳壇佳作欄と俳句四季の四季吟詠秀逸欄は頑張っています。前者は行間の狭さという不利を太めのフォントと短めの行長で乗り越え、後者はもともと行間が広めにとれて有利なうえに短めの行長です。
美しい均等割付が可能なのは、行間がたっぷりとれる、句集です。しかも、常に同じぐらいの文字数で書く俳人。このごろ読んだものでは、山口昭男句集『礫』が大成功例。和兎さんの光るお仕事。どの失敗要因も存在しません。
 結論。均等割付はあらゆる点で難しいのです。無理そうなときは、ぜひ上揃え下成り行きを。

おるがにすむす

ドイツ四句
まづヨハンと鵞鳥に名づけクリスマス
チューリップ活き活き日本料理店
ACAB壁虎と壁虎くらしてゐ
マロニエを市電のおそくながれてをり

日本四句
茄子好きで茄子でお越しよささら荻
踊子は原子なんめり阿波踊
赤紙にゑん足がばらばらになる
牛蛙鳴いてお寺でありにけり

略歴
1993年、大阪生まれ。ドイツ・ハンブルク在住。小部屋句会。楽園俳句会。第十回詩歌トライアスロン三詩型(俳句・短歌・自由詩)鼎立部門受賞。イギリス・レディング大学院(タイポグラフィ & グラフィック・コミュニケーション研究科 書体デザイン専攻)卒。Twitter: @hdtkymsk