『金子兜太展 しかし日暮れを急がない』探訪記
石橋いろり
まだ残暑の収まる気配のない秋の一日、立川から「かいじ7号」に乗り込み、小一時間で甲府駅に着く。俳友と一緒にタクシーで「金子兜太展」初日の山梨県立文学館へ。車窓からは山脈に囲まれた明るい空間が広がっていた。広大で緑豊かな公園の中には文学館だけではなく、ミレーの「落ち穂拾い」で有名な山梨県立美術館もある。一日心も体もリフレッシュできそうな場所だった。
オープニングセレモニーでは、文学館関係者や、金子兜太の出身地である皆野や生家・壺春堂の人々、多くの兜太ファン、そして兜太、龍太のご子息である金子眞土、飯田秀實両氏がこの場に会したことに深い感慨を覚えた。セレモニーでの面々のご挨拶からは、生前の兜太・龍太が違う道を歩んでいるようで、実は接点を持ち、相通じる点が数多かったことがうかがわれ、頷きながら聞かせていただいた。
山梨の山脈は雁坂峠を経て秩父の山々につながっている。そういった地理的要因が二人に底通するものの芯になっていたのではと感じた。
テープカットのあと、展示を自由に見て回った。兜太の太く力強い筆跡、そして写真に映った優しげなまなざしの数々が展示会場を覆い尽くしていた。
小学六年生の頃に書いた「私の希望」という作文には、少年兜太の夢がしっかりとした文字で記されている。父の跡を継いで医者になる、それも野口英世のようになりたいという内容で、担任の先生のコメントも含め思わず目を細めたくなる内容だった。
この頃の兜太は、句会で時に喧嘩騒動まで起こす俳人に閉口していた母はるから医業を継ぐように常々言い含められ、自身の思いもその方向にあったのだ。しかしながら、青春期の自我の目覚め、さらに環境の変化もあって、父が熱中した俳句を自らも詠むようになっていく――そんな心模様の変遷がのぞけ、興味深かった。
兜太の父伊昔紅が主宰した俳誌「若鮎」などのオリジナル版など貴重な資料が林立している。微に入り細を穿つように、よくこれだけのものを結集させたと感嘆した。
兜太の書斎を再現したコーナーには、机上の原稿用紙の上に愛用の黒のサインペンがさながら主を待つかのようにポツンと置かれている。遺作九句の肉筆原稿も展示され、このペンで書かれたのだと思うにつけ、しみじみとした思いにとらわれた。
「雲母」のお膝元らしく、龍太グッズが数多く販売されていた。常設展には、両親が山梨出身という樋口一葉の展示もあり、旧五千円札の印刷一号と最後の一枚とがそれぞれ展示され、ミュージアムショップには「一葉煎餅」も。だが、一番のお薦めはやはり兜太展の図録。今回の展示内容をかなりカバーしており、1400円はお値打ちだと思う。
帰路は「日暮れを急がない」の思いから寄り道し、旬のシャインマスカットをもとめた。次回は秋の深まりを待ち、甲斐の龍太の山蘆にも足を伸ばしがてら、改めてこの展示を見ようと心に決めた。
金子兜太展は山梨県立文学館で11月24日(日)まで。
10月26日(土)には座談会「兜太作品の原点を語る -第一句集『少年』・第二句集『金子兜太句集』を中心に-」が開催され、現俳協の高野ムツオ会長、俳人の高山れおな、佐藤文香両氏が登壇の予定。