撮影:中村 哲
「わたしの1句」鑑賞 井口時男
写真は彼岸花に揚羽蝶(黄揚羽か)。
近所に「彼岸花神社」と呼んでいる神社がある。私だけの勝手な命名だ。ありていは小さな稲荷神社なのだが、九月半ば過ぎ、境内の半面近くを真っ赤な彼岸花の群生が埋めるのだ。息をのむ美しさだ。
秋の彼岸の頃に咲くから彼岸花。その名のとおり「向こう岸」すなわち死の領域、仏の領域へと誘う花。別名曼殊沙華(サンスクリット語の漢字による音写だそうだ)も法華経などの仏典由来だという。地域的異名も「死人花」「葬式花」「地獄花」などと、死に関わっておどろおどろしい。
ああ、映画なら山下耕作が中村錦之助主演で撮った映画「関の弥太っぺ」(1963年11月公開)のラストシーン、死地へと続く一本道の左右に連なる彼岸花。歌謡曲なら萩原四朗作詞上原賢六作曲、石原裕次郎が歌って浅丘ルリ子が「そんな地獄が怖いのですか」とぞくぞくするようなセリフで誘う「地獄花」(1971年6月発売)。
そして、蝶もまた世界各地の俗信で人の魂の化身に擬せられるし、変態を繰り返すその生涯は輪廻や転生をも思わせる。初期の俳句(俳諧)が自らに形而上学的権威を与えんとして好んで援用した『荘子』には、夢で蝶になった荘子が覚めてのち夢と現のけじめを失ったという有名な説話もある。蝶もまたすぐれて境界の「向こう」に関わる存在なのだ。
さて、掲句。
向こうのこと見えた九月をときめいて
写真がないと「向こうのこと」が茫漠としてとらえがたい。一方、写真によればまぎれもなく死の領域だ。だが、ほんとうにまぎれはないか。
彼岸花から自動的に生じるその重たい推定を裏切るように「ときめいて」。これが新鮮だ。句の世界が一気に軽くなる。
このとき、句の「意味」も浮力を帯びて浮遊し始める。
そもそも語り手は誰なのか。死の近さを意識した高齢の人物(作者は男だ)か。「向こう」に逝ってしまった知友たちを偲んで、再会の予感にときめくのか。こちらに閉ざされた肉体的生命にとっては「向こうのこと」が見えて「向こう」の実在を確認できたこと自体が喜びだということか。
いや、「ときめく」の語感にこだわれば、語り手は男でなく女、それも若い女であってもかまわない。ちょっと恋愛めいた気分さえただようだろう。
いやいや、さらにさらに、もしかすると、語り手は人間ではなく蝶なのかもしれない。写真の中で蝶こそが浮力の源泉なのだから。そして、蝶と花との接触はほとんど恋愛、愛の交歓。ならば、「向こうのこと」は蝶にとっての彼岸花、すなわち恋愛における恋しい「あなた」としての二人称なのかもしれない。「あなた」とは「彼方」すなわち「向こう」のことにほかならないのだ。
こうして語り手さえも自由に揺らぎだし、軽くされて浮遊し始めた句の解釈は、作者にとっての「あなた」としての読者に委ねられている。